- ナノ -

■ 落花枝に上り難し

※スカイプ原案の小ネタで、ほぼ空気ですがキルア婚約者夢主がいます。
八年ぶりにキルアとキルア婚約者がゾルディック家に挨拶にきてイルミさんと一悶着ある話。シリアスです。
name change

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 十二月のパドキアは遠い記憶にあったそれよりも肌寒く、標高の高いククルーマウンテンに位置するゾルディック家は氷の城だと言っても過言ではなかった。久々に歩いた石造りの廊下は冷え冷えとしているだけでなく、採光のための窓が乏しいために相変わらず陰惨な雰囲気を醸し出している。

 キルアがここに戻ってくるのは、実に八年ぶりのことであった。元からあまり寄りつきたい実家ではなかったが、前はキメラアントの一件で負傷したゴンを救うためにどうしても妹の力が必要だった。そして妹の扱いをめぐって、キルアはもうこの家には帰らないのだと決心した。

 けれども当時は激昂してしまったものの、あれから八年経った今なら、両親がナニカを封じていたことについて少しは理解を示せなくもない。暗黒大陸というものの存在を知り、そしてその恐ろしさを実感した今では――それでもアルカが大事な妹であることには変わりないが――あの力を"別のどこかから来た闇"だと表現したのも的を得ていると思うからだ。事実、キルアだって一度はアルカの為にナニカのことを封印しようとしてしまった。アルカを家族だと言っておきながら、その半身であるナニカを切り離そうとしてしまったのだ。

「アルカちゃん、一人で寂しがってないかな」

 小さく、遠慮するようにひそめられた声は、緊張から来るものだろうか。声につられて視線を向ければ、隣のナナミ はそわそわと落ち着かない様子で周囲を見回している。一応キルアがついているとはいえ、歓迎されない確率の方が高い暗殺一家を訪ねるのは相当勇気がいることのはずだ。それでもこんな状況にあっても残してきたアルカのことを気にかけるあたり、やっぱりナナミ は底なしにお人好しだと思う。

「大丈夫だろ。もうあいつも十九だし、アルカが聞いたら子供扱いしないでーって怒るぜ?」
「それはそうだけど……」
「でもまぁ、そうやってアルカのこと大事にしてくれるナナミ だから、家族になりたいって思えたんだけどな」
「……」
「バカ、そこで黙んなよ、恥ずいだろ」

 いつもは臆面もなく真っ直ぐに好きだと伝えてくるくせに、ぱっと頬に朱を注ぎ、黙りこまれると調子が狂う。ナナミ はしばらくそうやって言葉を探していたようだったが、"家族"という単語に思うところがあったらしく、申し訳なさそうに眉を下げた。

「……今日はごめんね、私の我儘で」
「気にするなよ。どのみち、いつかは話さなきゃなんねーんだ。ナナミ のことは俺が守るから心配しなくていい」
「ありがとう」

 キルアが今日、こうして長らく音信不通だった実家に帰省を決めたのは、他でもないナナミ を自分の将来の相手としてゾルディック家の人間に紹介するためだった。本音を言えば暗殺家業を継ぐつもりも、アルカの件も含めてゾルディックとよろしくやっていくつもりもないキルアは、別に今更この結婚を親に認めてもらう必要はないと思っている。だが、良くも悪くも一般的な家庭に育ったナナミ はそうは思わないらしく、一度キルアの家族にちゃんと会って挨拶したいと、そうするのが筋だと言ったのだ。そしてナナミ が変なところで頑固なのを知っているキルアとしては、彼女の気の済むようにさせた方がいいだろうと思った。いや、心のどこかで薄々、他人に背中を押されなければ自分はこの先一生あの門をくぐることはないだろうと思ったからかもしれない。いくらもう関係ないと割り切った振る舞いをしていても、キルアの頭の片隅にはいつまでもこの家のことが細雪のようにちらついていた。いい加減、何かしらの区切りをつける時が来たのかもしれない。

「キルアも、これを機に仲直り出来たらいいよね」
「……ま、期待はしねーほうがいいな」

 口ではそう言って誤魔化したが、キルアはたぶん無理だろうなと思っていた。そもそも跡継ぎという期待を先に裏切ったのはキルアのほうで、そんなキルアが家族に何かしらを期待をするのは虫が良すぎるというわけだ。あれから八年も経てば流石に、他人を変えることは出来ないという諦観が板についてくる。キルアが思い描いた区切りはナナミ の想像するようなハッピーエンドではない。それでも確かに、その期待をしなかったかと言うと嘘になるけれど。

「久しぶりだな、キル」

 滅多に使われない応接間の扉を開けば、既に会食の支度は全て整っていた。仕事で忙しいはずなのにわざわざ予定をあけたのか、両親だけでなく、祖父や兄弟までもが揃っている。

「あぁ……久しぶり」

 部屋にいた全員の視線が自分と、その隣のナナミ に集中したのがわかった。思わず怯みそうになるのを叱咤して、口元に笑みを浮かべる。ここで自分が臆するようでは ナナミ のことなどとても守れやしないだろう。キルアは真っ直ぐに父親の青い瞳を見つめかえすと、改めて自分は父親によく似ているな、と考えた。けれどもやはり父親は、記憶にあったよりもほんの少し、老けて小さくなったような気がした。


 しかしそこからの展開は、キルアが身構えていたよりもずっと穏やかで粛々としたものだった。簡単にナナミ の紹介を済ませ、彼女が挨拶と手土産を渡し終えると、まるでいつもそうであったかのようにごく普通に一家の食事は開始される。祖父と両親は純粋に歳をとったように感じられたが、他の兄弟達にも少しずつ変化があった。ミルキは随分と――それでもまだぽっちゃりの域を出てはいなかったが――痩せたようだし、十八になったカルトも中性的な雰囲気を残しつつ、はっきりと青年とわかる姿に成長している。相変わらず和装には拘りがあるようだが、女物を身につけるのはやめたみたいだ。
そしてキルアが最も驚いた変化は長兄のイルミで、彼はあの腰まで届くような長い髪を顎のところでばっさりと切ってしまっていた。もちろん今でも十分、男としては長髪の部類だし、キルアが幼い頃はもっと短髪の兄も見たことがある。だがそれでもこの兄だけはなぜか不変であるように思い込んでいた。夜の底のような黒い瞳と、ぱちり、視線が合う。

「なに?」
 
 兄の口から発せられた声には、相変わらず色も温度もなかった。が、そのことが返ってキルアを動揺させた。おそらくキルアが家業を継がなかったことに対して、一番不服に思っているのはこの兄だろうと思っていたからだ。両親もきっと残念がったには違いないが、イルミのキルアに対する執着は両親のそれよりも大きかった。いや、キルアというよりもゾルディック家を発展させるための道具と言うべきか。その意味ではキルアがアルカを連れ出し逐電したことも、きっとイルミは許していないだろうと思っていたのだ。

「……いや、なんでもない」

 キルアは薄ら寒いものを感じながらも、兄から目をそらして席に着いた。そうだ、八年の月日はイルミにだって平等に流れている。割り切りの上手い兄だからこそ、キルアに期待しても無駄だと分かれば案外もうあっさり興味を無くしてしまっているのかもしれない。

 順々に運ばれてくる料理には、懐かしい毒のほろ苦い味がした。当然ナナミ の分は抜いてもらうように言ってあるので、彼女も問題なく食べ進むことが出来ている。

「キルとは、どこでお知り合いに?」

 この会は確かに婚約者との顔合わせという名目で開かれたが、母親が久々に再会した息子よりも、その息子と一緒に出て行ったきり行方がしれない娘よりも、ナナミ のほうに関心を向けたのは意外だった。

「私はハンターの仕事をさせて頂いているのですが、キルアさんと知り合ったのはその仕事の関係で。カキンによる新大陸調査の二号目の船に乗り、そこで同じくハンターとして調査に加わられていたキルアさんと出会いました」
「……そう、ハンターをされているのね」
「はい。ご挨拶が遅れてしまいましたが、彼とはもう四年ほど交際をさせて頂いています。それで先日、キルアさんから私の両親に結婚の挨拶をしてくださいました。私もキルアさんと一緒に、温かい家庭を築いて行けたらと思っています」

 緊張の色を滲ませながらも、はきはきと答えを返すナナミ はよく頑張ったと思う。「至らぬところも多い私ですが、今後ともどうぞよろしくお願いいたします」一方、肝心のキルアは一緒によろしくしたほうがいいのか未だに決めあぐねていた。もしも反対されるようなら、今度こそこの家とは縁を切る。両親の出方をうかがうように視線を向ければ、父と母は顔を見合わせ、それからほぼ同時に小さく息を吐いた。

「……ナナミ さん、これまで私たちの代わりにキルを支えてくれてありがとう」
「こちらの方こそ至らない親だったが、うちの息子をこれからもどうかよろしく頼む」
「は、はい、ありがとうございます!」

 その言葉を聞いて、がちゃん、と行儀悪くもグラスを皿にぶつけてしまったのはキルアだった。「まあ、キルったら!」すぐさま母親の咎めるような声が飛んでくるが、そんなことは今はどうでもいい。

「いいのか……? 認めてくれるのか?」

 あまりにもすんなりとまとまった話に、驚きを隠せなかった。

「俺達が反対したところで、キルとナナミ さんの気持ちは変わらんだろう。もうあれから随分と経った……今はこうしてお前が顔を見せてくれる気になったことを嬉しく思っている」
「そうね。家はもうイルが継いでくれて長いもの。今更だというのもあるわ。もちろん、キルとナナミ さんが家業を手伝ってくれるならそれに越したことはないけれど……まあ、ハンターをされているなら少し訓練すれば十分うちの仕事ができるわね!」
「いや、俺もナナミ も家業に関わる気はない。それこそ今更だろ」
「そうかしら?」
「キキョウ、」

 窘めるような父の声に、母は口を閉ざした。なるほど、多少の歩み寄りはあるものの、キキョウのほうはまだキルアが戻ってくることを期待しているらしい。しかしキルアは昔の母の強引さを知っているだけに、彼女の本音の滲んだ思いつきを聞いてもそこまで強烈な不快感を抱かなかった。それどころか昔は感じなかったはずの罪悪感が、ちくりと胸を刺したのだった。

「暗殺はやらない。けど、親父達がそれでもいいって言うなら、今後も顔くらい合わせてもいいと思ってる。アルカのこともそうだ。アルカにきちんと謝って、仕事を無理強いしないなら、あいつも……あいつも親父達に会いたいって言ってる」

 流石に今回、父親たちがどう出るかわからない以上、いきなりアルカを連れてくることは出来なかった。が、心優しい彼女が両親を恨んでいないのは本当である。大きな望みを抱かず、子供の遊戯のようなささやかなおねだりとお願いだけならば、ナニカとも十分共存していける。そのことはこの数年間を通してナナミ が証明してくれた。お願いをする人間の心が優しければ、ナニカは恐ろしいおねだりなど絶対にしないのだ。そしてそうやってアルカと正しい関係を築くべきだったのは、ナナミ ではなく本来この両親のはずだった。

「アルカが? 本当に、あの子が会いたいと言っているのか?」

 目を見開き、それからすぐに苦悩の表情を浮かべた父親を見て、キルアはふっと表情を緩める。父の口から出た"あの子"という言葉がどうしようもなく嬉しかった。ようやくこれで自分も、シルバのことを真に父親だと思うことが出来る。可愛い妹のアルカが持たない"家族"を自分だけが持っていることは、少なからずキルアを苦しめていた。でももうそれも終わりなんだと思うと、すっと胸のつかえが取れるような気がした。

「あぁ。言っただろ。アルカは優しいんだって」
「……そうか……すまなかった」
「それは本人に言ってやってくれよ」
「そうだな。ナナミ さんも、アルカと一緒にいてくれたのだろう? 本当にありがとう」
「俺からも。全部、全部ナナミ のお陰だ……ありがとう」

 突然礼を言われて驚いた様子のナナミ だったが、やがて彼女の瞳に涙の膜がぶわりと広がる。

「う、うぅ……よかった、よかったよぉ……」

 ぐすり、と泣き出した彼女にミルキはぎょっとし、キキョウは慰めるようにハンカチを差し出した。
それを受け取った彼女は、後から後から溢れてくる涙を拭う。本人が会うのだと言い出したことだけれど、彼女は彼女なりにきっと不安でいっぱいだったに違いない。キルアが嫌な思いをするのではないかと、自分のせいで家族が余計に壊れてしまうのではないかと、心配だったに違いないのだ。

「わ、私こそ、この世にキルアさんを産んでくださって感謝してます! 本当にありがとう……!」
「まあまあ、キルは本当に素敵な方を見つけたのねぇ」
「そうだな。そろそろ食事もあらかた終わったところだし、一度落ち着くためにお茶を運ばせよう。それからまた俺達の知らないキルの話を聞かせてくれないか?」
「ええ、ええ! もちろんです!」

 泣きながらぶんぶんと頷くナナミ を見て、ミルキが「お前も強烈なの捕まえたな」と小さく囁く。それに「羨ましいか?」と笑って返せばものすごく微妙な顔をされたが、こうやってミルキとくだらないやり取りをするのもとても懐かしかった。ナナミ が挨拶に来ようと言い出さなれば、もしかすると一生こうして家族と言葉を交わす機会もなかったかもしれない。
そう思ってキルアが改めて、ナナミ の存在に感謝したときだった。

――がちゃん。

「……え?」

 二度目の無作法は、キルアによるものではなかった。しん、と静まり返る室内で、温かい紅茶がテーブルクロスにじわりじわりと染みを作っていく。

「ナナミ さん!?」

 キルアは何が起こったのか理解できなかった。つい先程までこの家には乏しい色とりどりの感情を見せていたナナミ が、その顔をテーブルの上につっぷしてぴくりとも動かない。「どういうことだ!? 彼女のものは毒抜きを用意するよう指示したはずだぞ!?」立ち上がった父親の怒声が、ぐわん、とどこか遠いところで響いて聞こえる。

ナナミ 、どうして、そんな、嘘だろ……?

 ばたばたと珍しく足音を立てて執事が走る音。呼吸を確認するため、上を向かされた彼女の顔色は新雪のように色を失っている。目の前で彼女が運び出されているのに、キルアは駆け寄るどころか、指の一本すら動かせなかった。

「ふぅん、ハンターって言っても、所詮その程度なんだね」

 今までずっとなんの関心も示さず、ほとんど空気のようでさえあった、イルミのこの一言を聞くまでは――。



「イル兄ッ……!イル兄がやったのか!?」

 がたん、と背後で椅子がひっくり返る音がしたが、キルアは構わずイルミに飛びかかった。頭の中が真っ白になり、強引に兄の胸ぐらを掴んで立ち上がらせる。こうやって並べばいつの間にかキルアの身長はほぼイルミと変わらなくなっていた。いや、それどころか少しキルアの方が高いくらいだろう。

 両親はナナミ について部屋を出ていってしまっている。残されたカルトとミルキが息を呑む中、いきなり手荒な真似をされてもイルミの表情は憎らしいほど動かなかった。

「意外だな。キルって、まだオレのこと兄貴だと思ってたんだ?」

――今度ナニカを"ソレ"呼ばわりしてみろ、貴様を兄貴とは思わない

 かつて自分がイルミに投げた言葉が、脳内で反芻される。それが嫌味なのか、本心から驚いているのか、今のキルアはそんなことを考えている余裕はなかった。

「……いいから答えろ。返答次第じゃ、俺はお前を許さない!」
「許さない? 一体何の話をしてるの? オレ、何かした?」
「ッ……! ハンターって言っても、所詮その程度だって、」
「あぁ、ハンターを侮辱したことを謝ればいいの? 悪かったよ、まあオレもそのハンターなんだけどね」

 ははは、と棒読みの笑いを零したイルミを見て、キルアの米神に青筋が浮かぶ。しかしそのまま力任せに振りかぶろうとしたキルアの拳を、後ろから掴んで止めたのは末弟のカルトだった。

「……カルト、なんのつもりだ」
「キルア兄さん、ナナミ さんの様子、見に行かなくていいんですか」
「……」
「紅茶が運ばれてきた時、イルミ兄さんはナナミ さんから最も遠い席に座っていました。あの時イルミ兄さんが何もしていないことは僕が証言します」
「だけど! そんなの、執事に命令してッ!」
「失望させないでください。あなたは……あなたは僕の憧れの兄さんだった」

 その言葉を聞いた途端、握っていた拳からも、イルミを掴んでいた手からも、へにゃりと力が抜けた。確かにここでイルミを殴っても何にもならない。第一何の証拠もないのに、そんなことをすればキルアは完全な悪者だ。しかしキルアを最も冷静にさせたのはカルトの忠告そのものよりも、"憧れだった"という過去形だった。思えばキルアはこの末弟のことを、兄として可愛がってやった記憶があまりなかった。アルカの件のように針で忘れさせられていたわけでもないのに、キルアがカルトのことを気にかけた回数なんて数えられるほどしかなかっただろう。生真面目な性格の弟のことだ。一時期は旅団などにも関わっていたらしいが、こうしてまた実家に戻って仕事をしているあたり、今の弟の尊敬する人間がイルミであっても当然のような気がした。別にカルトはイルミを庇ってキルアを止めたわけではなかっただろうが、キルアはそんな風に思ってしまったのだ。

「あぁ、もしかしてキルはオレがあの女に毒を盛ったって勘違いしたの? それでそんなに怒ってたんだ」
「……」
「でも、カルの言うようにオレは何もしていないよ。執事の誰かがついうっかり、間違って入れたんじゃない? うちでは毒入りの食事が"普通"だし、まさか"普通"の人間がキルの婚約者としてやって来るなんて思わないだろうしね」

 イルミは小さく肩を竦めると、何を思ったか「手伝おうか?」と唐突に言った。キルアに掴まれたワイシャツの胸元はぐしゃぐしゃに皺になっていたが、ちっともそんなことは気にしていないとでもいうように。

「……手伝う? 何を?」
「ミスをした執事を探すこと。キルには罰を与える権利があると思うよ? なにしろ、大事な大事な婚約者を殺されたんだから」
「ナナミ はまだ死んでないッ!!」

 いくら呆然として動けなかったとはいえ、運ばれていく彼女の胸が浅い呼吸のために上下していたのは確認している。縁起でもないことを言うなと睨みつければ、イルミは呆れたように小さく息を吐いた。

「キルは本当に変わっていないね」

 その言葉の裏側には"成長が見られない"という意味が存分に含まれていたが、キルアはそれを無視した。ばっ、と身体を反転させ、ナナミ のところに向かうために応接間を出る。
一人になると怒りよりも恐怖が足元から這い上がってきて吐きそうだった。もしもナナミ が死んだら――。そんなの、そんなのって――。

「キル! あなた、まだこんなところにいたの!? 早くいらっしゃい!」

 ドレスの裾を両手で持ち上げ走りよってきた母親は、キルアの姿を見るなりあの懐かしいキンキン声で喚き立てた。前は耳障りで煩わしさしかなかったのに、今はそうやって叱ってくれる誰かが有難いと思ってしまう。「ナナミ は……?」絞り出すように問いを向ければ、母は大きく頷いた。

「解毒剤を飲ませたわ! とりあえず意識もあってちゃんと受け答えもできるようだし、さすがあなたが選んだだけあるわね!! とにかく早く顔を見せて早く安心させてあげなさい!」
「そっか、よかった……」

 それを聞いた途端、安堵が胃の腑にずしりと落ちて、キルアは深いため息を漏らした。ゾルディック家の食事は基本的にフルコースになっている。そして全ての食事が耐毒の訓練であるため、コース順に毒の強さは後半にかけてより強くなっていく。それは自分の限界を知り、無理な段階へ進まないようにするための配慮で、中には毒の組み合わせによる相乗効果を狙う意図もあるだろう。食後の紅茶はいわば、毒のフルコースの中で大トリだった。一口とはいえ、ナナミ が口にしてしまってすぐに意識を取り戻したのは、彼女が伊達に修羅場をくぐっていない証拠である。それがわかってキキョウはどことなく嬉しそうな顔をしていたが、さすがに不謹慎だと思ったのか。取り繕うように、一度唇を引き結んだ。

「いいえ、その……ナナミ さんのことは私達も申し訳なく思ってるわ。キルは信じられないかもしれないけれど……」
「わかってる。親父たちが何かしたとは思ってないよ」
「そう、ならいいんだけれども……」

 キルアは頷くと、それ以上の会話をすることは避けた。母親の性格的に、もしもナナミ が気に入らなければ真正面から殺しにかかるだろう。わざわざ感動的な茶番を演出してから毒殺なんて、そんなまどろっこしいことができる人ではない。となるとやはり執事のミスを疑うのが普通だが、先ほどのイルミの態度がどうしても引っかかる。決めつけだと言われれば反論できないが、あの男ならやりかねないとキルアは思っていた。

――でも、何のために?

 キルアはもうこの家の跡継ぎではないのだ。今更家業に関係ない妻を迎えようと口を出される筋合いはない。関係もないだろう。だからもしもこれの仕業がイルミなら、あの男にしては珍しく非合理的な理由で動いたことになる。
 恨み? 単なる嫌がらせ? 他の人間なら考えられたが、良くも悪くもあの人形のような兄にそのような感情があるのかすら疑問だった。ここでイルミがナナミ に危害を加えるメリットははっきり言ってゼロだ。キルアははっきりと否定したものの、ゾルディック家のことを考えるなら、なるべく良好な関係を築いておいてキルア共々、家の駒として引き込める機会を待つほうがよほど彼らしいだろうに……。

 そんなことを考えながら案内されてたどり着いた部屋は、存在だけはしていたゲストルーム。その無駄に豪華な部屋の中、ナナミ は広いベッドに横たえられており、扉が開く音でゆっくりとその顔をこちらに向けた。

「ナナミ ! 大丈夫か?!」

 キキョウの言う通り、意外と意識ははっきりしているらしかった。ただ毒が神経系に作用するものだったのか、まだ動きが鈍い。緩慢に頷いた彼女の手を握り、キルアは心の底から謝罪する。「ゴメン……守ってやれなくて」ありきたりな台詞だったけれど、それ以上の言葉が見つからなかった。あまりの情けなさに唇が震える。
 ナナミ はゆっくり首を横に振ると、絞り出すようにして言った。

「……せっかく……のに、嫌いに、ならないで……」
「ナナミ ……」

 彼女が嫌いになるなと言ったのは、毒入りの料理が普通に振舞われるこのおかしな家か、故意か事故かはともかく毒を入れた誰かか、それともここに暮らす家族そのものか。もしくはキルアがキルア自身を、ということもあり得る。実際、今のキルアの自己嫌悪はすさまじい。こちらを気遣ってくれるナナミ の優しさが、逆に苦しいほどだった。

「ナナミ をこんなとこに連れてこなきゃよかった。ナナミ が動けるようになったらすぐに帰ろう。二度とこんな家、」
「キルア、だめ」
「……」
「せっかく、家族、仲良く」
「家族なんてどうでもいい」
「そんな人が、私に、家族になろう、言ってくれたの……?」

 力強い瞳で睨まれて、思わずぐっ、と言葉に詰まる。思うように身体が動かせない彼女はその目で気持ちを伝えるほかなかったが、だからこそその視線は怒りを雄弁に語っていた。

「ナナミ と、ナナミ とアルカは別だ」
「だめ」

 言い訳のようなキルアの言葉はもちろん通用しない。キルアの好きな人間は――ゴンもアルカも、ナナミ も、みんな頑固で真っすぐだ。その意思の強さは酷く面倒な反面、キルアが惹かれてやまない光だった。

「ちゃんと、話して。私は許す、だからキルアも、許して」
「……でも、ナナミ を一人にはできない」

 いくら解毒剤を飲んだとはいえ、ナナミ を一人にするのは不安だ。もちろん壁際には執事が控えているものの、キルアにとってそれは数のうちに入らない。誰の息がかかっているかわからない人間だし、たとえ単なるミスだったとしてもナナミ をこんな目に合わせたのである。顔見知りの、せめてゴトーかカナリアあたりでなければ信用できなかった。

「キルア様、差し出がましいことですが我々からもどうかお願いします。シルバ様とお話になってください。あの方は自ら厨房の方へ向かい、犯人を捜されています。決して、ナナミ 様に害意を抱かれるような方ではありません」
「それくらいわかってるよ、でも、」
「ナナミ 様のことは我々執事が責任を持って看病いたします」
「……じゃあ、カナリアを呼んで。今すぐ」
「はい、かしこまりました」

 ここでカナリアを選んだのは、ナナミ と同性だからだ。ゴトーのことは信頼しているが、ナナミ だって強面の男に見張られるより、年の近いカナリアの方が安心するだろう。キルアの命令を受けた執事はインカムを使ってカナリアを呼び出す。あの頃と寸分たがわぬ特徴的なドレッドヘアの彼女が部屋にやってきたのは、それから数分も経たないうちだった。

「キルア様、お久しぶりです」
「あぁ、カナリアも元気そうでなによりだ。悪いが、今はゆっくり話せる気分じゃない。ナナミ のことを頼めるか? オレは親父と話をしてくる」
「……はい、キルア様」

 それはカナリアにしては随分と歯切れの悪い返事だったが、既に父親との会話に意識が向いているキルアは気づかない。あれからもう八年も経っているのだ。優秀な彼女が誰かの直属になっていてもおかしくないと、気づけなかったのが悪いのだ。

▼△

 キルアから帰る、会わせたい人がいるんだ、と知らせがあったのはちょうど二週間前の今日だった。それを聞いたとき、イルミは自分がどう思ったのかもう思い出せない。相変わらず仕事に忙殺されて充実した日々を送っていたので、とにかく予定を調整しなければ、と考えたことは覚えている。しかし肝心の“八年越しのキルアの帰省”については、両親のように感慨深い思いにはなれなかった。

 というのもイルミは一方的にとはいえ、ここ八年間のキルアの動向をちゃんと把握していたからだった。ナナミ との馴れ初めだって今更改めて聞く必要もなく、キルアの現在の交友関係も仕事での繋がりも大体のことは知っている。むしろ懐かしさを覚えろというほうが無理なくらいで、改めて顔を会わせてもやはりキルはキルのまま・・・・・・・・だと思った。いくら背が伸びて強くなろうとも、精神的な脆さは変わっていない。そのことが物凄く不快で、目障りだった。むしろあの女の存在で、余計に弱くなったのではないかとすら思う。

 正直に言えばイルミだって、今更キルアが家業を継いでくれるとは思っていなかった。仮にキルアが心を入れ替えて暗殺をやると言っても、家督はイルミのままになるだろう。父は流石にそのような横暴を許す人ではない。いくらキルアが可愛くても、父には先祖代々受け継いできたゾルディックを守る責任があるのだ。ずっと逃げだしてきたキルアにおいそれと任せられるようなものではないだろう。対外的にもイルミが次の当主だと公言してしまっている今、キルアが家業を継ぐ可能性は本人の意思に関わらずゼロに等しかった。

 ならばなぜ、イルミはこんなにもキルアとその婚約者の存在が不快で仕方がないのだろうか。イルミは家督を奪われるのを恐れているわけでも、キルアにもう一度家を継いでほしいと思っているわけでもない。キルアがゾルディックに戻らないであろうことを悟った後も、わざわざその動向を探っていたくらいには弟のことも可愛かった。久々に会えて嬉しくないわけではない、はずなのに……。

「へぇ、思ってたより頑丈みたいだね」

 キルアが父親と話すために席を外した――その連絡は当然、イルミ直属の執事である・・・・・・・・・・・カナリアから受け取っている。音もなく扉を開け、室内に入ってきたイルミにナナミ は驚いたようだったが、イルミがキルアの兄だとわかると少し安心したような雰囲気を醸した。けれどもその、自分はキルアの家族に歓迎されているという思い上がり・・・・・もイルミにとっては全て不愉快の種でしかなかった。

――お前が、お前がキルアを駄目にしたくせに。

「解毒剤を、いただきました、ので……」
「そう、よかったね。間に合って」

 イルミのそれは、はっきり言って八つ当たりに近い感情だった。キルアがゾルディックを出たのは、なにもナナミ と結婚するためではない。彼女と出会ったのはキルアが家出をした後だし、強いてキルアに悪影響を与えた人物を挙げるならそれこそまだ交友の続いているゴンがいる。ナナミ に悪感情を向けるのはどう考えてもお門違いだった。

 しかしゴンは確かにキルアをゾルディックの庇護下から奪ったが、ゴン自身がゾルディック家に取り入ろう・・・・・としたことはなかった。彼はきっとキルアの両親にもイルミにも、自分の存在を認めてもらう必要はないと思っているだろうし、キルアの希望を邪魔するのなら友人の家族を敵だとすら認識してくるだろう。それは確かに厄介ではあったが“キルア個人”ではなく“ゾルディック”を守りたいイルミにしてみれば関わらなければそれきりの相手だった。ゴン側もきっとそうで、“キルア個人”に対しては干渉するが、“ゾルディック”の在り方などどうでもいいに違いない。

 だが、ナナミ は違う。ナナミ は“キルア”だけでは飽き足らず、図々しくも“ゾルディック家”への干渉を望んだ。今回キルアが八年越しに帰省を決めたのも、おそらくこの女の後押しがあってこそだろう。ナナミ が“キルアの妻”だけで満足していれば、イルミはそこまで苛立たなかった。暗殺も行うつもりもなく、あんなくだらない毒で倒れるくせに“キルア=ゾルディックの妻”であろうとしたのが許せなかったのだ。

「でも、これでよくわかっただろう? お前はこの家に相応しくない。よく恥ずかしげもなく挨拶なんてしに来れたね」
「……」
「キルアと温かい家庭を築きたい? 他人の家庭を壊したお前が、図々しいにもほどがあるよ。せめて、」

――せめて、どこかゾルディックと関わりのないところでやるならともかくも

 イルミはそう言いかけ、言う必要はないかと思い直し口を閉ざした。これではまるで、イルミがキルアとこの女の結婚を認めたみたいだ。ただ関わり合いたくないだけなのに、また女を付け上がらせる口実を与えるのはよくない。ナナミ と腑抜けたキルアの姿は、イルミの教育が失敗であったと如実に示す生きた証拠だ。監視して全て知っていたくせに、いざ目の前に――ゾルディックの内側に存在されると苦しくて憎くて仕方がなかった。

 一方、唐突に悪意を面と向かってぶつけられたナナミ はというと、動揺するわけでも悲しむわけでもなく、じっとイルミの言葉を聞いていた。少しは傷ついた表情でもすれば可愛げがあるものの、こういうところも含めて憎たらしい女だと思う。
イルミが黙ると、ようやく彼女はまだあまりまわらない舌を懸命に動かして言葉を発した。

「お義兄さんは、反対、ですか?」
「……それは親父も言っただろ、その質問は無意味だ。反対したところでキルが結婚をやめるとは思えない。それなら許可を取ろうとすること自体、茶番だって言ってるんだよ」
「好きな人の家族に、認められたい、思うの……おかしいですか?」
「ただの自己満足でしょ」

 八年越しに和解する家族。そのきっかけを作ったのは妻。どれも聞こえはいい美談だが、その八年間、誰がその家族を支えてきたと思っているのか。今更大団円を望むなんて虫がいいにも程がある。幼い頃からほとんど親代わりのようにして育てたキルアが不幸になればいいとまでは思わないが、ゾルディックを捨てたなら捨てたなりの生き方をすればいい。先に家族を裏切ったのはキルアなのだから。
 しかしナナミ は納得がいかないのか、家族なんだから、と呟く。家族だから、なんなのだ。和解して当然と言うのか。全て受け入れろと言うのか。まだ家族でもなんでもないお前が。ゾルディックに相応しい能力すら持たないお前が――。

「……殺されたくなかったら、出て行って」

 結局イルミが言えたのはそれだけだった。それがイルミにできる最大限の譲歩だった。ちょうどそう言ったとき、バンと勢いよく扉が開いてキルアが部屋の中に駆け込んでくる。かつて最愛だった弟は庇うようにナナミ の前に立つと、隠しきれない憎悪のこもった眼差しでイルミを睨みつけた。

「やっぱり、やっぱりイルミ、お前は……」
「やぁ、キル。父さんとの話は終わったの? 犯人は見つけられた?」
「ナナミ に何もしてないだろうな……?」
「本人に聞いてみれば? 意識はあるんだからさ」

 別にここでナナミ がキルアに泣きついて、あることないこと吹聴しようがどうでもいい。キルアはそれに怒って二度とこの家の敷居を跨がないかもしれないが、それは同時にイルミの望むところでもあるのだ。キルアのことは大事だし、まだ家族だとは思っているけれど、それは別に一緒にいなくても成り立つ話。ハッピーエンドでなくてもキルアとイルミの血の結びつきがなくなることはない。よそ者のあの女に言われて和解などしなくても、キルアとイルミは最初から最後まで家族なのだ。一生、それこそ、死んでも永遠に。婚姻の結びつきよりも、血の繋がりのほうが根深く、重く、尊いのだ。

「ナナミ 、大丈夫か? 何もされてないか?」
「なにも。お見舞い、来てくれただけ」
「……本当に?」
「うん」

 そうやって健気な妻を演じるのも、どうせナナミ の自己満足だ。現にキルアはまだ不信の残る眼差しをこちらに向けているし、状況やこれまでの関係性から考えてキルアが疑うのも当然だと思う。本当に、意味のない茶番をしたがる女だ。だからイルミはあえてその安っぽいシナリオをぶち壊してやる。いつまでも感情の制御ができない未熟なキルアを激昂させるのは、それこそ赤子の手を捻るくらい容易いのだ。

「オレは何もしていないよ、オレはね。でも、カナリアからキルアに言いたいことがあるみたいなんだ」
「……カナリア?」

 突然出てきた執事の名前に、キルアの表情は一瞬だけ呆けたように緩む。それもそうだろう。彼女はキルアの命令でここに呼ばれて、ナナミ の容体が急変するようなことがないか見守っていただけだ。イルミの侵入を許してはいるものの、それはただの執事である彼女に止められることではない。
 名前を出されたカナリアは、俯きがちに一歩前へと進んだ。それから角度も所作の美しさもかなぐり捨てた勢いで、キルアに向かって深く深く頭を下げた。

「キルア様……! 本当に申し訳ございません、ナナミ 様の紅茶を用意したのはこのカナリアめでございます。いかなる処罰も受けさせていただきます!」
「……うそ、だろ?」
「いいえ、わたくしです。本当に申し訳ございません。どうぞなんなりと罰を」

 カナリアは優秀な執事だ。その才覚は彼女が執事見習いであった頃からいかんなく発揮されていたし、キルアも年が近く、自分を慕ってくれる彼女を信頼していた。だからもしもキルアがあのままゾルディック家を継いでいれば、彼女は間違いなくキルアの直属の執事になっていただろう。しかしキルアはあの通り家を出てしまったし、直属を持てるのは歴代当主だけ。となると優秀なカナリアが従うことになるのは、順当にイルミとなる。その程度のことに頭が回らないとは、やはりキルアは随分と腑抜けてしまったのだろう。彼女が今現在意に沿わない命令を強いられる立場にあるとしたら、それは全部キルアの選択の結果だ。カナリアはキルアが家を出たことによって生じた、歪みの犠牲者だ。

「なんで……」

 ようやく事態を理解したキルアは、八年前と同じように泣き出しそうな顔になってイルミを見る。カナリアが紅茶から毒を抜き忘れるだなんて間抜けな“ミス”をするはずがない。明らかにこれは作為的なものだ。でもキルアは昔馴染みのカナリアを裁けないし、その背後にいるイルミの仕業だと騒いだところで忠誠心の高いカナリアは頑として認めないだろう。それどころかこの件はキルアによって不問にされなければ、カナリアの首が飛ぶ。あの頃のまま優しくて弱いキルアには、他にとれる選択肢などなかった。

「くそっ! なんで、なんでそこまでするんだよ! そんなに俺が憎いのかよ!?」
「カナリアは別にキルが憎くてやったわけじゃないと思うよ。元はキルアに仕えたいと思っていたそうだし、キルの婚約者をちょっと試してみただけなんじゃないかな」
「……イルミ、お前もやっぱり変わってなかった。あの頃のまま、最低だ……」
「人はね、簡単には変わらないんだよ。もちろん、一度壊れた関係もね」

 最後の言葉はキルアではなく、その後ろのナナミ に向けて言った。キルアはきっ、と唇を噛みしめると、振り返ってナナミ を抱き上げる。「悪い、無理させるけど帰るぞ」賢明な判断だと思う。このままここにいたって和解などありえないし、お互い嫌な思いをするだけだ。そもそも本当に和解を望むのなら、祝い事にかこつけて何の歩み寄りも謝罪もなく受け入れてもらおうというのが間違っている。両親はキルアの両親であるがゆえに――子供可愛さに無条件で許すかもしれないが、兄弟に無償の愛など通用しない。特にここ、ギブアンドテイクが当たり前のゾルディック家ではそうだ。そんなことも忘れたのか。

「……もう、もうナナミ をこんなところには連れてこない」
「そうしてくれる? 父さんたちは悲しむかもしれないけど、きっと本音はキルさえ顔を出してくれれば満足だと思うよ」

 キルアはそれには返事をせず、ナナミ を抱きかかえて荒々しく部屋を出て行った。でもキルアの性格上、ナナミ のことを認めた両親を――アルカのことで謝罪した両親を無下にはできないはずだ。だからこれで何も問題はない。イルミはイルミの家族だけ・・・・・・・・、仲良くしていればそれで満足だ。そこにたとえ、イルミ自身が含まれなかったとしても――。

「……自己満足はオレもだね」

 思わずぽつりと呟いた言葉に、傍で控えていたカナリアは複雑そうな表情になった。しかしそこにはあるはずの恐れも嫌悪もなく、ただ同じ痛みを受けたような苦々しさと同情が滲んでいたので、八年という長い歳月は確かにほんの少し人を変えるのかもしれないなと思った。


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