- ナノ -

■ 心中、お察しします

――来世こそ、一緒になりましょうね。

男女がそんな約束を交わして、共に命を投げうったのなら、それはれっきとした心中だ。今世では結ばれることが難しかった二人だけれど、互いの愛情が不変であることを死をもって証明する。

――ごめんね、お母さんもすぐ行くからね。

親子が悲嘆にくれながら、その命を捨てざるを得なかったのなら、それもまたれっきとした心中だ。様々な事情はあれど、大抵は家族を残していくことを哀れに思って一家全員で死を選ぶ。歪んでこそはいるが、それもまた一つの愛なのだろう。

――あなたを殺して私も死ぬわ。そうすればずっと一緒にいられるでしょう。

たとえそこに愛があろうと、同意のないまま相手を殺せば、それは殺人だ。しかしこれも無理心中として、心中の一種に数えられることがある。殺人は一家心中の場合でも十分に起こりうるが、無理心中は血縁者でない痴情のもつれを指すことが多い。


「イルミ=ゾルディック……私を殺して、あなたも殺すわ」

この場合は心中、と言うべきなのだろうか。
ナマエは長年の悲願を達成せんと、目の前の男をまっすぐに睨みつける。男は5年前と違って長く髪を伸ばしていたが、憎い仇の顔を間違えるはずがなかった。人形みたいに無機質で、何の躊躇いもなくナマエの家族を奪っていった男。人の心を持たず、泣きじゃくるナマエをゴミでも見るかのように一瞥して去った男。

彼の今日の仕事は、すべてナマエが仕組んだことだった。生半可な嘘でゾルディック家を騙せるはずもないから、暗殺依頼を出すために相当あくどい方法で金を稼いだ。ただの資産家の娘に暗殺者が殺せるわけがないから、血反吐を吐くような思いで修行をした。
そして今日、これまでのすべてが報われる時が来たのだ。

「ずっとこの時を待っていたの」

激しい憎悪の眼差しで射抜かれても、彼は眉一つ動かさなかった。腹立たしいほど涼しげな顔をして、ただこちらを見つめ返してくる。これなら今どき復讐だなんて、と嘲笑されたほうがいくらかマシだった。
だが、きっと彼は覚えていないのだろう。ゾルディック家ともなれば、暗殺の依頼など掃いて捨てるほど来るだろうし、いちいちその被害者を記憶しておくような余裕も理由もないに違いない。しかしそうと頭ではわかっていても、ナマエはイルミが何の感情も示さないことが悔しくて悔しくて仕方がなかった。彼にとっては有象無象のうちの数人だったのかもしれないが、ナマエにとってはかけがえのない家族だったのだ。
だから、命を懸けて復讐をすると決めた。

今、ナマエの前には、ナマエの盾となって死んだスーツの男の亡骸がある。
彼は金で雇った男だ。初めから捨て駒にするつもりで、嘘の依頼と払う気のない莫大な報酬を提示した。きっとこの男にも、ナマエの知らない家族がいたのだろう。そう思うと自分のやったことはイルミとなんら大きな違いはないように感じるが、復讐は綺麗事だけでは成し遂げられない。それはナマエの自論でもある。

男の身体にはイルミの得物である、持ち手の先が丸くなった針がいくつも刺さっていた。眉間、目、心臓――寸分の狂いもなく的確に急所を突いたそれは、さすがにプロの仕事といったところか。しかし男の死はナマエにとって無駄ではない。ナマエは眉間の針に手をかけると、力を込めて一息に引き抜いた。

「復讐?」

すると今更になって、イルミのどこか間延びした声が耳に届いた。こちらを値踏みするように眺めた彼は、悪いけど、と言葉を続ける。

「仕事だったんだよね。殺ったのはオレか、オレの家族かは知らないけどさ、その前に依頼を出した人間がいるってこと、忘れないでくれる?」
「そっちはもう殺した。後はあんただけ。私はあの日、現場にいたから知ってるわ。私の両親と弟を殺したのはあんたよ!」
「へぇ、そうか。うちに依頼を出してきたことといい、なかなか根性あるんだね。
でも、家族全員殺す依頼なら、どうしてお前が生きてるのかな?オレが殺り損ねるはずないしなー」
「……それは私が妾腹だからよ」

そんなことはどうでもいい。たとえ冷遇されていたって、ナマエにとっての家族はあの人たちしかいなかった。それなのにこの男はあっさりとナマエの世界を奪って、まるで自分は何も悪いことなどしていないかのような口ぶりだ。「なるほど、家族じゃなかったんだ」得心したように顎に手をやり、イルミはそこで初めて同情するような視線を向けた。

「だったらさー、やっぱり無駄死にだよ。オレも金にならない殺しはそっちの男だけで十分だし、今帰るなら特別に見逃してあげてもいいけど」
「ふざけないで」
「そう?可哀想だと思って、言ってあげてるんだけどな」

ぐらぐらと腹の底から湧き出す怒りが、ナマエの全身をかっと熱くさせる。
可哀想、というイルミの言葉は抑揚に欠けていて、正直馬鹿にされているとしか思えなかった。イルミはナマエの力量を見抜いている。見抜いているからこそ、ああやって余裕な顔で挑発することができる。憎くて、悔しくてたまらなかった。それでも、まともに殺りあえばイルミに敵わないであろうことは、ナマエだって初めから予想していた。

「“恐ろいの心臓(ダブルスーサイド)“」

復讐のためにだけ編み出したこの念は、一生に一度、たった一人にしか使えない。
ナマエは手に取ったイルミの針を自分の左胸へと深く突き立てた。傍から見れば、立派な自殺行為。しかしこれは“対象者の私物を体内に取り込む”という念の発動条件を満たしただけで、むしろこの先ナマエは制約によって自分の意思で死ぬことができない身体となった。

“恐ろいの心臓(ダブルスーサイド)“は術者と対象者の感情、思考、感覚、そして生死をも共有する能力。自力では到底イルミを殺せないナマエにできたのは、彼に自分を殺させて彼を道連れにすることくらいだった。

「っ、なに、」

念を纏わぬイルミの針は、幸いナマエの身体を貫通するようなことはなかった。だが、もちろん鋭い痛みがナマエを襲ったし、念が発動した今、イルミも同様の痛みを味わっただろう。“恐ろいの心臓(ダブルスーサイド)“はおそろしく発動が簡単だった。その代償が一生に一度の回数制限。対象もイルミにしか使えないと定めた。ナマエの狂おしいまでの憎悪が生み出した、究極的なほど復讐に特化した念だった。

「なにをした」
「っ、かはっ」

気が付いた時には首を掴まれ、持ち上げられていた。身長差のせいで、ぎりぎりと喉が締まり、ナマエは喘鳴を漏らす。しかし、同時にイルミも眉をしかめた。いくら人形みたいな顔をしていても彼だって人間だ。呼吸が苦しくなれば、多少は表情も乱れるということだろう。
次の瞬間、床に叩きつけられたナマエは、それでも満足だった。そうやって好きなだけ痛めつければいい。そちらも同じ苦しみを味わうだけだ。這いつくばって、こみあげてくるおかしさに身を委ねれば、これまでの苦労が一気に報われたような気がした。

「……ふぅん、参ったな。お前に攻撃すると、オレにも同じダメージがくるというわけか」
「……」
「復讐だからもっと捨て身で来るのかと思ったけど、身の安全を優先したんだ?」

イルミはナマエの頭をわし掴みにすると、少し身をかがめてこちらを覗き込んできた。底のない闇を思わせる瞳からは一切の感情が読み取れず、やっぱりこの男は人形のようだと思う。しかしイルミがナマエの念を“保身用”と勘違いしてくれたのは幸運だった。ナマエは彼の言うように本当に捨て身だ。ナマエの願いは彼に殺されて初めて成就する。“恐ろいの心臓(ダブルスーサイド)“で共有される思考や感情は初期段階は強い想いだけであり、時間経過と共に共有率が上がるので、今のうちならナマエの思惑がイルミにバレることもないだろう。さっさと殺してもらうべく、ナマエは皮肉気な笑顔を作った。

「あんたみたいな非人間と、まともに殺り合うわけがないでしょ。悔しかったらまずは除念師を探すことね。並大抵の腕じゃ、逆に返り討ちでしょうけど」

心中に他者の介入など無粋でしかない。また途中で怖気づいてやめにするのもご法度だ。
“恐ろいの心臓(ダブルスーサイド)“は一度発動すれば、術者のナマエ本人ですらも解除不可能。その代わり、除念師による解除も不可とした。厳密にいえば、解除自体は可能だが、解除を行おうとすればその成否に関わらず、ナマエとイルミの命は失われる。
これは呪いだ。一般的な心中が愛のもとに行われるのなら、ナマエのこれは憎悪のもとに行われる。ありったけの憎しみを込めてせせら笑ってやれば、イルミはナマエから手を離し、不思議そうに首を傾げた。

「お前さ、一体何がしたいわけ?」
「復讐だって言ってるでしょ」
「でも、ダメージを共有するなら、お前もオレを殺せなくない?」
「私は死なんて怖くない!」
「オレだって別に怖くないけどさ、ん……待てよ?もしオレがナマエを殺したら、その死も共有されるってことか?」
「……」
「参ったなぁ」

イルミの声はやはり、どこか間延びして聞こえた。言葉とは裏腹にちっとも参っていないように聞こえるそれは、ナマエの神経を逆なでする。
しかし、念が発動した今となっては焦ることは何もない。僅かに残った冷静さを必死で手繰り寄せ、ナマエはゆっくりと身を起こそうとする。完全に立ち上がっても、背の高い彼はナマエを見下ろすような体勢だった。

「オレはお前が生きてても困ることはないけど、逆に自殺とかされたら面倒なんだよね。かといって、操作するにもその影響がオレに出ないとも限らない。
となると、オレはひとまずおまえの安全を保障しないといけないね」
「私は死んだっていい。だから遠慮なくあんたの命を狙い続けるわ」
「それはいいけど、お前に耐えられるかい?」
「は?」

瞬間、イルミが右手にオーラを纏い、ナマエは身を固くした。しかし彼の拳がナマエに触れることはなく、そのまま、念の込められたパンチは彼自身の左腕へと叩き込まれる。

「ぐっ!!!」

共有する痛みは同じはずだ。しかし、イルミは相変わらず涼しい顔をしていて、その場に膝をついてしまったのはナマエだけ。痛くないわけがない。見あげた彼の左腕は明らかに不自然な方向に曲がっている。イルミは、ぶらり、と揺れた腕を見て、ほらね、と言った。

「お前とオレとで、許容できる痛みには差があるはずだ。ていうか、これくらいの痛み、訓練で毎日のように味わってきたしね。
だからさー、悪いことは言わないから、解除したほうがいいと思うよ。この程度で耐えられないのなら、お前発狂するんじゃない?」

イルミはまるで何事もなかったかのように、平気な顔をしている。デモンストレーションのために、腕一本を簡単に潰してみせたのだ。これがハッタリでないことくらい嫌でもわかる。しかし、もう“恐ろいの心臓(ダブルスーサイド)“はナマエにも解除できない。
冷や汗がだらりとこめかみから顎先を伝った。

「……無理よ、除念師しか無理」
「でもなー、並大抵の腕じゃ無理だって言ったのはお前だろ?ほんとに、自分でも解除できないの?馬鹿じゃない?」
「……」
「ていうか、おかしいと思ってたんだけどさ、お前もしかして自殺もできないの?
本気でオレを殺したいのなら、自分が死んだ方が早くない?死は怖くないんでしょ?」

イルミに挑発の意図があるのかどうかはわからないが、言われたことは図星で何も言い返せない。ナマエは無言の抵抗として自分の腕を折り返そうかと思ったが、この男には無駄だと思い直してやめた。結局のところ、除念師による引導がもっとも簡単な結末だろう。それならナマエはただ大人しくしているだけでいい。少なくとも、イルミはナマエに危害を加えられないし、金のあるこいつはさっさと除念師を手配するに違いなかった。

「はぁ、今度はだんまりか。弟たちもよくやるんだよね。こっちが叱ってるのに、そうやって黙ってさ。少し、目を覚まさせてあげようか?」

言うなりイルミは服から針を抜いて、躊躇いなく自分の指に突き刺す。「指先ってね、神経の塊なんだよ」痛みなどちっとも感じていない平坦な口調で言うから、感覚さえ共有していなければナマエは彼の言葉を信じなかっただろう。生理的な涙がこみ上げ、ナマエの口からは無様な嗚咽が漏れる。

こんな、こんなはずではなかった。

「はは、痛かったかい?悪かったよ、これはほんの冗談さ。
 でも、これでわかっただろ?お前はオレの命を握ったつもりだったかもしれないが、命を握られているのはお前の方だ。馬鹿なことは考えない方がいい」
「っ……!それでも、私はあんたを殺す!」
「自殺もできないのに?自力では勝ち目がないことくらい、わかってるよね?
 ということは、唯一反対しない除念師の使用が狙いなの?」
「私の憎しみがそこいらの奴に解除できると思っていないだけよ!」
「……へぇ、この念面白いね。感覚だけじゃなくて、思考?いや、感情って言うのかな、そういうのも共有できるんだ?ナマエの焦りが面白いほど伝わってくるよ」
「っ!」

痛みなどの強い感覚が大きく反映されるように、感情も強ければ強いほど相手に伝わりやすい。それならばきっとナマエの憎悪も伝わっているだろうに、イルミはその中から的確にナマエの焦燥を見抜いた。見抜いて、初めてそこでその薄い唇を満足げに歪めた。

「馬鹿だね、お前ってさ。可哀想なくらい馬鹿だよ。家族とも思われてなかった奴らのために、人生を棒に振ったんだ」
「言うな!!あんたになにがわかるって言うの!!」
「わかるさ。共有させたのはお前でしょ。
でも、除念もできない、お前も殺せないとなると、いよいよできることは限られてくるね」

ナマエはそれを聞いて、逃げようとした。まだ左腕と指先がじんじんと熱を持っていたが、そんなことに構っている余裕はなかった。
彼の方で除念をする気がないのなら、ナマエが自分で除念師を探すしかない。それしかもう、彼を殺す方法はない。もつれそうになる足を必死で動かして、とにかくこの場から逃げ出そうとした。

「無理だね、お前には。オレから逃げられるとでも思ったの?」

がん、と頭が壁に叩きつけられ、衝撃に視界がぐらつく。「うーん、久々にくらっときたな」おそらく近くにいるのだが、イルミの声がやけに遠くの方で聞こえたように感じる。感覚は共有しても、死以外の状態までもが同じになるわけではない。それはナマエの腕が折れていないことや、指先に穴が開いていないことでも証明済みだ。だから、彼がナマエの首に手刀を落とせば、両者ともに衝撃をうけるが、気絶するかは個々の耐性による。

「大丈夫。おまえの安全は保障するって言っただろ?その代わり、自由は頂くけどね」

意識が途切れる寸前、ナマエの耳に届いたのはそんな言葉だった。
心中は失敗。しかし、愛を表す方法は何も一緒に死ぬことだけではない。相手の自由を奪うのも、歪んでいるとはいえ一つの愛情表現だろう。

「こ……ろす……」

いや、これは清らかな愛などではなく、どす黒い憎しみの話だった。しかし、愛と憎しみは昔から表裏一体だとされている。そもそも相手の同意を得ない無理心中とは、思い通りにならない相手に対する憎しみに突き動かされた結果であると言えるのではないだろうか。

復讐は綺麗事だけでは成し遂げられない。
そしてそれは、心中もまた同じである。

このことがナマエの自論として用いられるようになるのは、彼女がゾルディック家で目を覚まし、そこでの生活に嫌でも馴染まざるを得なくなったあとの話だろう。
しかし、ここで全てを語るのは、少しせっかちすぎるというものだ。

なぜならナマエの憎しみが裏返り、イルミが彼女の感情を共有してしまうのは、実はそれほど遠くない未来のことなのだから――。

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