- ナノ -

■ 欲しいものはそれじゃなくて

上手く眠れないのは、ベッドが違うからだろうか。

部屋がぐちゃぐちゃになったイルミは、しばらく空いている部屋を自室として使うことにした。元々部屋に長居するタイプでもなかったし、そのことに関して特に不便も不満はない。けれどもフィリアが出ていったあの日から、イルミはずっと落ち着かないでいた。

おそらく自分にとって最もいい結末は、彼女がまた仕事を引き受けてくれることだろう。やはりあの能力は制約を知った後でも惜しい。今まで上手くいっていただけになおさら。
だが、最後に告げられた彼女の気持ちにイルミは戸惑いを隠せなかった。一緒にいることは決して叶わないのに、それでも告げられた気持ちは永遠の別れを意味するとしか思えなかったのだ。


結局いくら目を閉じても寝付けず、諦めてベッドから出る。どうせしばらく寝なくたって平気だ。仕事から帰ってきたのは明け方で、まだ朝と言うには少し早い時間帯。だが、イルミはベッドサイドに置いていた携帯を取ると、躊躇いもせずに電話をかけた。

無機質なコール音が何度も繰り返される度、苛立ちは募っていく。かけなおそうかと諦めかけた頃にようやく、気だるげな声が聞こえてきた。

「……もしもし?」

いつもなら、遅いと文句の一つも言っているところだが、今日はそんな気分でもない。イルミは相手が出るなり間髪入れず、頼みがあるんだけどと話し出した。

「おい、今何時だと思ってるんだ」
「朝の4時半だけど。クロロって念を盗めるんだよね」
「……どうした、急に」
「盗んでほしい念があるんだ」

「お前、寝ぼけてるのか?」

電話越しのクロロは、迷惑そうに小さく欠伸をした。確かに早朝ではあるけれど別にイルミは寝ぼけなんかいない。依頼としてでもいいよと付け加えれば、ようやくこちらが本気だと伝わったようだった。

「イルミ、何を企んでる?」
「別に。便利な念があるから教えてやろうと思っただけだよ」
「お前が?冗談はよせ」
「オレは冗談なんか言わない」
「だから怪しいんだろ」

平行線なやり取りに、焦れるイルミと呆れるクロロ。結局先に折れたのはクロロで、何か理由があるなら話せよ、と面倒くさそうに言った。

「依頼なら条件を話すのが当たり前だろ」
「……移動系の念だよ。一度に移動できるのは術者本人ともう一人。精巧な地図があれば国外レベルの距離も移動可能だ。使えるのは3日〜1週間に1回」
「ほう……なかなか悪くない念だな。で、制約は?」
「……」
「あるんだろ、当然」

そこまで話して、イルミは黙り込むしかなかった。
きっと、言えばクロロは拒否する。幻影旅団という組織で集団行動している彼が、周りを不幸にする制約など受け入れる筈がない。そもそもフィリアの念の制約を、孤独を義務付けられるような制約を、好んで受け入れる人間がこの世にいるとも思えなかった。

「どうした、言えないほどまずい制約なのか」
「……そうだね、クロロに押し付けちゃえばなんとかなるって思ったんだけど」
「お前最低だな」

クロロは言葉と裏腹にふっ、と笑ったが、生憎イルミにはそんな余裕はない。だいたい面白いとも思えなかった。せっかく思いついた妙案だったのに、これも上手くいかないなんて。

「で、そんな便利な念の持ち主はお前の何なんだ? 」
「え?」
「いくら厄介な制約でも、お前の念じゃないんだから関係ないだろ。イルミが誰かの為につまらん取引をするなんて珍しくて気になっただけだ、家族か?」
「違うけど」

確かにクロロの言う通り、イルミがこんな面倒な取引をするメリットはない。クロロに念が渡れば今後は移動の依頼をクロロに頼むことになるが、それは今フィリアに頼むよりもかなり面倒で金がかかるだろう。
ますます訳がわからないな、と呟いたクロロにイルミも全く同じ思いだった。

「……訳がわからないのはオレもだよ。関係ないしこの上なく面倒だけど、助けたい」
「……そいつをか?」
「うん、制約が邪魔なんだ」
「その便利な念を捨てたとしても?」

「出来ることなら捨てたくないけど、ね……」

念が無くなったフィリアなんて、それこそ何の用もない。そのはずなのに、イルミは自分の口から出た言葉に驚いて思わず手で口を覆った。「あぁ、オレやっぱおかしい」フィリアなんてどうだっていいのに。欲しいのはあの能力なのに。どうしてあの制約を疎ましく思っているんだろう。どうやったら彼女を傍に置いておけるんだろう。

「気持ち悪いな」

イルミを思考の海から引きずり戻したのは、そんなクロロの冷たい一言だった。

「目的から反れるイルミなんて気持ち悪い」
「……ムカつくけど、言いたいことはわかるよ」
「お前、そもそも目的を見失ってるんじゃないか?」
「え、」
「だからさ、お前一体何が欲しいんだ?その念か?それとも能力者のほうか?」

「それは……」

気がつくと、イルミは電話を切っていた。認めたくない。でも、そうだ。そうだったんだ。
突然電話をかけるだけかけて一方的に切ってしまったが、相手はクロロだし問題ないだろう。イルミはそう考えて、携帯を握りしめたままベットに上体を倒した。欲しいものがきちんと決まれば、まだ他に方法はある。イルミにとっては何のメリットもないことだけれど。


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