- ナノ -

■ ほかの意味があるなら教えてよ

何度も言うが、フィリアはイルミのことが好きだった。
だからもちろん突然の口づけに動揺はしたものの、同時に幸せすぎて立っているのもやっとなくらいだった。そもそもフィリアはイルミが前々から自分にモーションをかけていたことに気付いている。そしてその理由がフィリアに対する純粋な好意ではないことも。

それでも、キスをされて淡い期待を抱かずにはいられなかった。目を見て『欲しい』と言われて、ときめかないわけがなかった。たとえ制約のせいで一緒にいられないとしても、ひとときの夢を見たいと思うのは悪いことではないだろう。想いが通じ合う幸福というものを初めて経験して、舞い上がらないわけがない。

けれども現実は残酷で、彼はフィリアが最も恐れていたことをいとも簡単に口にした。その瞬間、胸を満たしていた幸福感は掻き消え、冷水を浴びせかけられたかのような気分になった。

フィリアはその場にうずくまり、鍵のかかった扉の方をちらりと見る。ただでさえゾルディックの扉は重いのに、念も使えない状況で外へ出ることは不可能だろう。念を使ったばかりのこの部屋でフィリアがここに長く留まっていれば、必ず良くないことが起こるに違いない。だがいつもならばそのことに焦るのに、今日は酷くどうでもいいことのように思えた。

もしもフィリアがもっと早くにイルミにこの制約を告げていれば、彼はこんな真似をしなかっただろう。それこそ仕事の時だけ別の場所に呼び出し、用が済めばさっさと解散。必要以上の会話を交わすことも、ましてやこんな風にフィリアに気があるフリすらしなかったように思う。
結局イルミにとってフィリアはその程度の存在なのだ。便利な乗り物となんら変わらない。デメリットがあるならば早々に切り捨てればいいだけ。

初めからわかっていたのに悔しくて悲しくて辛くて涙が出た。いつしか嘘の優しさに浸りきって、捨てられるのが怖かった。だからこの忌まわしい制約をずっと隠していたのに。

隠していてもあんなふうに言われるのなら、もうどうなったって知るものか。あれだけ欲しがっていた『能力』なら、何が起こってもそれも全て受け止めればいい。

フィリアは3日経ったとしても、逃げるという選択肢を自分の中で消去した。どうせそれまでには逃げなくても追い出されるだろうし、そうなったほうが諦めがつくと思ったのだった。




鍵をかけて閉じ込めたって、そんなものは所詮一時的なものでしかない。

今までの依頼のスパンから考えて、早くて3日、遅くても1週間後にはフィリアは再び念能力を使用してどこへでも行くことができる。イルミは自分でも何がしたいのかわからなかった。これではいたずらに彼女を傷つけただけじゃないか。それにもう依頼さえも引き受けてくれないかもしれない。

それでもイルミは、なんとかして彼女を引き留めておかなければならないと思っていた。その最終手段として考えられるのはやはり針を刺すこと。だがそれは本当に最後の、どうしようもなくなった時の方法にしたい。便利な道具ならば感情が無くても問題ないはずだったが、できることなら抜け殻のようなフィリアは見たくなかった。それはもはや理屈では説明できない想いだった。


「欲しい、か……」

呟いて、動いた自分の唇を指でなぞってみる。そうして先ほど口づけを交わした時の、言葉にできない高揚感を思い出そうとした。イルミは昔から必要なものしか欲しない子供だったので、声に出した『欲しい』という単語はなかなか新鮮な響きを含んで聞こえる。

「フィリアは、オレにとって必要?」

欲しいと思うのなら、そういうことになる。そうならば手段を選ぶ必要はなくて、さっさと針をさしてしまえばいい。だがそれはしたくない。頭の中がぐちゃぐちゃになる。

もしかすると『欲しい』という言葉には、自分の知らない他の意味があるのかもしれない。
そんなことを考えたイルミは、なんて馬鹿馬鹿しいことを考えているんだろうと自嘲した。

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