■ 10.安堵と動揺
ヒソカが出ていって、とうとう二人きりになる。
もし、本当のことを打ち明けるとするならば今が一番いい。
ただ、この変装を解いて見せるだけでよいのだから。
しかし、もしもユナが情報屋だなんて知ったら、離婚されるんじゃないだろうか。
実家のためにもそれは避けたいし、何よりユナだってイルミとの生活は居心地が良かった。
だから
やっぱり…言い出せない。
それにもしも話すにしたって、いつもとは違う雰囲気のイルミと「しくじれない仕事」という彼の言葉のせいで、どういう風に話し出せばよいのかわからなかった。
「依頼のことだけど、探してほしい人物がいるんだよね」
「ターゲットですか」
「まぁ、そんなところ」
情報屋って言ったって、個人のことまでなんでも知ってるわけじゃないから、こういう依頼は徹底的に調べなければならない。
だが、暗殺のターゲットを探しだすのはいつもミルキの仕事だったはず。
それがどうしてわざわざ私のところに回ってきたのだろう。
ユナが聞けやしない疑問を脳内で浮かべていると、イルミはくしゃくしゃになった一枚の写真を取り出す。
「この男なんだけど」
「…!!」
そこに写っている人物を見て、ユナは声をあげそうになった。
写真は紛れもなくヒソカから探すように依頼されていた男。
とっくにその男に関する情報をヒソカに伝え、彼はもうこの世にいないはずだった。
だがそれにしても、イルミがこの写真を持っているというのはどういうこと?
もしかして、私のファイルから見つけてきたの…?
あの写真はファイルごと処分したつもりだったから、目の前にこうして同じ写真をつきつけられると、ひどく頭が混乱した。
「どうしたの?こいつを知ってるの?」
「…あの、この写真は一体どこで…?」
「質問してるのはオレだけど」
イルミの口調は依然として淡々としたものだったが、なんだか詰問されているようでもある。
ユナはヒソカのことを言うか言わないかで迷った。
しかしそのせいで、イルミがこの写真を持っているということをヒソカが知れば、情報屋の正体はすぐに見当がついてしまうだろう。
ヒソカが席を外してくれて本当によかったと思った。
「…たぶん、この男はもう死んでると思います」
「たぶん?」
「少し前に同じような依頼でこの男を探し、もう情報は伝えました。
ですから、既に殺されている可能性が高い…」
「同じような依頼?」
イルミは怪訝そうに聞き返した。
が、それ以上は話すわけにいかない。
いくら待っても答えないユナにイルミはうーん、と唸った。
「実はこれ、オレの妻が持ってた写真なんだよね」
「え…そうなんですか」
やっぱり、偶然暗殺のターゲットになったわけじゃなかったんだ。
彼の口から出た「妻」という響きに、なんとなく落ち着かない気分になる。
ユナはとりあえず相づちを打った。
「…その依頼主って女?」
「…そのような類いの質問にはお答えできません」
「そう。でもその男が死んでると思うってことは、殺すために調査を依頼したってことだよね。
俺にみたいにさ」
イルミはユナがyesともnoとも言わないうちに、一人でうんうんと頷く。
顎に手をやり、考え込む仕草にはどことなく愛嬌があり、先程までのピリピリとした感じも和らいだように感じた。
「でも、なんで殺したかったんだろう。俺に言ってくれれば、家族割引で殺してあげたのに」
「無料ではないんですね」
「まぁね、うちは基本的にギブアンドテイクだからさ。
別にお金で払ってもらうつもりはないんだけど」
だったら何で払えばいいんだ…
ユナはますます自分の正体を明かしづらくなった状況に、苦笑いする。
だが、イルミも上手く勘違いしてくれたようだし、今日のところはこのまま秘密にしてていいだろう。
ちらりと店の外に視線を移したユナは、そこに奇術師の姿を見つけてため息をついた。
「あの…その写真を回収させてもらってもよろしいでしょうか?」
「ん?これ?なんで?」
既にくしゃくしゃに握りつぶされ、もとの写真を知っているからこそわかるくらいには損傷されていたが、とにかくこれはもう処分しておきたい。
おそらく、イルミがわざわざ情報屋を頼ってまで調べざるを得なかった理由はユナにあった。
「その男について調べようとしても、何もでてこなかったでしょう?」
「うん、だからヒソカに吐かせてお前に頼もうと思ったんだ」
「実は、私は依頼主と自分の情報を守るために、ターゲットの情報も全て消去してしまうんです。
徹底的に、それこそ写真一枚でも残したくない。
まさか、こんな形で巡り会えるとは思いませんでしたが」
これは半分嘘で半分本当。
確かにユナは自分の情報を守るために、ターゲットの情報をも操作する。
だが、いちいち個人的な写真にまでは干渉してる暇はなかった。
「へぇ、なかなかやるんだね。
ウチの情報担当が無能って訳じゃなかったんだ」
実の弟に関してさらっと酷いことを言った後、イルミは目の前で写真をビリビリに引き裂いた。
パラパラ…と粉のように、写真の屑がテーブルに落ちる。
「はい、返すよ」
「…どうも」
処分する手間が省けたとはいえ、一体どれだけこの男に恨みがあるんだか…
こんな面倒なことになるのなら、今後はもっと気をつけて仕事の物は保管せねばならない。
ユナは「…では」と席を立った。
「じゃ、また何かあったら頼むかもね」
「…はい、機会があれば是非」
出来れば、もう二度と頼まれたくない。
メリルとして彼に会うのは思った以上に精神をすり減らすみたいだ。
ユナは滅多に浮かべない営業用の笑顔を作ると、そそくさと店を後にした。
***
「…で、いつまで付いてくるつもり?」
早足で歩いても、ちっとも遅れずに隣を歩いているのは、例の奇術師である。
喫茶店を出ると、店先で待ち構えていた彼は、当然のようにユナと食事をするつもりでいた。
「ん〜◇イルミに紹介したこと、まだ怒ってるのかい?
ボクだってホントは教えたくなかったんだよぉ★」
「いや、別にそれはもういいから。
わかったから一人にしてくれない?」
「冷たいキミもそそるんだけど、そろそろデレてくれてもいいじゃないか◆」
ヒソカにデレるとか、天地がひっくり返ったってありえない。
そもそも人に甘えたりするのは苦手だった。
「私、買い物してこのまま帰りたいの」
「下着かい☆?」
「は?どういう思考回路してるの?」
気持ち悪い、と直接本人に言っても、彼は凹むということを知らない。
にやにやと腹の立つ笑みを浮かべ、しっかりと後をついてくる。
「お酒を買うのよ。
わかったらほら、もうあっち行って」
「キミがお酒なんて…仕事かい◇?」
「もう、うるさいな。
情報屋のプライベートを詮索しないでよ」
本当にしつこいったらありゃしない。
ユナはヒソカを喜ばせないように殺気がもれるのを我慢していたが、そろそろ限界だ。
立ち止まって、彼の顔を正面から見据える。
「これ以上ついてきたら、メールも着信拒否だからね!」
「プライベートって、男かい★?」
「そうよ、別にあんたには関係ないでしょ」
怒りにまかせてつい答えてしまったが、無視すればよかった。
ヒソカの顔から笑みがすうっと消える。
「へぇ…★ボクがこんなにアタックしてるのに、それはあんまりなんじゃないかい◇?」
「はいはい、何言って…」
いつものように笑い飛ばそうとしたが、ヒソカの顔があまりにも真剣だったので思わず面食らう。
なんでそんな怒ってるの…?
別に私ヒソカと恋人って訳じゃないんだし…
イルミの無表情で慣れているとはいえ、普段は笑ってるヒソカの無表情はなんとなく怖い。
ユナがそのまま何も言えずに固まっていると彼は腕をくい、と引っ張った。
「まぁ、それならボクが選んであげるよ★」
「へ?」
「お酒、買うんだろ◇」
ユナはきょとんとしてヒソカの顔を見つめた。
だが、さっきのは見間違いだったのかと思うほど、もう彼はニヤニヤと笑っている。
「う、うん…じゃあよろしく…」
ユナは訳がわからないまま、勢いに押されて頷いてしまった。
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