- ナノ -

■ 明日もまた

 たった二週間と考えるか、もう二週間と捉えるか。

 かつてヨークシンで買ったお揃いのビートル07型を片手に、キルアはかれこれもう一時間近くはうんうん唸っていた。ちらりと時計を見ればもうすぐ日付も変わろうかという頃合で、アルカは隣のベッドですやすや気持ちよさそうな寝息を立てているし、健康的な生活が染み付いているゴンも、もしかしたらとっくに眠っているかもしれない。
 そもそもゴンは父親との再会を果たしたら、一旦くじら島のミトさんのところへ帰ると言っていた。一度だけ訪ねた彼の故郷はとても穏やかで美しかったけれど、あの生活ではどう考えても夜は早いだろう。
 キルアは小さくため息をつくと、自分もまた暗闇の中、ベッドにごろりと横になった。

 もう二週間。世界樹の街でゴンと別れてから、もう二週間も経つ。家を出てから一年半以上共に行動してきたゴンと離れて、もう二週間も経っているのだ。寂しいとか、寂しくないとかもはやそういう次元ではない。前を向いたとき、ふと横向いた時、無意識にゴンを探してしまっている自分がいて、キルアはハッと小さく息を呑むのだ。そして、思う。

 ――あいつ、どうしてんのかな

 もちろん旅をしていた間だって、何から何まで常に一緒だったというわけではない。天空闘技場でゴンが療養を命じられた際もキルアは一人で行動していたし、グリードアイランドのプレイ権を得るため、必殺技を習得する必要があったときも各自で特訓をした。その後キルアのハンター試験で完全に離れたこともあったし、キメラアント戦では別行動。やっとピトーを倒したと思ったら、今度はゴンが酷い有様で病院送り。それこそ、一生の別れになるかと思った。
 だからゴンが元気で生きているのなら、別に二週間会わないくらいどうってことないはずだった。ましてや、キルアの隣には今アルカがいる。何年も離れ離れで、その存在すら忘れさせられていた大事な妹を優先してやりたいと、キルア自身でそう言った。妹を守るということ――それがゴンとの旅でキルアがようやく手に入れた、"覚悟"と"目的"だったのだ。

「……でも、すぐ連絡するって言ったじゃんかよ」

 キルアにとっては"もう"二週間でも、ゴンにとっては"たった"二週間なのだろうか。それとも何かあったら、と言っていたので、本当に何もなければメールのひとつ、電話のひとつも寄越さないつもりなのか。とはいえ、実際キルアの方もなんだかんだと文面に悩んだ挙句、ゴンにメールを送っていなかった。旅をしていた頃は、買い物や待ち合わせでちょっとした連絡を入れることはあったけれど、改まって近況報告のメールを送るとなるとどんな風に書いていいのかわからなかったのだ。キルアには家族以外で、それも仕事のこと以外で、長いメールを打つような相手はこれまでいなかったし。

 ――そんなに気になるなら、自分から電話してみればいいのに

 別にキルアはゴンから連絡が無いことについて、不満を口にした覚えはない。それなのにいつの間にかアルカに呆れられるくらいだ。心配しなくてもあいつは大丈夫だって、なんて言いつつ妹に言われた言葉はまさに図星で、おまけにどうしようもないほど正論だった。正論だと思ったからこそキルアはこうして自分から電話をかけようと、かれこれもう一時間近く携帯を握りっぱなしでいるのだ。もはやとっくに電話をかけるような時間ではなくなってしまっているので、明日にするかとほとんど諦めかけているけれど。

「……ん、待てよ、あいつ今くじら島にいるなら、ちょうど時差であっちは朝なんじゃねーの?」

 今まで幽閉されていたアルカに色んな世界を見せてやりたいと、世界樹の街を出たキルアは早速飛行船に乗って遠くを目指した。ここからだと時差にして五、六時間程度だろうか。夜が早いくじら島ならば、逆に朝は早い。依然として電話をかけるに相応しい時間帯とは言えなかったが、ささやかな兄貴のプライドとして、なるべくならアルカに電話をかけるところを見られたくはなかった。
 そうだ、今しかない。そう思うとあれほど悩んでいたのが嘘みたいにキルアは発信ボタンを押していた。話す内容は決めていなかったけれど、メールよりはなんとかなるだろう。耳をすましてコール音が途切れるのを待つ。
 一回、二回、三回。
 四回目でようやく「もしもし?キルア?」ともはや懐かしさすら感じる声が聞こえた。電話の向こうの声はまだ少し、眠そうな響きをはらんでいる。

「おはよう、どうかしたの?」

 やっぱり向こうは朝だったみたいだ。ごくごく自然に投げかけられた挨拶に、キルアは一瞬言葉に詰まる。それはこちらが"おはよう"の時間帯ではなかったからではなく、単純にゴンの態度があまりに自然だったからだ。まるで何事もなかったかのように、久しぶりの一言もなく、昨日の続きのような自然さだった。

「どうって、その……連絡するって言ったろ」
「あ、うん、そうだね」
「そうだねって、忘れてたのかよ?お前な〜もう二週間も経ってんだぞ」
「あはは、ごめん。久しぶりにミトさんに会ったら、話をしてるだけでもあっという間に時間が過ぎちゃって」

 その光景を想像するのは簡単だった。ミトさんはゴンと血の繋がった母親ではないけれど、二人の絆は確かに家族のそれだ。キルアが少し羨ましさを感じるほど、ミトさんはゴンのことを大事に思っているし、ゴンも彼女を大切にしている。だから旅に出てからたったの二回だけれど、ライセンスの取得、父親との再会といったように節目節目でゴンはちゃんと帰省をしている。一方のキルアは旅に出てから二度も家を出ることになったのだが、それについてはむしろ感謝しているくらいだ。

「そっか、ミトさんは元気か?」
「うん!元気だよ!相変わらず怒るとコワイけどね。そうそう、キルアは一緒じゃないの?って残念がってた。今度来たら食べさせようと思って、美味しいピーマン料理の練習してたんだって」
「うぇ〜それ聞いてマジで行かなくてよかったって思うぜ」

 電話の向こうのゴンはそれを聞いてあはは、と笑い、キルアもまたアルカを起こさないよう声を潜めて笑った。確かにこうやっていると、二週間なんて存在しなかったみたいだ。

「キルアはどう?旅は順調?」
「あぁ、オレもアルカもなんだかんだまともな観光地って行ったことなくてさ、結構エンジョイしてる。特別に写真送ろうか?プレミア価格がつくぜ?」
「うん。キルアがハンターとして有名になったときようにサインもつけてね」

 それは下らない冗談だったが、やはりゴンはキルアを"キルア=ゾルディック"ではなく、ただの"キルア"として見てくれている。そのことがたまらなく嬉しかった。「だったらお前のも寄越せよな」どうせ近況報告をするなら写真があったほうがわかりやすい。もとはちょくちょくメールする、と言っていたのだし、電話でなくても別にいいのだ。

「そっか、ま、そっちが元気そうにやってんならいいや。悪かったな、朝早くから電話して」
「ううん。オレの方こそ連絡しなくてごめんね。本当はキルアがどうしてるかなって思ってたんだけど、せっかく兄妹水入らずのとこ邪魔しちゃ悪いと思って……」
「なんだよそれ、別に電話やメールくらいどうってことないだろ」

 そのどうってことない連絡をなかなか出来ずに妹に呆れられたキルアだったのだが、ゴンは知らない。ゴンが自分のことを考えていたというのを聞けただけで、胸のもやもやはすっと取れた。

「そうだね、うん!今度からちゃんと連絡するよ!」
「そうだぞ、何かあったらすぐ言えよ?お前はほっとくとマジで無茶するんだからな」

 人に尻拭いを押し付けている自覚のあるゴンは、そうやってからかってやるといつも苦笑を浮かべる。別にキルアは彼の行動を迷惑だと思っている訳では無いが、からかい半分心配半分の本音だ。
 だが、今回電話の向こうのゴンは笑うどころか、「あー」とも「うー」ともつかない躊躇いがちな声を漏らした。

「……えっと、その、危ないことではないんだけどさ、」
「……なんだよ」
「なんていうかその、今のオレ、オーラが見えなくなっちゃって……」
「ハァ!?」
「い、いやでも!ジンに聞いたらオレ自身に見えないだけで、使えなくなったわけじゃないと思うって言ってたし!キルアの妹の治療がまずかったとかそんなんじゃなくて、オレが全てを捨ててもいいって思った反動だし……!」

 言い訳のように後から後から情報が付け加えられるが、何よりもまず一番始めに言われたことへの理解が追いついていない。オーラが見えないなんて、ハンターにとって死活問題だ。キルアは隣でアルカが眠っているいうことも忘れて、大きな声を出す。

「おまっ、バカか!なんでそんな大事なこと真っ先に言わねーんだよっ!!」
「隠してたわけじゃないんだけど、それよりキルアから電話がかかってきて、何かあったのかなって思って……」
「こっちはなんもねーよ!ていうか、そんなことになってんならお前がかけてこいよ!」
「ご、ごめん……」

 兄妹水入らずを邪魔しちゃ悪いとか、気を遣っている場合ではないと思う。実際、気を遣う遣わない以前に、単純にゴンが能天気だというせいもあるのだろうが。

「でも、オレも最近になるまで気づかなかったくらいだし、さっきも言ったけど念が使えなくなったわけじゃないからさ。くじら島でしばらくゆっくりしたら、ウイングさんやビスケにも会いたいし、その時に色々聞いてみようと思ってて」
「……他に隠してることはねーだろうな?」
「ないってば!それ以外は元気。だからキルアもそのまま旅を続けて。また何かあったら連絡するし」
「いーや、何かあったらじゃなくて定期的にしろ。いいな?絶対だぞ」
「う、うん、わかったよ」

 ようやく承諾の言葉をもぎ取って、キルアは大きなため息をついた。やっぱり少し放っておくとこれだと呆れつつ、本人が大丈夫だと言うのならこれ以上はどうしようもない。ウイングさんはともかくも、ビスケならばきっとお気楽なゴンを一喝してくれるだろう。「じゃーな、約束だぞ。おやすみ」ついついこちらの暗さに引っ張られて就寝の挨拶を告げると、一拍置いて「うん。おやすみ、キルア」と返ってきた。そのことに満足して、キルアは通話終了のボタンを押す。


「よかったね、お兄ちゃん」
「……あ、アルカ」

 声をかけられて視線をやれば、アルカがにっこり嬉しそうな顔で布団の中からこちらを見上げていた。いくら彼女が暗殺家業と関わり無く育てられたと言っても、確かにあれだけ大声を出せば目覚めてしまうのも無理ないだろう。
 キルアは見られていたことの気恥しさと、起こしてしまった罪悪感とでモゴモゴと口ごもった。

「えっと……ごめん、うるさかったよな」
「ううん、大丈夫。もう一回寝るから。だから私にもおやすみって言って」
「おやすみ、アルカ」
「ふふ、おやすみ、お兄ちゃん」

 気恥しさはまだ消えなかったけれど、妹の幸せそうな顔を見ていると、キルアもなんだか安心して眠くなってきた。遠くにいても近くにいても、ささやかな挨拶が自然に出来る相手がいるのは、きっとこの上ない幸福なのだと思う。

 明日もおはようとおやすみを言おう。
 キルアはかけがえのない友人と妹を瞼の裏に描きながら、緩やかなまどろみの中にそっと身を委ねるのだった。

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