- ナノ -

■ 押せ押せ野蛮チュール

※ネームレス


 世間一般の兄弟がどれくらい仲良くしているかなんて知らない。が、少なくともうちの兄弟は、何かの折に額を突き合わせて相談するほど仲良しではなかったはずだ。しかも相談があると言って招集をかけたのが、よりにもよってあのイル兄。人に頼るという行為とは対極にいそうな長兄からの呼び出しは、抜き差しならない緊急事態であることを予感させた。

「遅かったね」
 
 数年ぶりに入った兄の部屋は、相変わらず物が少なくて殺風景だ。こんな時ばかり都合よく弟面して先に入れよと押してきたキルアは、人の身体を盾にするようにして後からついてくる。さらにカルトが続いて扉が閉められると、待ち構えていたイル兄がまぁ座りなよ、と空いているソファを顎で指した。

「……で、相談ってなんなんだよ」
 
 ここでもL字の最も離れた位置を巡って、兄弟間で秘かに火花が散らされる。だが、こればかりは体格の都合で、イル兄の隣は小柄なカルトに落ち着いた。太っていてよかったと心の底から思った瞬間だったけれども、とりあえず話を聞かないことには始まらないし終わりもしない。
 いつも通り無表情なイル兄は長い脚を組みかえて、ちょっと困ってるんだよね、とちっとも困ってなさそうな声で言った。

「この前、うちに来た婚約者の女って言ったらわかる?」
「えーと……」
「わかった、ヤバ女のことだろ」
 
 婚約者、と漠然と言われても、最近ママのお見合い攻撃に合っているイル兄の周りには候補が多すぎてすぐに絞れない。けれどもキルアは思い当たる人物がいたらしく、合点がいったとでもいうように深く頷いた。

「あの女、すっごかったもんなぁ」
「そう。そいつ。あの蛮族みたいな女だよ」
「ば、蛮族?」
「確か、兄さんにいきなり襲い掛かったんでしたよね? 殺さなかったのですか?」

 どうやら知らないのは部屋に引きこもっていたミルキだけで、他の弟達はみな知っているらしい。しかし、与えられた情報が兄の結婚相手となるようなうら若き乙女の表現とはかけ離れていて、今ミルキの脳内に浮かんでいるのは腰みのを巻き、槍を構えた戦闘部族でしかない。
 カルトの暗殺一家としては最もらしい疑問に、イル兄は小さくため息をついた。

「それが攻撃自体は大したことないんだけど、逃げ足だけは馬鹿みたいに早くてさ。最初の顔合わせ以来、いたるところで何度も襲撃されて、ものすごく迷惑してるんだよね」
 
 イル兄が言うには、その女はママが用意した候補の中の一人で、暗殺一家の次女らしい。ただ、そこの家庭は暗殺家業ということを抜きにしても少々特殊らしく、それがお見合い相手であるイル兄への襲撃に繋がっているとのこと。惚れた男を半殺しにして自分の力を誇示するのが求愛行動なのだと言われれば、皆が口を揃えて蛮族だというのも理解できた。実力を認めてもらうことが愛されることだなんて、全くもってどうかしている。

「じゃあ、イル兄の相談ってヤバ女をどうにかしたいってこと?」
「うん。ちなみに母さんから候補を殺すのは禁止された。家同士が絡むと色々大変らしいよ」

 だったら針で、と言いかけて、ミルキは慌てて口を噤んだ。カルトはともかく、キルアの前だ。第一、効率主義のイル兄が試していないはずがない。となるとこうしてミルキ達に相談を持ち掛けてきた時点で、相当に手ごわい相手なのだということがわかった。

「イル兄が手を焼く女をどうにかしろって言われてもなー。あ、フリでいいから一回半殺しにされてみたらヤバ女も納得するんじゃねーの?」
「それだと結婚することになるでしょ。キルはオレが結婚してもいいの?」
「いや、いいけど……」
「そこで相談なんだけどさ、」

 なにが”そこで”なのかちっともわからなかったが、相変わらずマイペースなイル兄は一度弟たち全員の顔を見まわす。そしてその後、さも素晴らしい提案だというように告げられた言葉は、その場にいた人間を余すことなく、恐怖のどん底に叩き落としたのだった。

「オレの代わりに、誰かこの女と結婚しない?」

▼▽▼


 ひゅっ、と空気を切り裂く音が耳に届いて、イルミは反射的に飛びのいた。そのお陰で攻撃が当たることはなかったが、代わりについ先ほどまでイルミが立っていた位置に、大きな陥没ができあがる。
 今更ながら、我が家のセキュリティーを見直したほうがいいと思った。外敵を阻む堅牢な試しの門は、それを開けられる力量の者にとっては通行フリーに等しい。人の家の庭に勝手に潜伏していた女は、拳についた土を払うと嬉しそうに笑いかけてきた。

「こんばんは、今日もよろしくお願いします」
「よろしくするようなことがないんだけど」
「ええっ、言ったじゃないですか。あなたを殺せたら結婚してくださいって」
「殺されたら結婚できないだろ」
「殺さないようにします!」
「じゃあ結婚できないね」

 あう、と声を詰まらせた女は、やはりおつむが少し足りないらしい。黙って大人しくしていればそれなりにまともそうに見えるのに、残念だとしか言いようがなかった。しかしイルミを迷惑がらせるだけあって、その実力の方はゾルディック家の嫁として申し分ないのだ。
 そこで例の、弟たちを集めた相談が生きてくるわけである。

「あのさ、うちにはオレ以外にも何人か兄弟がいるんだけど、そんなに結婚したいなら他を当たればいいんじゃない?」
「……と、いうと?」

 母親から持ち込まれる見合いは、当たり前だが全て暗殺家業の人間ばかりだ。そしてこの界隈でゾルディック家のネームは絶大な価値を持ち、多くの家々がゾルディックと繋がりを持ちたいと思っているのも知っている。こちらとしては即戦力になり、次代を担える能力の高い嫁が欲しく、向こうは家柄目当てということならば、結婚相手である『ゾルディック家の息子』は誰だっていいはずなのだ。もちろん、それがミルキでも。

 イルミは弟たちを集めた会議で、次兄であるミルキにそれを打診した。建前上、弟たち全員を候補とするように持ち掛けたが、実際にはキルアもカルトもまだ幼く、キルアに至っては後継ぎであるためそう簡単には決められない。全員を集めたのは外堀を埋めるためでしかなかった。キルア辺りは悪乗りするだろうし、カルトだって自分に累が及ぶとなればあっさりミルキを犠牲にするだろう。目論見通り、あの日は半ばミルキに押し付けるようにして解散したので、後はこの女に標的の変更を伝えるだけでよかった。

「だから、結婚したいならオレじゃなくてミルキにすればいいって言ってる」
「どうしてですか?」
「お前の実力じゃオレを倒せないけど、ミルキならすぐにでもできるだろ。そっちのほうが早いし確実だ」

 気をまわして馬鹿にでもわかるようにかみ砕いて説明してやったのに、彼女は相変わらず首を傾げている。そうやって考え込むように頬に手をやり、まつ毛を瞬かせていれば淑女然として見えるので、いつも強襲されているイルミはなんだか納得いかない気分になった。

「ミルキさんを倒して、それがなんになるんでしょう?」
「だから結婚すればいい。そういう力づくの方針なんでしょ」
「……ミルキさんを倒したら、イルミさんが私と結婚してくれるってことですか?」
「は? なんでその流れでオレが結婚しなきゃならないの。するならミルキとでしょ」

「イルミさんが好きなのに?」

 困ったように寄せられた眉は、イルミの提案が理解できないからなのか、それともお断りの現実を突きつけられたからなのか。いずれにせよ、イルミは彼女の疑問に言葉を失ってしまった。まさかただの家同士の見合いで、好きだなんだと言われるとは思ってもみなかったのだ。

「イルミさんが好きなのに、ミルキさんを倒してミルキさんと結婚するんですか? それってつまり、どういうことなんでしょう」
「……」
「ごめんなさい。難しくって全然わかりません。私がイルミさんと結婚しようと思ったら、結局何をどうすればいいんですか? 教えてください」

 この女は馬鹿なので、それこそ適当に無理難題を吹っかけ、煙に巻いても良かった。だがその瞳はあまりにも真剣で、見慣れた打算や追従の色は欠片ほども見えない。彼女が本気で本心から言っているのだと思うと、なんだか少し胸が苦しいような気がした。その苦しみは決して、不快な物ではなかったけれども。

「……だったら勝てたらで、いいんじゃない?」
「え」
「オレと結婚したいなら、オレを倒して実力を認めさせるしかない。それがお前の家の伝統なんでしょ」
「じゃあ……」

 どうしてこういう時ばかり察しがいいのか。ぱっと顔を輝かせた彼女は、次の瞬間目の前から消える。代わりに強烈な蹴りが脇腹に向かって繰り出され、イルミは寸でのところでそれをガードした。「ちっ」それが好きだと言った相手にする言動なのだろうか。米神、顎、頚椎、心臓、鳩尾、脛。あらゆる急所めがけて繰り出される攻撃には一切容赦がなく、先ほど迂闊にも絆されかけた自分こそ本物の馬鹿であったとイルミはうんざりした。うんざりして掴んだ彼女を強引に地面に引き倒し、覆いかぶさるようにして拘束する。筋はいいがまだ隙だらけだ。ミルキという代案が受け入れられなかった以上、実力差で彼女には自分から諦めてもらうしかない。

「この程度で、ほんとにオレに愛される気あるの?」

 冷たく鼻で笑ったそれは、イルミにとっては挑発だった。が、組み敷いた彼女の肌は、みるみるうちに紅く染まっていく。零れ落ちそうな大きい瞳は動揺で揺らぎ、柔らかそうな唇は酸素を求めるみたいにはくはくと動いていた。見下ろした彼女の表情は、恐怖でも屈辱でもなく、歓喜と羞恥に色づいてたのだ。

「あ、いや、これは」

 まずい、と思った。なにがまずいのかは自分でもわからなかったが、柄にもなく動揺してしまった。彼女の熱にあてられたのかもしれない。もしくは馬鹿がうつったか。
 そうでなければ、こんな野蛮な女を一瞬でも可愛いと思ってしまうなんてありえない。

 が、次の瞬間、ゴッ、と音がするほど思い切りぶつけられた石頭に、イルミはやはりこの女は蛮族だと思い直した。その隙にするりと抜け出した彼女は相変わらず真っ赤な顔で、ふるふると可憐な少女のように震えている。襲われていたのはイルミの方なのに、これではどちらが被害者なのかわからなかった。

「わ、私、諦めませんから! もっともっと強くなって、今度は私が押し倒しますから!」
「ふぅん、そっちのほうも積極的なんだね」
「ち、違っ」

 イルミが一歩近づくと、彼女のほうは二歩退がる。どうやら自分が押すのはいいが、押されるのにはめっぽう弱いらしい。これまで色仕掛けで近づいてくるような女はたくさん見てきたが、逆にこうも初心なのは珍しかった。
 嗜虐心が、ぐつりと疼く。

「ねぇ、その惚れた相手を半殺しにして自分の力を示すのってさ、男女逆でも成り立つわけ?」
「え? まぁ、はい。うちは女系家族なのでそうなんですけど……たぶん? 強い者の言うことを聞くのは当たり前ですから」
「そう」

 なるほど、ルールはシンプルなほうがいい。そう考えると、野蛮なのも実は理にかなっているのではないか。質問されたことで気がそれたらしく、またもや彼女は軽い頭をちょこんと傾げ、必死にイルミの発言の意図を考えようとしている。不毛だからやめろと言いたくなったが、考えている時だけは大人しいのでよしとしよう。
 イルミは確認と、ほとんど答えを言ってやるような気分で口を開いた。

「だったら、オレがお前を半殺しにして、言うこと聞かせてもいいってことだよね?」

 力づくで婚姻を強いるのは、彼女の家の伝統らしい。イルミは最初から負ける気などなかったので、それではいつまで経っても成立しないことになる。第一、女に負けて結婚するなどプライドに関わる問題だ。女系家族かなんだか知らないが、尻に敷かれるつもりは毛頭ない。

「なるほど! どこまでも抗おうというのですね! 構いません。相手が強ければ強いほどやりがいがあるというものです! 受けて立ちますよ」

 が、ぽんと手を打って霧が晴れたような顔をした彼女には、イルミの思惑など何一つ伝わっていないらしかった。脱力感でめまいのような感覚に襲われ、イルミは大きくため息をつく。

「……うん、わかった。そういうことでいい」

 訂正して懇切丁寧に教えてやるよりも、この女は肉体言語のほうが理解するだろう。どうせ勝った方の言うことを聞くのだ。ちゃんとしたプロポーズの言葉は、瀕死の状態のときでも遅くない。

 やる気に満ちた表情の彼女はどうしようもない馬鹿だった。けれどもそのお陰で扱いやすいし、実力も問題ない。やることなすこと物騒だが、憎めなさはあった。何より、この暴走娘はミルキの手には余るだろう。ここは一番上の兄として、引き受けるのも仕方がない。
 
 イルミはぶつけられた額を撫でながら、そんな言い訳を脳内で並べ立てた。そして不意にそういえば、と思い、彼女の姿をまじまじと見つめる。

 そういえば、『蛮族の女』で皆に通じたせいで、この女の名前をまだ知らない。

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