- ナノ -

■ コンソメ記念日

「父さんがお前に会ってみたいって」

 いただきます、おーいしい!と自分で作ったシチューを自画自賛していたら、向かい合って座ったイルミは食事よりも先にそんな話を口にした。「ほい、これドレッシング」健康法でも実践しているつもりか、ただ単に癖なのか、彼は食卓に料理を並べると真っ先にサラダに手をつける。イルミは黙って差し出されたボトルを受け取り、円を描くようにして黄金色こがねいろの液体をサラダにふりかけた。

「感想聞かせて。同じフレンチドレッシングなんだけどさ、いつものとメーカー違うんだ」
「それよりオレはシチューと一緒にスープが出てくるほうが気になってる。どう考えても被ってるでしょ」
「えー?シチューはおかず。スープは汁物じゃん」
「このドレッシング、前のやつよりだいぶマシだね」
「さすがイルミ。二百ジェニーくらい高いんだ、それ」

 めいめい勝手なタイミングで好きなことを喋るが、面倒くさいのでツッコミは不在だ。ドレッシングについてはたまたまいつものが売り切れてたから買ってみたけれど、イルミが"マシ"というレベルだから相当美味しいのだろう。自分のサラダにも振りかけ、二百ジェニーの差額の価値があるかどうか吟味する。確かに良いオリーブオイルや白ワインビネガーを使用しているようだった。シンプルながら野菜を引き立ててくれる味わいに、思わずぱくぱくとフォークが進む。

「それでさ、いつならウチ来れる?」
「うーん、それってイルミのヘマなんだからさ、上手いこと誤魔化しておいてよ」
「ヘマ?」
「だってこの前私に情報漏らしたの、バレちゃったってことでしょ。それでお父さんは、イルミがそうやって手助けした私に興味を持ったと」

 暗殺依頼が来た、と教えてくれたのは正直助かったが、その後の家庭内のことははっきり言って私には関係ない。情報料はミルキにもイルミにも払っているので、感謝はしているが借りを作った覚えはないのだ。他人の父親に、ましてやもう少しで殺されるかもしれなかった相手に、わざわざ会いに行く理由がない。

「正確には依頼主を殺った手口のほうで興味を持ったみたいだよ」
「ふーん」
「で、そういう人がいるなら紹介しなさいって」
「あれ、私そんな職人っぽい殺し方したっけ?仕事の下請けでも斡旋されんの?」

 プロのお眼鏡に叶うような、鮮やかな殺し方をした記憶はない。何しろ急いでいたものだから、セキュリティーも正面突破で玄関からこんばんは。夜分遅くにすみません、ちょっくらお命ちょうだいしますね、と踏み込んだ寝室でターゲットの心臓を一突き。それだけだ。特に面白みも何も無い。

「さあ。オレはその死体を見たわけじゃないしなんとも」
「あーもう面倒臭いからさー、上手く殺せたのはビギナーズラックですって言っておいてよ。だいたいイルミ、私の事なんて説明したの?説明の仕方が悪かったんじゃないの〜?」
「え?別に普通だよ。たまに仕事で協力してもらったり、セックスしたりする仲だって」
「ごはっ!!」

 それを聞いて、危うく口の中のものを吹くところだった。吹かないように咄嗟に吸い込んだせいで逆に気管に入りかけたが、スープを飲んで事なきを得る。ほら、やっぱりシチューとは別に汁物が必要だ。

「ばっ、馬鹿なの?」

 私が生理的な涙を目の縁に浮かべて睨みつければ、シチューに舌鼓を打っていたイルミはけろりとした表情で顔を上げた。

「だってするだろ」
「そりゃするけども」

 だからってそんな、親にあけすけに語るものではないだろう。道理で会いに来いと言われるわけだ。
 長男とはいえ、彼が後を継ぐわけではないからと安心していたのに、責任を取れとか言われるのだろうか。なんてこった。まさか。箱入り娘じゃあるまいし。

「いやいや、身体の関係くらいで家に呼んでたらキリなくない?」
「は?どういうこと?お前、オレ以外とヤってるの?」
「残念ながら私はイルミで手一杯かなー」
「オレだってそうだよ。だからキリがないことなんてない。そもそも、親に話したのも初めてだし」
「……そ、そっかあ、初めてかあ。じゃあ記念日だね、サラダ記念日ならぬドレッシング記念日。やっぱこれ美味しいから、今度からこっち買うことにするよ」

 あはは、と引きつった笑みを浮かべてドレッシングのボトルに手を伸ばすと、イルミの手がさっと伸びて私の手を掴む。「で、いつならウチに来てくれるの?」なんでだよ。私達はそんな窮屈な関係じゃなかったはずだ。それこそ暗殺依頼が届いたって、予め弾いたりしないくらい。
 真っ当な生き方をしてこなかったから、いつ死んでもおかしくないとはそれなりに覚悟していたけれど、あのゾルディック家と本格的に関わり合いになる覚悟は全然できていなかった。

「……行くならさぁ、やっぱちゃんとした格好しなきゃいけないじゃん?この前イルミに頼まれてスーツをクリーニングに出した時、私のまともな服も全部ついでに出しちゃったんだよ」
「それって二週間くらい前の話だろ?」
「うん、そうなんだ。そうなんだけどさ……知ってる?クリーニングって出すのは良いんだけど、回収するのが本当に面倒なんだよね〜」
「だったら買えば?服くらい」
「それもアリだね。よし、買いに行くよ今から。善は急げって言うじゃん?だからこの手を離して欲しいなって」

 もしもイルミの表情筋が死んでいなかったら、彼はきっと満面の笑みを浮かべていたことだろう。掴まれた手は今やがっちり指まで絡められ、振りほどくことも不可能になってしまっている。「駄目だね。だって、離すと逃げるだろ?」私は脳内イルミの笑顔に負けないくらい、にっこりと微笑み返した。

「逃げる?私が?なんで?」
「お前は嘘をつく時、瞬きの回数が増えるんだよ」
「へえー、そうなんだ。イルミは全く瞬きしないよね。目が乾いたりしない?ついでに目薬買ってこようか?」
「つまり服屋と薬局に寄ってからウチに来るコースだね」
「いやいや、一番行かなきゃならないのはクリーニング屋なんだって。保管料金かかっちゃうから」

 ゾルディック家は行かなくても問題ないが、クリーニング屋は行かないわけにはいかない。しかしそのことをイルミが理解してくれるはずもなく、彼は私の手を握っているのとは反対の手で、自分の服の首元をちょっと摘んで見せた。

「どうせ後でこれも脱ぐから、またクリーニングに出すものができる。前の分はその時受け取ればいい」
「脱ぐって……」
「だってするだろ?」
「そりゃするけども」

 でもその服を店に持っていくのも結局私なんだよなあ、と考えると、何もかもが面倒くさくなってどうでも良くなってきた。依然として左手を拘束されたまま、右手のスプーンで冷めてしまったシチューを口に運ぶ。イルミもイルミで、片手だけで器用に食事を続け始めた。

「このスープさ、いつもより味薄いんだけど」
「あーわかる?そっちはいつもより安いコンソメ使ったんだ。今度から買うのやめるよ」


 顔を上げて見つめあって数秒、先に笑ったのはどっちだったのだろうか。とにかくイルミが笑うのは珍しいので、私は今日の日をドレッシング記念日改め、コンソメ記念日と呼ぶことに決めたのだった。

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