- ナノ -

■ 真顔で真面目に真に受ける

一週間、いや二、三日も経つとヒソカはすっかりマネージャーの件を忘れていた。
いつも通り何者にも縛られず、自分の興味の赴くままに行動する。
そして今日はそんなに暇なら、とイルミに誘われた仕事で大暴れしようと、楽しみにしながら待ち合わせ場所に向かっていた。

「お待ちしておりました、ちなみに五分の遅刻です」
「……えっと、キミは……?」

見慣れた黒服はゾルディック家執事のもの。待ち合わせ場所に既に佇んでいた女を見て、ヒソカ首を捻る。誰だっけ、どこかで見た顔だな……。ちなみに遅刻をするとイルミに文句を言われるため、早めにやってきたつもりだった。現に待ち合わせ時刻まであと十分もある。

女はヒソカの反応に少し眉をしかめ、それから憮然とした表情でナナミですと名乗った。「貴方のマネージャーの」付け加えられた言葉に記憶がようやく蘇ってくる。

「あぁ……」

そういえばつい先日会ったばかりだった。依然としてマネージャーを名乗り続けているということは、イルミにまだ断られたことを言っていないのだろう。
ヒソカは小さく肩をすくめると、で、イルミは?と聞いた。遅刻扱いされたのだから、当然彼はもう来ているものだと思ったのだった。

「イルミ様はまだ前の仕事でお見えになっていません」
「え?じゃあボク全然遅刻してないじゃないか」
「イルミ様と待ち合わせする際は十五分前行動を心がけてください」

彼女はぽかん、とするヒソカをよそに、スーツと同じ真っ黒な手帳を取り出す。こちらのことなど全くお構い無しだ。

「この仕事の後の予定をお聞かせください。車を準備しておきます」

ナナミはイルミから何も聞いていないのだろうか。ヒソカにこのあとの"仕事"なんてあるわけがない。ヒソカはあくまでも暇つぶしに手を貸しているだけで、職業として殺しをやっているわけではないのだ。

「生憎今日はこの予定が最後でね、後はオフなのさ。だからキミはイルミと帰ればいい」
「では明日のご予定は?」
「特に無いね。明日も明後日も、その先も」
「……失礼ですが、普段は何を?」
「青い果実探し、かな」
「ではどちらのフルーツ農園まで送迎したらよろしいでしょうか」
「……うん、明日はキミだけ行って先に視察してきて」

わかりました、と真顔で頷き、メモをとる彼女。「ゾルディック家の契約農家のほうにもあたってみます」ここまで真面目に受け取られては、からかい甲斐があるのかないのかよくわからない。が、とにかく騙してはぐらかすのは楽そうだ。つきまとわれさえしなければ、ヒソカは基本ナナミのことなんてどうだってよかった。


「あ、イルミ様、お待ちしておりました」

やがて前の仕事が終わったのか、イルミが時間ぴったりに合流する。こちらに近づいてきた彼は、や、と片手をあげて挨拶をし、それからナナミを見てゆるく首を傾げた。

「あれ、どうしてうちの執事がヒソカと一緒にいるの?」
「えっ?えっと、あの、私はイルミ様のご命令でヒソカ様のマネージャー業務を……」
「マネージャー?あぁ、そういやそうだっけ」

イルミは自分で言い出したにもかかわらず、すっかりナナミのことを忘れているようだった。理由がわかってすっきりしたのか、もうナナミには見向きもしない。相変わらず仕事のことで頭がいっぱいのようで、早速次の計画について話し出す。

「今回ヒソカにやってほしいのは陽動だから、派手に暴れてくれていいよ。向こうにも念能力者が複数いるみたいだから一人くらい気に入る奴がいるかもね。あ、ただ、侵入経路は指定させてもらうから」
「OK」

ヒソカは頷き、それから呆然としているナナミをちらりと見た。彼女はイルミに言われたことを上手く飲み込めなかったようで、手帳を握りしめたままその場に立ち尽くしている。「よかったじゃないか、ナナミ」ぱちり、彼女と目が合った。


「え、えぇ……はい」

納得がいっていない様子ながらもひとまず彼女が頷いたので、ヒソカはこれでこの件は片付いたのだと思った。そもそも、元を辿ればくだらない失敗話だ。冗談ですら真顔で言ってしまう雇用主と、なんでもかんでも真に受けてしまうナナミの性格によって引き起こされたすれ違い。ナナミが普通に元の執事業に戻っても、イルミはきっと彼女を殺したりはしないだろう。というかイルミはきっと覚えてすらいないに違いない。
だからこれで全部元通り。
そう思ったヒソカだったが、彼はこのあと自分の予想が甘かったことを知る。



「お仕事お疲れ様です。そろそろご自宅に戻られますでしょうか?送らせていただきます」

仕事を終えるとどこからともなく現れた黒塗りの高級車に出迎えられ、ヒソカは頬をかいた。これでも済ませた仕事が仕事だから、あちこち関係のない場所に寄ったり、ひとけのない道を選んで通ってきたつもりだったのだが、どうやら彼女はしっかりと追跡してきていたらしい。後部座席のドアを開け、当たり前のようにさぁどうぞ、と待ち構えるナナミに、ヒソカは呆れを通り越して感嘆のため息をもらした。

「キミ……イルミと帰ったんじゃなかったのかい?」

確かにナナミの行動は執事として褒められたものだろうが、彼女が本来出迎えるべき人間はヒソカではない。命令を出した本人が覚えていない命令など無効だろうし、さっきはナナミだって執事に戻る感じだったではないか。ヒソカの指摘に、ナナミは困ったように眉を下げる。

「私も一瞬、そうしようかと思ったんですが……よく考えるとイルミ様、別に私に戻ってきていいとも、冗談だったともおっしゃってないんですよね」

ーーマネージャー?そういやそうだっけ。

ナナミがイルミの命令でヒソカのマネージャーをしている、という話を聞いて、イルミの反応はそれだけだった。つまり彼女は悩んだ結果、それを肯定ーー命令の続行と受け取ったらしい。

「それに結局、私まだマネージャーらしいことをなにひとつできていませんから。このまま戻れば、私は罰を受けたことになりません」
「……」
「というわけでしばらくの間よろしくお願いしますね。あ、そうです、フルーツ農園の件ですが、この時期ですとりんごとみかんとどちらにされますか?」

このまま逃げても、彼女ならしつこく追ってくるだろう。勝手な罪滅ぼしにつきあわされるのはゴメンだが、逃げ続けるよりも適当な用事を言いつけて追い払うほうが楽に違いない。
どうせ、気が済むまでの間だけだろうし。

「じゃあ、りんごで」

車に乗り込んだヒソカはナナミの後頭部を見ながら、一体どこの家の住所を告げようか考えていた。

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