- ナノ -

■ ふりかかる不幸は誰のせい

異変が起こったのはそれから2時間ほど経ったあとだった。

ゾルディックの屋敷一帯を包んだ得体のしれないオーラに、そろそろフィリアの様子を見に行こうとしていたイルミは足を止める。広がり方は似ているもののこれは円ではない。一瞬でこの広大な敷地を包んでおきながら、同じく一瞬で消えたそれは、酷く禍々しく歪だった。術者の敵意は感じられないのに、触れると不安になるような。

今までこんなオーラを感じたことが無かったが、思い当たる人物はフィリアしかいない。イルミは嫌な予感を胸に急いで駆け付けた。

「フィリア、」

鍵のかかった扉は見る限り先ほどのまま。声をかけるが返事はない。「入るよ」扉を開けたイルミは中の様子を見るなり、彼にしては珍しく息を呑んだ。

「……これ、フィリアがやったの?」

部屋の中は嵐が過ぎ去ったあとのように、何もかもが散乱して酷い有様だった。本棚は倒れ、机はひっくり返り、天井に埋め込まれていた照明さえも落ちている。そんなぐちゃぐちゃの部屋の中で、フィリアは一人で膝を抱えてうずくまっていた。

「フィリア、大丈夫?どうなってるの?」
「……来ないで」
「は?何言ってるの」

イルミが彼女の顔を覗き込もうとした途端、落ちていた照明が火花を散らして割れる。ハッとしたイルミは思わずそちらを振り返ったが、もちろん誰もいない。それどころかそうこうしている間にも、目の前でクローゼットの扉が外れて床に落ちた。

「どうなってるわけ……」

思わず呟けば、傍らの彼女がふふ、と小さく笑う。「私のせいなの」笑ったくせにフィリアの目は濡れていて、今にも涙が溢れそうだった。





フィリアはごくごく小さな村の出身だった。村の人間はみんな知り合いで、お互いに助け合って生活をして。よその人間からすれば不便はたくさんあっただろうが、それでものどかでいい村だった。
畑を耕し、動物を育て、それを売ったお金で作れないものは買っていた。もちろん街へ行けばたくさんの誘惑があったけれど、誰一人として村から出ようと考えるものはいなかった。それどころか逆に村で生活したいと言い出して、本当に住み着いてしまう者さえいた。
それくらい、フィリアの村は一部の人間にとって魅力的だったのだ。


「どこへ行かれるのですか?」

畦道を歩いていたフィリアは、後ろからかけられた声に肩を跳ねさせる。ぎこちなく振り返って見れば、小さな子供を連れた女が優しい顔を張り付けて立っていた。

「……どこへも」
「今日の修業はお済みになったのですか?」
「うん……」

フィリアは頷くと、少し歩調を早めた。後ろから視線を感じるので、まだあの女はこちらを見ているのだろう。お互い、どこの誰かはわかっていた。向こうは特にフィリアのことを知っている。

なぜならフィリアはこの村の、『神』である女の一人娘だったから。


「フィリア様がいなくなった」
「きっと街へ行ったのでしょう」
「なんとしても逃がしてはならんぞ」

念というものを知った今では、彼らのしていたことが酷く馬鹿げているように思える。けれども何も知らなかった彼らは、フィリアの母親を『神』だと言って崇め奉った。実際、母親自身も自らに備わった力の正体を知らず、『神』としてさも当たり前のようにこの村の一番上に鎮座していた。彼女には幼い時から治癒能力があったのだ。

もしもこれがもっと他の能力だったら、ここまで崇められはしなかったかもしれない。けれども目に見えてわかりやすく、人知を超えた力を持つ彼女はたちまち祀りあげられた。小さな村だからこそ、科学がその広がりを邪魔しなかったのだろう。そして能力の代償が積もりに積もって神の命が危ぶまれた時、その歪んだ信仰心は娘であるフィリアへと向けられた。

「フィリア様には次の神になってもらわねばならん」
「あの方がいなくなれば私たちはおしまいだ」

来る日も来る日も修行と称して、フィリアは色んなことをさせられた。母親も父親もそれがさだめだから耐えろと言った。だが素人が見当違いな修業をしたところで何の成果も得られるはずがない。期待は重荷でしかなかった。できなければ不肖の子と囁かれ、そのくせ許しても貰えなかった。

だから逃げた。

「いたぞ、こっちだ」
「捕まえろ」

「やめて!離して!」

神というより、これでは魔女狩りだ。四肢を押さえつけられ、村へ続く道へと引きずられていく。街の灯りが遠ざかっていくのを見ながら、フィリアは声を限りに叫んだ。

助けて。

けれども誰も助けてはくれない。宗教めいた村の噂は街にも広がっていて、皆気味悪がって関わろうとしなかった。そもそも村の人間自体、入信者以外のよそ者には厳しい。これは我々の村の問題だ、というのが、いつでも大人たちの口癖だった。

「どうして村から出たりしたのですか、私達はフィリア様にいなくなられるとたちまち困ってしまうんですよ」
「私には何もできない!あんたたちの望むようなことは、なんにも!」
「今はまだお若いからです。修業をつめば、きっとお母様のように」
「無理よ!」

「……少し、頭を冷やされた方がいいようだ」

湿気た匂いのする蔵に放り込まれ、重い扉に鍵がかけられる。それは村の総意であり、フィリアを助けてくれる人間はどこにもいなかった。

「お前らなんか大嫌いだ!」

自分の叫びがぐわんと反響して、虚しく消えていく。ここから出たい、逃げたいと心底思った。皆不幸になればいいと思った。


そして翌朝、目が覚めるとフィリアは蔵の前にいた。蔵には鍵がかかったままだったのに、なぜかフィリアは外にいたのだ。

「やはりフィリア様は神の血を引いておられたのだ!」

念には本人が望みや性格が反映されることが多い。とりわけ特質系であるフィリアは、彼女の願望通り移動する能力を習得した。

彼女の願望通り、皆を不幸にする制約を伴って。


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