■ 12.酔い、余韻
「うっ……」
その日は最悪の目覚めだった。
頭は鈍く重く、そして体中のあちこちが痛い。
それから酷い吐き気と目眩。
昨日は新種の毒でも試したっけ?と思うくらい体調が悪かった。
そして自分がなぜこんな苦しい状況に置かれているかも思い出せない。
ただ隣には半裸のイルミが寝転がっていて、今起きたばかりの私をじっと見つめていた。
「……イルミ?どうなってるの……?」
「おはよう」
「……うん、おはよ」
見れば自分もなかなか際どい、というかシーツに隠れているもののほぼ裸同然の格好で。
結婚してるから別にいいが、何があったかはすぐにわかった。
「……ごめん、昨日のこと、何も思い出せない」
「いいよ。だと思ってオレもわざと服着せなかったし」
「へぇ……わざと?」
ちょっとなにを言ってるかわからない。
それもこれも体調の悪さのせいで、思考能力が著しく低下してるからに違いなかった。
「シャワー浴びてきたら?二日酔いでしょ」
「へ?……二日酔い……ああ」
そっか。
この苦しみは二日酔いなのか。
そういや昨日はアルコール訓練で、私が買ってきたワインを飲んで、お酒の意味がどうとか言って……
だめだ、そのあとのことがどうしても思い出せない。
ユナは胃からせりあがってくるものを感じ、シーツを体に巻いただけの格好でトイレへと駆け込んだ。
「大丈夫?」
たぶんちょっとくらいは心配してくれてるんだろうけど、そんな優しさを微塵も感じさせない淡々とした声。
「……大丈夫な、ワケない……」
ユナは胸の不快感に苦しみながら、返事を返すだけで精一杯だった。
というか、アルコール訓練だったのに、なんでイルミは手を出しちゃってるんでしょうね?
頭痛はともかくも、体中のあちこちが痛むのは、明らかにイルミが余計なことをしたせいだ。
「うっ……気持ち悪……」
吐いても吐いても治まらない胃のムカつきにゾルディック家に来た初日の夕食を思い出す。
今でもまだ完全に毒の耐性がついたわけではないが、一体この家に来てから何度吐いたことだろう。
もともとイルミは毒のせいで私がお腹を壊そうが、嘔吐しようが気にしていなかったが、初めの頃はやっぱり私だって恥ずかしかったのだ。
イルミには当たり前のことでも、ユナにはそうじゃない。
その逆もまた然りで、その違いは埋められないし、受け入れるべきものなんだとも思う。
だけど……
「あ、ちなみに薬はないからね。
ウチじゃ誰も二日酔いになんてならないし、薬飲んじゃったら耐性がつかないから」
「そんなの……わかってるよ!」
寝室から聞こえてきたイルミの声にほんの少し、ほんの少しだけ殺意が沸いた。
**
「あ、治まった?」
寝室に戻ると、イルミはなにやら珍しくスーツに着替えている。
だが、今のユナには理由を尋ねる元気もない。
「……まあね」
胃の辺りを手で撫でながら、シャワーでも浴びたらスッキリするかな、と着替えを用意した。
今、少しは落ち着いている。
というかもう胃の中に吐くものが残っていない。
それでも相変わらず頭は痛いわ、腰が痛いわ満身創痍なユナに向かって、イルミは「良かった」と呑気に言った。
「まだ無理って言われたらどうしようかと思ったよ。
今日はちょっと仕事に同行してほしくてさ」
「……は?」
私の聞き違いだろうか。
浴室へと向かっていたはずの足は、ぴたりと止まる。
「イルミ……何だって?」
いやいや、いくら鬼のイルミだって、こんな状態の私を仕事につれていくわけない。
だいたい、イルミの仕事といえば暗殺で、私には無縁とまではいかなくても専門外だ。
だが、ユナが聞き直すと、イルミは涼しい顔でしれっと繰り返した。
「だから、今日は仕事に付き合ってほしいんだよね」
長い髪を一つに束ねながら、イルミは振り返る。
付き合ってほしい、とは言ったものの、言葉には明らかに強制のニュアンスが混じっていた。
「私、暗殺なんてやったことない…」
ユナは手に持っていた着替えをばさりと落とした。
「知ってるよ」
「じゃあ無理じゃないの」
別に今さら手を汚すことに抵抗はないが、生まれも育ちも暗殺一家の彼と同じにされては困る。
急にやれと言われて務まる仕事なら、誰も辛い訓練なんてしなくていいのだから。
「別に、ユナに殺しをやってもらうつもりはないよ。
ただ、パーティー会場に入るには女連れじゃないといけないんだよね」
どうやら今回のターゲットは金持ちのマフィアらしく、今日はそこの娘の誕生日パーティーらしい。
折角の誕生日に父を殺されてしまうその娘には同情するが、皆が浮かれている隙をつくのが暗殺の仕事なのだ。
殺しを任された訳ではないとわかってユナはホッとしたが、依然として体調が優れないことに変わりはなかった。
「イルミには悪いけど、パーティーなんかいける状態じゃないよ…」
「でもそれじゃ会場に入れない 」
「お義母さんは?」
「仕事」
「ん〜、じゃあカルト君」
「ふざけてんの?」
イルミは髪を束ね終わると、不機嫌そうにこちらを睨み付けた。
「カルトなんか連れていったら、俺は完全にロリコンだよね?」
「えー」
確かに14も離れた二人じゃ、そう思われたって仕方がないかもしれない。
だが、私だって行きたくないものは行きたくないから、この際旦那がロリコン呼ばわりされようと気にしないつもりだ。
第一、仕事に同行させようと思うなら前日にアルコール訓練なんてするほうがどうかしていると思うのだが。
「じゃあミルキ君を針で女に……いや、適当にその辺りにいた女の人に針さして操っちゃえばいいんじゃないかな」
「……」
我ながらナイスアイデアだ。
別にパーティーに連れていくくらいなら、そこまで強力な念を使う必要がないから、利用された一般人が死ぬなんてことはない。
イルミは腕組みをして壁に寄りかかると、きゅっと目を細めた。
「ふーん、ユナはオレが他の女と一緒にいてもいいんだ
「他のって、別に仕事なんだし。
…仕事で他の女抱くこともあるでしょ?」
「は?」
会話をするごとに、イルミの機嫌は悪くなっていく。
だが、最後のユナの言葉にはイルミも驚いたようで、ぱちぱちと瞬きをした。
「何言ってるの?
オレ、結婚してからはそんなことしてないけど」
「えっ、そうなの?」
てっきり、そうなのだとばかり思っていた。
イルミのことだから自ら進んでするとは思えないが、仕事の内容的に避けられないものもあるはず。
例えばこの前の依頼だって、単に殺しをやるだけでなく、その前にターゲットに情報を吐かせる必要があった。
操作系は技が決まれば無敵だが、相手が強者だとなかなか決めるのが難しい。
そうなると相手が女の念能力者の場合、最も油断して隙が出来るのが情事中というわけだ。
「ふーん…ユナ、オレのことそんな風に思ってたわけ?」
「いや、だって仕事だから仕方ないって…」
「暗殺者の妻の鏡だね」
言葉を額面通りに受けとれば誉められているのだろうが、イルミから放たれるオーラがびしびしと痛い。
頭痛がするのはお酒のせいだけではないだろう。
「ベタベタされるのは我慢してる時もあるけど、最後まではやってないよ」
「…なんか、ごめんね?」
「とにかく、ユナには一緒に来てもらうから」
母さんからドレス借りてきなよ。
「…わかった」
怒ったイルミに逆らうのは、あまり得策とは思えなかった。
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