- ナノ -

■ 断るなら理由をちょうだい

あっという間に約束の一週間が過ぎて、滞りなく仕事は終わった。

実際、暗殺というのは殺すことよりもその下調べに手間がかかる。ターゲットの生活リズム、護衛の数や配置、近づく必要があれば異性の好みから交友関係まで……。
いくら他人に興味のないイルミでも、この時ばかりは情報があるに越したことは無い。
けれどもフィリアの能力さえあれば、その面倒な作業の大部分は割愛できる。彼女は精巧な地図、それから屋敷の見取り図があれば、ひとっとびでそこに行けるのだ。少なくとも護衛やセキュリティを気にする必要はなくなる。

そしてそんな便利なフィリアとは祖父の紹介で知り合ったのだった。その祖父はハンター協会の会長繋がりで知り合ったとかなんとか。彼女はライセンス持ちではなかったが、過去に罪を犯したことがあり、その件で協会に一時期拘留されていたらしい。
罪のことは詳しく聞かなかったので知らないが、今は解放されているところをみるにもう償った後か不問になったのだろう。だからと言って暗殺一家に紹介する会長もどうかと思うが、彼女の能力は暗殺にうってつけと言っても過言ではない。

とにかくイルミは初めてフィリアに会ってその能力を知ったとき、これは是非とも欲しいと思った。そして祖父が自らで使わずイルミに紹介したのは、この女を落として手に入れろ、という意味だと思った。

「……だけど誤算だな」

会う度にそれとなく誘ってみてはいる。メリットをちらつかせたりもした。
しかし彼女は頑なにそれを拒み、仕事が終わればいつも逃げるように帰っていく。イルミはこれでもハニートラップだってやったことはあったし、特に嫌われるようなことをした覚えがなかった。
恋人がいるのはわかったが、それでもなんとかなると思っていたのに……。

「誤算?何が?」
「……ううん、こっちの話。仕事は問題ないよ」

実際、彼女を落とすのは暗殺よりも難しいかもしれない。あっさりと仕事を終えて、帰ってきてからがイルミが本腰を入れるべきところである。彼女はイルミのぼやきに反応は示したものの、深く追及はしてこなかった。「そう、じゃあこれで」そして案の定、いつものように別れの挨拶を口にしてとっとと退散しようとする。けれどもそんなフィリアの腕を、イルミはしっかりと掴んで離さなかった。

「……なに?専属になるか、って話なら、」
「それはいいよ。ただ、たまには食事でもどうかと思って」
「……え?」

イルミの言葉に、フィリアの瞳が大きく見開かれる。自分ではそんなに変なことを言ったつもりはないのだが、彼女は目に見えて動揺していた。

「あ、いや……ごめん。ほら、私恋人いるし……」
「知ってるよ。でも食事くらい別にいいでしょ」
「いや、でも、」

「そういうのってさ、自意識過剰じゃない?」

自分で言ってしまってから、イルミはあ……と思った。これじゃ口説き落とすどころか喧嘩を売っているようなものだ。幸いにして彼女は怒りださなかったけれど、困ったように眉を寄せる。「そういうわけじゃないけど……」ここまで言ってしまってはイルミも後に引けなくなり、じゃあ決まりねと強引に押し切った。

「待ってイルミ、困る」
「なんで?そんなにオレと食事するのが嫌?」
「そうじゃない」
「じゃあなんなの」

イルミの質問に、フィリアは黙り込んだ。はっきりしない態度に思わず苛立つ。やっぱり恋人のことがあるから、というならまだしも黙るのはずるいと思った。
これでもそれなりに仕事は一緒にしてきたつもりだし、せめて断るなら納得できるように理由を聞かせてくれてもいいのではないか。

「……ふぅん、そんなに言いたくないわけ?」
「ごめん」

フィリアは申しわけなさそうに謝ると小さくなる。一応無理を言っているのはこちらなので、そう素直に謝られるときまりが悪かった。みっともない。女を食事に誘って、こんなに頑なに断られた挙句謝られるなんて。
しかし短気は損気である。あまりしつこくして完全に仕事を断られるようになっても面倒だ。
イルミはようやく掴んでいた腕を離すと、冷静になろうとして深呼吸した。

「……わかったよ。仕事さえしてくれればオレも文句ないし」
「うん、次また3日後なら空いてるから……」
「そ。じゃあそれでよろしく」

結局、じゃあね、というフィリアの挨拶にイルミは返事をしなかった。彼女の妙に律儀なところも鼻につく。確かに彼女は珍しく面倒ではない人間だし、ビジネスライクな関係はイルミにとっても大歓迎だ。

だが、どうしてだろう。
彼女が出て行って部屋に一人残されて、いつものことなのにモヤモヤする。
珍しく、狙った女にフラれたから?ハニートラップという仕事が上手くいかないから?
自分は今まで気づかなかっただけで、こんな下らないプライドを持っていたのだろうか。

イルミはやり場のない苛立ちを持て余して、どっかりとソファーに身を投げるように腰を下ろした。気に入らない、何もかも。絶対に理由くらいは吐かせてみせる。むしろ向こうから専属契約を頼み込んでくるぐらいにしよう。

そのためにはまず彼女の弱みを握ろうと考えて、イルミは長い脚を組んで頬杖をついた。

フィリアの恋人が一体どんな奴なのか、それも少し気になっていた。

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