- ナノ -

■ 迷える羊を導いて

突然だが、夢の話をしよう。
ここにおける夢とは将来の希望の話ではなく、睡眠中に見るほうのものである。

分析心理学において、夢は無意識からのメッセージだとされている。相反する自分が意識と無意識にそれぞれ存在しており、無意識のメッセージに向き合うことは自己実現に至るための方法としてポジティブに捉えられているのだ。
一方、精神分析学においては、夢は自分の抑圧された記憶や衝動をしまっておく場所であり、無意識の自分と意識のある自分は同一の存在として捉えられている。
つまり、夢は願望充足のための物であり、抑圧された深層心理を表すものだというのだ。

この二つの学派について、クライムハンターであり、心理学者の端くれでもあるナマエは、やや後者寄りの思想を抱いていた。おおもとの精神分析学ではあらゆる願望を“性”に結び付けがちなきらいがあるが、抑圧された願望が反映されているという点においては同意見である。
しかし、実際にはまだまだ夢は未知の学問領域であり、心として読み解くか、脳として読み解くかでも話はまた変わってくるだろう。
あくまでこれは、ナマエが実際に臨床の現場で“他人の夢を覗き見た”結果の個人的な感想でしかない。


「こんにちは、入構を許可してもらえるかしら?」

そう言って窓口でライセンスカードを提示すると、既に顔なじみとなった警備の男は気さくな笑顔を浮かべる。彼は勤続50年の大ベテランで、ナマエがここに訪れるようになってから顔を見なかったことはない。「あぁ、ナマエさん。今日はハンターとしてのご用事ですか?それとも先生のほう?」まるで世間話のような気軽さで入構の目的を聞いた彼に、ナマエも親しみを込めてほほ笑み返した。

「先生というほど大したものではないけれど、一応学者として来たわ」
「そうですか。わかりました。それではどうぞお通りください」

彼は慣れた手つきで許可証を用意すると、通用門を開くスイッチを押す。重々しい音を立てて開いたそれは、外からの侵入を防ぐ目的ではなく、内側の人間を表に出さないための物だった。

ハンター協会はその政治的に中立な立場から、死刑を待つだけの凶悪犯罪者や数百年単位の超長期刑囚を収容するための刑務所を独自に所有している。それはクライムハンターやブラックリストハンターの仕事が国境を越えて行われることから考えても妥当な措置であり、V5からも正式に認められた国際的な権限である。
ナマエが今日訪れたここは念能力を持たない犯罪者ばかりが収容されているため、他の刑務所に比べれば警備もいくぶん緩やかなものではあったが、実際念能力を遣える犯罪者を普通の警察組織が拘束するのは無理な話であった。

「こんにちは、ナマエさん。早かったですね」

こつこつとヒールの音を響かせて中に入ると、入り口からいくらも行かないうちにまた見知った顔に出くわす。彼はここの刑務所の所長であり、ナマエの研究に協力的な人物だった。

「ええ。連絡を受けてすぐ来たの。あの“空っぽゲイン”がとうとう捕まったのね」
「はい。今はまだ刑が下されたわけではありませんが、彼の出身国は確か死刑制度が残っていましたからね。このまま協会に一任されれば気の遠くなるような懲役刑ですが、引き渡しを要求されれば断るのは難しい」
「そうね。だからサンプルを集めるなら今のうちだわ。本当に教えてくれてありがとう」
「いいえ、ナマエさんにはいつもお世話になってますから。ハンターとしても期待していますよ」
「善処するわ」

こっちです、という所長の案内の元、ナマエは収監棟へと歩を進める。刑が下ったわけではない状態なので、さすがにあからさまに鉄格子のついた牢ではないらしい。それでも“空っぽゲイン”という通り名で呼ばれるシリアルキラーは、かなり厳重に監禁されていた。

「彼は念能力者ではありませんが、一応気を付けて」
「ありがとう」

鍵のかかった分厚い鉄扉の向こうは実に殺風景な空間だった。パイプベッドとむき出しの便器、それから簡素な机と椅子が一組あったが、どれも首つりを避けるために角が丸くなっている。
“空っぽゲイン”はそんな部屋の中で、ただじっとベッドに腰かけていた。

「初めまして。私はナマエ。ハンターであり心理学者をやっているものよ」

クライムハンターと言えば警戒させてしまうかもしれないが、普通の女と思われて反撃されても面倒である。しかしナマエが明るく話しかけても、ゲインは応えることも反抗的な態度も取らず、虚ろな目で億劫そうに顔をあげただけだった。

「あなたの起こした事件については聞いているわ。2年間にわたって、合計18人にもの人間を殺したそうね。
殺しの方法もターゲットとなる人物も様々だけれど……見つかった被害者の死体にはある共通点があった」

ナマエは彼にゆっくりと近づきながら、自身の念能力を発動させた。陰を使って見えなくしているが、この部屋にはナマエとゲインと、具現化された膝丈ほどの大きさの羊がいる。“見たはずの夢(ストレイシープ)”という名の羊はふわぁと大きなあくびをすると、ぴょんと飛び跳ねゲインの座るベッドまで登った。

「どうして殺した死体の臓器をすべて抜き取ったの?」
「……」
「しかもあなたはわざわざ抜き出したそれを死体とは別に捨てていた。証拠隠滅のために死体をばらばらにするのはわかるけれど、“外身”は可能な限り元の形が保たれていたし、証拠が増えるだけなのに、なぜ“外”と“中”を分けたりしたの?」

ナマエは勝手に椅子を拝借して、男の正面に腰掛ける。心理学者にしては繊細さの欠片もない単刀直入な質問だが、ナマエはそもそも会話で彼の心を開こうと思っていないので問題ない。許可を得たストレイシープが男の影を何度も跨ぎ越すのを尻目に、ナマエは一人で話し続けた。

「正直言うとね、あなたの犯した罪の重さは私にとってどうでもいいのよ。善悪なんて哲学者の管轄だし、刑の重さを決めるのもあなたを弁護するのも司法の仕事でしょう?私が興味を抱いているのは、あなたが何を思って、何を感じ、何を考えたかということだけ」

確かにナマエはクライムハンターではあるものの、所詮それは自分の研究に都合がいいからという理由でしかない。こうして権限を使って犯罪者と直に対面することができるのもメリットであるし、自ら犯罪者を捕まえるのもあくまでサンプル回収が目的である。同じクライムハンターでも弁護士の肩書を持ち、民間警備会社までもを経営するミザイストムとはまったく異なる人種であった。

だが、今まで黙っていたゲインは、ナマエのその言葉を聞いて肩を震わせる。声が出ていないので妙だが、その表情から察するにどうも笑っているらしい。彼はポケットからメモの束と先の丸まったクレパスをとり出すと、何やら書きつけてこちらに寄越した。

――どうやら本当に興味が偏っているみたいだな。俺が生まれつき話せないと調べてこなかったのか

彼の目には、先ほどから一方的に話しかけるナマエのことが酷く滑稽に映ったのだろう。しかしナマエが彼のことを知るのに会話は必ずしも必要ではない。ナマエは既に数百回以上は優に反復を繰り返しているストレイシープを停止させ、自分の膝の上に抱き上げる。もちろん、ゲインにはナマエが何を抱えたのか理解できなかっただろう。

「もちろん知っているわよ。私、そういうとこは几帳面なの。あなたのことだけでファイル数冊分の情報は持っているわ」

そのまま怪訝そうな顔になるゲインを無視して、ストレイシープの目を覗き込む。有蹄目に特有の横長の瞳孔は、どことなく神聖さと不気味さを併せ持っていた。

「さぁ、あなたの願望をみせてちょうだい」


▲▽


凶悪犯を閉じ込めているとはいえ、収監棟以外の場所はいたって普通のオフィスのように見える。目的を果たしたナマエは所長に連れられて、今は来客スペースで珈琲をご馳走になっていた。

「どうです。面白いものは見えましたか」
「ええ、とっても」

ストレイシープの陰はもう解いている。お陰でナマエは膝の上に小羊を抱える妙な人間だが、今更それは気にするようなことではない。ナマエはこれまた念で具現化された紙に今回の日付、場所、被験者名、サンプル番号をオーラで書いていく。これはこのストレイシープの付属品であり、すべて書き終えたナマエはそのまま餌をやる要領で羊に紙を与えた。これだけで、いつでも好きに保存したデータが取り出せるのだから、便利なことこの上ない。

「“空っぽゲイン”はその名の通り、自分が“空っぽ”だと思い込んでいたのよ。彼の夢はこれまで見たどの夢よりも殺風景だったわ。家庭環境に問題があったようね」

あらかじめ調べた資料によると、生まれつき話すことのできなかった彼は親兄弟から虐待を受けていたらしい。それも暴力ではなく、ネグレクトに近い、彼の存在を否定するようなものだったそうだ。

「家族には無視をされ、話せないから友人もできず、まるでいない者のように扱われてきた彼は常に身の内に空洞を抱えていた。だから他の人間たちのように、“中身”が欲しかったの」

「……それであんな殺し方を?」

「おそらく。殺しは手段であって、目的ではなかったみたいね。後で中身を捨てたのは、自分の空洞が埋まらなかったからだそうよ。彼は自身の空洞を埋める”適合者”を探して殺人を繰り返していたの。
願望を言い当てれば、すべてを自白したわ」

「そう……ですか」

話を聞いた所長は苦い顔になったが、今回のサンプルはまだ比較的“まともな”部類だろう。たとえ通常はとらない選択だとしても、原因と行動が一応は結びついている。たまにいる、根っからのサイコパスなどはもっとぶっ飛んだ思考を披露してくれるのだ。

「それでは、そのお話は協会選任弁護士のほうにもお伝えしておきます」
「ええ、構わないわ。弁護士の腕によっては、少しくらい刑を軽くするのに役立つかもしれないわね」

ナマエは頷いてみせたが、実際のところゲインの罪が軽くなろうが重くなろうがどうだってよかった。彼の犯した罪を問わないのと同じように、彼の生死もナマエは気にしない。
ストレイシープが紙を食べ終えたのを確認すると、それじゃあ、と席を立った。

「ごちそうさま。今日はとっても助かったわ」
「いいえ。このくらいお安い御用です。
……ところで、この後何か予定がありますでしょうか?」
「急ぎの物は特にないけれど……なにかしら?」

長い付き合いだが、所長がこんな引き留め方をするのは始めてだ。まさか食事のお誘いかなんて考えるほどナマエは呑気ではないし、所長とは親子ほども歳が離れている。いったい何の用事だろうかと不思議に思っていると、彼は苦笑しながら頭をかいた。

「いや、用があるのは私ではないのです。先ほどナマエさんがゲインと会っている間にお客様が尋ねてこられて……ナマエさんの仕事が終わるまで待たせてくれと」
「私に?でもどうして私がここにいるって……」

今日ナマエがここを訪れたのは今朝この所長から連絡があったためであり、かねてから予定していた訪問ではない。それなのに、わざわざ私を探し出してここまで来たとは一体何者なのだろう。

「お呼びしてきます」

所長が軽く会釈して向かおうとした瞬間、タイミングよく部屋の扉が開かれる。「えっ、嘘でしょ」そこに立っていた人物を見たナマエは、思わず率直な感想を漏らしていた。

「やぁナマエさん、相変わらずお仕事熱心ですねぇ」
「……なんであなたが私を訪ねてくるの、パリストン」
「なんでって、そんなの用があるからに決まってるじゃないですか」

当たり前のことを返され、確かにその通りだけれど、とナマエは呆れる。気を利かせた所長が部屋を退出し、この場には二人きりになった。「お忙しい副会長サマが、一介のクライムハンターに何の用よってこと」仮に何か仕事を頼まれるとしても、普通ならばナマエのほうが呼びつけられる立場である。それをわざわざ副会長自ら出向いてきたばかりか、ナマエの仕事が終わるまで待っているなんて妙でしかない。

嫌な予感しかしないわ、と答えを聞く前からため息をつきたくなった。

「嫌だなァ、謙遜しないでくださいよ。ナマエさんの実力はちゃんとボクのところにまで届いています。ナマエさんの膨大なデータをもとにした犯罪者更生プログラムを取り入れた国では、初犯者の再犯率は45%から6%にまで下がったそうじゃないですか。これは実に偉大な功績ですよ!」
「……なるほど、クライムハンターとしての用ってわけじゃないってことね」

そういうことならば少しは話を聞く気にもなる。これがもしどこぞの犯罪者狩りに参加しろという内容だったら、ナマエは自分の研究を優先するためにさっさと退散したことだろう。
正直、パリストンに関わるとろくなことがないという噂は聞いていたが、ナマエはさほど彼のことを嫌ってはいなかった。むしろ、興味の対象という意味で言えば、彼は学者としてなかなかにそそられるタイプの人間である。

「ええ。今回はクライムハンターとしてではなく、心理学者のあなたにお願いに参りました。依頼自体も、協会からではなくボクの個人的なものです」
「それはそれで怖いんだけど、まぁ一応聞いてあげるわ」
「実は、一月ほど前にある事件の調査に向かった知人が、それ以来悪夢にうなされていましてね。聞いても何があったのか教えてくれないし、だんだんと酷くなって、今じゃまともに話もかみ合わない状態なんです。そこでナマエさんにぜひ見ていただきたくて」
「へぇ……」

ストレートに考えて、その人物はおそらく調査先で何らかの精神的ショックを受けたのであろう。人間の願望や犯罪を起こすに至った思考に興味を抱いているナマエからすれば、夢は夢でも特に面白くない話である。
しかし悪夢を見るだけならばまだしも、徐々に狂っていくほどのショックとは一体何なのだろうか。もっとも、たとえそれがわかったところで、ナマエにはどうしてやることもできないのだが。

「言っておくけど、私は心理学者であって心理カウンセラーではないのよ」
「わかっています。彼の心のケアも重要ですが、目的は調査で得た情報にありましてね。こちらとしては何もわからないまま壊れられるのは困るというわけです」
「あなた、さっき知人って言ってなかった?」
「ええ。大事な大事な協専ハンターさんですよ」
「……完全に私的使用じゃない」

なるほど、そういえば彼が副会長になってから協専ハンターの行方不明者数が増加しているという話を聞いたことがある。ナマエにはまったく関係のない話であるしどうでもいいからと聞き流していたが、どうも協専ハンターはこうした”私的使用”で消耗されているらしい。

ハンターはその性質上、個人の興味を追い、個人の能力で身を立てるというどこまでもワンマンプレーな人間が多い。そのためハンターとして優秀な人間が、協会からの依頼だけをこなす生活に落ち着くのはまずもって珍しかった。事実、協専ハンターの大半は念が遣えるだけの凡庸な才能の持ち主であり、せいぜい稀に能力も人格も優れた、素晴らしく利他的な人間が混じっているくらいのものだろう。
生憎ナマエはそうした雑魚や人格者に興味はないので、パリストンがいくら彼らを使い捨てにしようが構わなかった。

「まぁいいわ。引き受ける。たまには加害者じゃなく被害者側の心理を研究するのも面白いかもしれないもの」
「ふふ、ナマエさんのそういう研究しか頭にないところ、すごく好感が持てますね。
 十二支んの”未”は、ナマエさんのほうが面白かっただろうなぁと思いますよ」

ねぇ、とパリストンは勝手に膝上の羊に同意を求めるが、念でできた動物が空気を読むはずもない。ナマエはストレイシープの頭をひと撫でしてやると、具現化を解除した。

「絶対いやよ、十二支んって実質ネテロ会長のファンクラブじゃない」
「ははぁ、それは確かに言えてますねぇ」
「私は会長自体は嫌いじゃないけど、残念ながら研究よりも大事だとは思えないの。それにあのモチーフコスプレもしたくないし」 
「実はボクも一度、耳と尻尾をつけることを検討したんですが、どうもあざとくなってしまうのでやめました」
「……」
「はは。冗談ですよ」

冗談であってくれて助かった。そんな遊園地のキャストのようなパリストンが実現していたら、今よりさらにウザさが際立っていたことだろう。いくら興味の対象だと言っても、彼を鬱陶しいと感じるナマエの機能は正常に作動しているのである。

「それでは、続きのお喋りは移動しながらということで。患者が入院している病院までご案内しますよ」

その一言で気を取り直したナマエは、これから出会う被験者のことを考える。道中の無駄話はぜひとも遠慮したいところだったが、被験者の情報を事前に集めるのはナマエの仕事上のマイルールだった。今回はそう綿密な準備はできないけれど、多少はこの男から聞くことができるだろう。

「ええ、わかったわ」

引き受けたからには、きっちりとやる。
そうした仕事における几帳面さだけが、やや人格に難のあるナマエが他者から信用されている理由であった。


▲▽


「患者の名前はサクリス=ファイス。第272期のハンター試験合格者で、クカンユ王国出身の27歳独身。家族は母国に両親と妹が一人で、放出系の念能力者です」

「家族も含めた病歴は?飲酒の頻度や薬物の経験。経済状況、学歴、宗教、政治的関心、趣味、性的嗜好」

「あのですね……今回見てもらうのは患者であって犯罪者ではないんです。そこまで聞かれてもボクは知りませんよ」

「あ、そうだったわね」

道中のやり取りで得られた個人情報は、役に立つのか立たないのかわからないものばかりだった。しかし何もないよりかはマシであるため、ナマエはしっかりと頭に叩き込んでいく。

パリストンの車で案内されたのは、協会とは特に関わりのない私立病院だった。協専ハンターが任務で負傷したときは一応労災が降りるし、ハンターが優先される医療施設もあるはずだが、あえて民間に入院させているとは本当に”私的”な用事らしい。

実際、患者が向かったとされる任務の場所についても、パリストンはうまくはぐらかした。「国際的な施設とだけ言っておきましょう」彼が何をやろうとしているのかは知らないが、深入りしても良いことはないだろうと思った。

「ファイスさん、ボクです。失礼します」

コンコン、と病室の扉を形式的にノックして、パリストンは返事も待たずに室内へと足を踏み入れる。当の患者は錯乱が激しいのか、拘束衣を身に着けていて、確かに返事を待っても無駄だっただろう。

「ちょっと……ここまで酷いとは聞いてないわよ」

狂った人間の夢を覗き見た経験がないわけではない。しかし、ただでさえ夢は複雑で曖昧なものなのに、狂われていると見るほうも大変なのだ。

「彼は同じ夢を何度も何度も繰り返し見ているそうなんです。任務以降は外部からの干渉を極力排除していますし、逆に混じりけがなくってわかりやすいかもしれませんよ」
「はぁ……とりあえずやってみるわ」

ナマエはいつもの要領で”見たはずの夢(ストレイシープ)”を発動させる。今回、大まかにとはいえパリストンには能力を知られているので、わざわざ陰を遣うようなことはしなかった。そもそもナマエの念は戦闘用ではないし、念の情報が知られていても大きく何かが変わることはない。むしろ今回のように技術として高く買われるものなので、他人に念を隠すという発想はあまりなかった。

「そういえば前から思っていたんですが、夢を扱うならモチーフは“獏”のほうがよかったんじゃないですか?」

早速、拘束された被験者の影を懸命に跨ぐ羊を見ながら、ふと思いついたようにパリストンがそんなことを口にする。

「獏……?」

ナマエもついつい動く羊を視線で追いかけつつ、暇なので彼の話題に乗ることにした。「あぁ、カキン王国に伝わる、悪夢を食らう霊獣のことね」カキンの伝承によると、獏は存在するのかしないのかよくわからない架空の生物とされていて、UMAハンターの中には躍起になって探しているものもいるらしい。しかしそんな扱いだからこそ、その詳細な姿かたちは不明であり、それを具現化しろというのはあまりにも無茶ぶりであった。

「仮に私が想像力を総動員して獏を具現化したとして、一体誰がそれを獏であると認識できるわけ?」

「別に正しい獏の姿を具現化する必要はありませんよ。具現化系能力者にとって具現化したものは目的の機能を発現させるための触媒でしかない。つまり、あなたが獏だと思うものを具現化すれば、理論上そのイメージである”夢を食らう”という能力は発動されるはずです。
 ”眠る”ために数える羊と”夢を食らう”獏では、後者のほうがナマエさんの望む機能に近く、より強い効果が期待できると思うのですが」

「まぁ、確かにそれも一理あるわね」

ナマエがモチーフに羊を選んだのも、そうした触媒機能を持たせたかったからである。具現化はイメージが大事になってくるので、そのものに付帯する認識が強く能力に反映される。例えば、”切る”ことに特化した念を作りたければ、ハンマーよりもナイフのほうがその力を強く発揮するし、夢を扱うにもできれば夢と結びつけやすいものがいい。

だが、パリストンの話を聞いても、ナマエは獏よりも羊のほうが適していると思った。

「獏じゃダメだわ。獏は夢を食べて無くしてしまうもの」
「というと?」
「夢は人間の潜在意識を反映すると言われているけれど、同時に過去の経験や情報によって構築されているの。だから見るだけならばともかく、”食べる”イメージのある獏では被験者の夢そのものや人格に影響を与える可能性がある。サンプルの破壊は趣味じゃないの」

ナマエは膨大な量の夢を回収しているが、あくまで収集家ではなく研究者なのだ。被験者が夢を忘れてしまっては後で経過観察したくなったときに差し障るし、毎度毎度サンプルを破壊する研究者なんて間抜け以外の何物でもない。

しかも、ナマエの"見たはずの夢(ストレイシープ)"は、そのイメージを生かして被験者の影を羊が跨ぎ越すという簡単な発動条件になっている。跨ぎ越した回数で、昨日、一昨日……と過去の夢にまで遡って見ることができるし、紙を食べさせデータの紐づけ管理ができるというのも、羊ならではの発想だった。
ナマエの思考は一に研究、二に研究といった調子なので、利便性もかなり重要な項目なのである。

「なるほど、本当に研究命のナマエさんらしいですね」
「ほら、そうこうしている間に、そろそろいいんじゃないかしら。もう2か月分のデータくらいはとれたはずよ」
「彼が調査に出かけたのは1か月くらい前のことですが」
「悪夢が調査先での体験に由来しているかどうかは、正常時の夢と比較しなければはっきりとは言えないじゃない。ま、今回みたいにおおよその原因と見始めた時期がわかってるならあまり必要ないけれど一応ね」

ナマエはストレイシープに読み取り終了の指示を出し、駆け寄ってきたそれを抱き上げる。そしてさぁ一体何が見えるのか、と瞳を覗き込もうとしたところ、さっと横からパリストンの手が伸びて視界を遮られた。

「……どういうつもり?」
「いやぁ、それってボクも見ることができるのかなぁと思いまして」
「一日分でいいからストレイシープと繋がれば可能よ。つまり、」
「被験者になれば、ということですか。最低限、ボクの昨日の夢をあなたに晒け出す必要があると」
「あら。昨晩、何かまずいものでも見たのかしら?」

正直、またとないチャンスだった。この掴みどころのない男が潜在意識では何を望んでいるのか、ナマエはもちろん興味がある。
しかし格上相手に本人が望まないままストレイシープを発動させるのは難しいし、この男に至っては何を抱えているやら少し恐ろしくもある。

「いいえ。生憎とボクは夢を見ないタチなので。その場合どうなるのかと思っただけですよ」
「あぁ、それは覚えていないだけよ。ストレイシープは本人の自覚に関わらず夢の記憶を引き出すことができるの」
「へぇ、そうなんですね」
「で……どうする?もちろん、無理強いはしないけど」

ナマエはできるだけ平静を装い、判断をパリストンに委ねる。あくまでそっちがどうしてもというのなら、協力しないことはないというスタンスだ。

「ナマエさんは見たいですか?ボクの夢」
「……どうせ、ジンやネテロを追いかけまわしてる夢でしょ」
「酷いなァ、もう少し興味を持ってくれたっていいじゃないですか」

彼はすねたような表情を作って見せたが、本当はナマエが興味津々だというのはお見通しであるようだ。流石にこの男相手にはったりなど通用するとは思っていなかったものの、なんとなく面白くない気持ちでナマエはわざと話を反らした。

「ていうか、それを言うならこっちの夢のほうが問題でしょ。重要な任務だったんなら私が見てもいいの?夢は曖昧で抽象的なものだから、機密が見えるとは限らないけれど、見えないとも限らないわよ」
「ええ、そのことなんですが。前々からナマエさんには僕の計画に参加してほしいなと思っていまして」
「は?」
「あなたの能力は本人すらも自覚していない、潜在的な欲望を探ることができる。そうでしょう?」

不意に真剣な顔になったパリストンにつられて、ナマエも思わず真顔になる。「それが……何か?」もともとこの男ほど愛想がいいほうではなかったが、知らず知らずのうちにごくりと唾を呑むほどには緊張した。

「いやぁ、実は僕、今ちょっと友人と旅行に行く計画を立てていましてね。
 ただどうもその旅先に”人間の欲望につけこむ生き物”がいるらしくって……せっかくの旅行中に仲間割れなんて嫌じゃないですか。同士討ちや無用な火種を排除するために、メンバーを選抜したいんですよ」

「……全然何言ってるかわからないんだけど」

ツッコミたいところが色々ありすぎる。まずあなたに友人なんていないでしょ、とか。
”人間の欲望につけこむ生き物”ってなんなの、そんなのがいるってどんな旅よ、とか。

しかしこれがいつもの冗談ではないということだけは、直感的に正しく理解していた。

「ええ、ええ。ナマエさんの混乱はもっともですよ。でも、百聞は一見に如かずといいますしね」

そう言ってパリストンは抱き上げられたままのストレイシープに視線をやる。
この中にはきっと恐ろしい光景が広がっているのだろう。促されたナマエは臆したが、やがて覚悟を決める。人間の深層心理や、そこに潜む願望を紐解くことを生きがいにしているナマエが、面白そうな物を目の前にぶら下げられて我慢できるはずもないのだ。

ナマエがストレイシープと正面から目を合わせると、悪魔のような横長の瞳孔が一段と大きく広がった。


▲▽


他人の夢を見るのは、映画を見るのに似ている。
ナマエはその中身に干渉することはできず、被験者の姿や行動を眺めるだけだ。たとえ夢の中に気になる事柄を見つけても、夢のストーリと関係ない部分であればナマエが深く追うことはできない。

ファイスはどこかの施設にいるようだった。おそらくここが潜入先なのだろう。悪夢というのは数多ある夢の中でも現実と強く結びついている。特に、今回のような精神に異常をきたすほど刺激的な現実ならば尚更だ。

ファイスは左右に筒状のカプセルが並べられた廊下をただただ歩んでいく。一見すると研究施設のような様相だが、今のところ保管のための器具しか見当たらない。

肝心のカプセルの中には、大小様々なものが入れられていた。
それは酷く変形した手首だったり、圧縮されねじ切られたような肉片だったり、おおよそ人間の物とは思えないが、人間の名残を確かに残した”何か”がぷかぷかと浮いている。過去の犯罪者のなかには奇形の生き物をホルマリン漬けにして収集する変わり者もいたが、ナマエはこれほどまで異様なコレクションを見たことはなかった。

やがて、ナマエがカプセルの中身に釘付けになっていると、ファイスを包む空間が変異する。脈絡のない場面転換は夢にはよくあることで、カプセルは消え、代わりにガラスケースに入った一人の男が現れた。

男は観賞用というにはほど遠い見た目をしており、男の死人のような顔色はこの措置が”隔離”であることを嫌でもナマエに理解させた。
その男はガラス越しにじっとこちらを凝視している。それ以上でもそれ以下でもない。不気味だけれど、悪夢というには今一つだ。

と、不意に男が自らの腕を自分の口元へやり、じゅるりじゅるりと奇怪な音が空間に響き始めた。

「ひっ」

ナマエは初め、男が何をしているのかわからなかったが、それがカニバリズムに相当する行為だと気付いた時には心底ぞっとした。もちろん、そういう嗜好の人間に会ったことはある。だが目の前の男はそうした食人愛好家とは明らかに顔つきが違った。彼らは趣味として楽しんで悪食を行うが、男のそれは絶望に満ちている。

――うわあぁああ!

気づくと男とファイスを隔てていたガラスは綺麗さっぱり無くなっていた。
こうした物理法則を無視した現象も夢では別に珍しくない。しかし、頭ではそうとわかっていても、ナマエはファイスと一緒になって悲鳴を上げてしまっていた。腰を抜かしたファイスはほうほうの体で後ずさりするが、男はゆっくりと一歩一歩近づいてくる。ふしゅーふしゅー、という男の不気味な呼吸音だけが、空間を支配しているのだ。

――く、来るなぁぁぁ!!

パニック状態のファイスは叫んで大きく手を振りまわす。男の動きはひどく遅いのに、後ずさっても後ずさっても距離は一向に開かない。その時、必死で後退していたファイスの背中に何かが当たった。

彼が振り返ったことで大写しになったそれは、先ほどカプセルの中にあった肉片だ。成人男性の背丈ほどの長さのあるそれは、ミシミシと音を立ててさらに捻じれ始める。やがて肉片は限界を迎えると、ぶしゃり、と赤茶色の粘液をまき散らした。そしてそれを浴びてしまったファイスの身体も、ありえない音を立ててきしみ始める。捻じれが伝染したのだ。

――いやだぁぁぁ!!
「いやぁぁ!!」

ファイスがねじ切れる最期の瞬間、ナマエは無意識のうちに映像を停止していた。

「大丈夫ですか、ナマエさん」

パリストンに肩を揺さぶられ、自分が現実に戻ったことにようやく気付く。別にこの能力では肉体も精神も夢の中に移動しているわけではなかったが、それでもこの感覚は”現実に戻った”と表現するのがしっくりくる。他人の夢を見慣れていなかった頃ならばともかく、ナマエがこれほどまでに没入してしまったのは久しぶりだった。

「……っ、こ、れっ、一体……?」

まるで全力疾走でもした後のように息が切れている。ナマエは上手く紡げない言葉でパリストンに説明を求めたが、彼はいつもの困ったような笑顔を浮かべただけだった。

「さぁ、ボクはその夢を見ていないので、ボクに聞かれても困りますねぇ」

そうは言うものの、パリストンはナマエの取り乱しようを見ても夢の中身を尋ねてこない。そもそもファイスに調査を依頼したのはこの男だ。だいたいどんなものがあるかくらいは、あらかじめ知っていたと考えられる。
思わず、酷い茶番ではないか、と非難するような視線を向ければ、彼はまた神妙そうな顔つきになった。

「ナマエさん、ボクはね。今あなたが見たような世界にこれから行こうと思ってるんですよ」
「……どういうこと、本当にあれは現実なの?」

今回のようなケースの悪夢は、実体験に結び付いている、というのはナマエ自身が考えていたことだ。しかしあまりの内容にそんな考えなど放り捨てたくなるし、事実、ねじ切れたはずのファイスの肉体は五体満足でここに揃っている。
あの夢のどこが”現実”で、どこが”創作”なのかの判断は難しいが、全ての願望を恐怖が凌駕してしまった結果があの夢なのだろう。あれではわかるものもわからない。恐怖の対象から逃れるために相手を殺す夢を見ていた被験者はいたが、ファイスのこれはどこまでいっても純粋な恐怖しか感じられなかった。

「現実だっていうの?あんなのものが」
「いいえ、夢ですよ。でも夢は叶えるものっていうじゃないですか」
「……」

「暗黒大陸。ナマエさんだって聞いたことくらいはあるでしょう」

ここでパリストンの口から出たのは、人類最大禁忌とされる絶対不可侵領域の名。V5によって200年以上も前に、不可侵条約が締結されている”外側の世界”のことだ。
一応他の遺跡ハンターやらなんやらに比べれば、興味の対象が人間であるナマエはわりと協会に顔を出す部類である。そのためネテロに渡航経験がある話は小耳に挟んでいたし、さらにはその会長自身が危険すぎると判断を下したことも知っていた。

「……あなたまさか、会長が行くなというから行こうとしているわけじゃないでしょうね」

いきなり予想外のワードをぶつけられたことで、ナマエは返って冷静さを取り戻し始めていた。非現実と非現実というマイナス同士の掛け算で、まるで空想話につきあわされているような気持ちになったのだ。

「違いますよ。面白いことに対する、ハンターとしての純粋な渇望ですって」
「嘘ばっかり」
「信用ないんだなァ。でも、ナマエさんだって、我慢できないほどの好奇心を味わったことくらいあるでしょう。
 たとえばそう……ボクの昨日の夢が気になったりしませんか?」

そう言ったパリストンの目尻は下がり、口角が上向きの緩やかなカーブを描く。お得意の胡散臭い笑みに、図星のナマエはぐ……と詰まった。

「でも、あんなのを見せられたあとじゃあね。今更あなたの夢なんて、」
「見た後だからこそ、と思うんですが、違いますか?」
「……」

精いっぱいの虚勢すらもあっさりと打ち砕かれ、今度こそ黙り込むしかなかった。
パリストンに関わっても絶対にろくなことにはならない。しかも、暗黒大陸に行くなんてあまりにもぶっ飛んでいるし、この男の興味が”大陸の探検”なんて可愛らしいもので済むはずもないのだ。

今まで手付かずだった新世界には、豊かな資源と共に、パンドラと表現されるに相応しい災厄が待ち構えている。
スーパーハイリスク、ハイリターン。良くも悪くも、パリストンはリターンに目が眩むような単純さや俗物さを持ち合わせていないはずだ。だからナマエが彼に協力するということは、一種の罪の幇助に当たるのではないだろうか。

だが、それでも――

「……わかった、協力するわ」

ナマエは結局、好奇心には打ち勝てなかった。
絶対、絶対にそこらの犯罪者を相手にするよりも、この男を見ていたほうが楽しいに決まっている。おそらくナマエには想像もつかないような、底なしの闇を、底なしの異常を披露してくれるはずだ。

「ただし、実際に大陸に行くことまでは承諾できないわね」
「ええ。ナマエさんには主に出発前の人選に関わってもらいたいと思っています。もちろん、途中で気が変わってついていきたいというのならそれはそれで構いませんよ。
 いやぁ、それにしても嬉しいなァ。また計画が固まったらお伝えしますよ」
「ええ、まぁ、計画もだけど……」
「おや、何か気になることでも?」

きょとん、とした顔で首を傾げるパリストンに、とうとうナマエはじれったくなって抱き上げた状態のストレイシープを目の前に突き付ける。「その前にこっちを片付けなきゃいけないでしょ。で、あなたは見るの?見ないの?」パリストンは昨日の夢を差し出すことで、ストレイシープと繋がることができる。ファイスのこの夢が本当に暗黒大陸に関わるものなのだとしたら、パリストンは絶対にこれが必要なはずだった。

「あぁ、申し訳ないけれど、ボクはファイスさんの映像を確認する必要がないんですよ」
「え、」
「彼を潜入に向かわせたのは彼の念が伝達に適したものだったからで、既に必要な情報はこちらに入っているんです。だからあなたの念を僕に適用する理由もないんですよ」
「は?」

期待していたことを憎らしいほどあっさりと断られて、ナマエはぽかんと口を開ける。その顔がよほど面白かったのか、困り眉こそしているもののパリストンは愉快そうに笑った。

「どういうこと?じゃあこの依頼は?」
「言ったじゃないですか、前々からナマエさんには僕の計画に参加してほしいと思ってたって。狙った通りに獲物が動けばハンター冥利に尽きるでしょう?僕はただ道中楽しみたかっただけですよ」

なるほど、この依頼は初めからナマエの勧誘を目的にしていたということか。それにまんまと乗せられてしまったんだと思うと悔しかったが、同時にこれから起こることへの漠然とした不安と期待が込み上げてくる。こんな気持ちになるのは久しぶりのことだった。
何事も簡単すぎるより、少しくらい難しいほうがやる気に火が付く。

「パリストン、あなたきっと最高の研究対象になれるわ」
「お褒めの言葉として受け取っておきますよ」

先ほどからずっと放置されて、所在なさげにしていたストレイシープが小さく鳴く。ナマエはいつものようにデータ番号の用紙を与えると、罪の幇助だなんて難しいことを考えるのはもうやめた。

そもそも、迷うこと自体が馬鹿馬鹿しい。ナマエは人の役に立ちたくて研究をやっているわけではなく、あくまで自分の興味の赴くままに行動していた。それがたまたま再犯防止という形で役に立っただけで、こちらは所詮副産物でしかないのだ。今更善人ぶったところで、意味がないという話である。

「私もせいぜい楽しませてもらうとしましょう」

もしも、ナマエの夢を覗き見ることができる者がいたら、きっと口を揃えてこう言うだろう。

――こいつは自己中心的で、ロクでもない奴だ!

しかし、人間とは多かれ少なかれ、そういう生き物であると思っている。
あくまでそれは何のデータにも基づかない、ナマエの個人的な感想ではあったが。


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