- ナノ -

■ マインドキャンディーたべたのだれだ

――この世の何を捨てても許される場所。

独裁者の人種隔離政策に始まり、1500年以上前から廃棄物の処分場となっているここ流星街には、推定で800万人もの”存在しない”人間が暮らしている。
彼らの多くは捨て子や犯罪者、住処を失った民族であり、そうした空白のバックグラウンドのお陰で、マフィアンコミュニティーと流星街は古くから蜜月関係にあった。

そして近年、その関係性はドラッグという形でさらに強まっている。製造者本人であるナマエがこれを聞けばドラッグなんて失礼な!と憤慨するだろうが、ここ10年ほど前から『マインドキャンディー』という代物が流星街から裏の世界へ流通するようになっていた。


「やぁ、相変わらず忙しそうだね」

オープン前の、まだ閉まっている店の裏口から我が物顔で中に入ったシャルナークは、幼馴染に向かっていつものようにそう声をかけた。
流星街にはあまり似つかわしくない、どころか正直浮いているとしか言いようのないポップでカラフルなお店は、工房を兼ねたいわゆる本店というやつである。工房と言っても一から飴を作る訳ではないので衛生面に問題は無いが、どうせなら流星街以外に出店した方が良かったのではないかと思わざるを得なかった。

「あぁ、シャル。久しぶり」

作業中だったらしいナマエは手を止めると、目が合うなり一瞬表情を強張らせた。シャルはそれに気付かないふりをして、作業台に近づいていく。

「最近どう?面倒な客に困ってたりしない?」
「ううん、お陰様で大丈夫。バックに蜘蛛がいるってわかってて、ちょっかいかけるような馬鹿は滅多にいないよ。マフィアのほうだって、大事な職人の機嫌を損ねたくないだろうしね」
「それはよかった」

シャルはにっこりと笑って、室内に所狭しと並べられた飴玉の瓶を見回した。相変わらず地震でも来たらひとたまりもなさそうな積み具合だが、ナマエは管理が面倒だからと他に倉庫を用意する気は無いらしい。

「今日もいつもの?」

シャルがにこにことしていると、ナマエは居心地悪そうに早口で言った。

「うん。よろしく」


『マインドキャンディ―』はその名の通り、表面にザラメのまぶされた、色とりどりの飴である。見た目も味も市販されている安価な駄菓子と変わりなく、この飴自体を成分分析したとしても、砂糖、水飴、香料……とただの原材料表示の確認になるだけだろう。

しかしこの飴を食べたものは、飴に込められた念によって精神や肉体に様々な効果を得ることができた。
たとえばルビーのような紅色が美しい苺味のものは、脳内でモルヒネ様物質の分泌を促進し、食べた人間に多幸感をもたらすとして人気だ。逆に春の日の空色を思わせるラムネ味のものは心を落ち着け、鎮静作用があるという。

元々、様々な合成薬物が出回っていた裏の世界だ。これらの『マインドキャンディ―』が受け入れられるのは実に早く、それどころか近年マフィアンコミュニティーの上層部にもファンが増えてきたため、常に品薄状態である。
というのもこの『マインドキャンディ―』には他のドラッグとは決定的に異なる点があって、これだけの効果がありながらも深刻な副作用がなく、耐性がつくことがないのだ。実際、飴の成分自体は砂糖なので、服用を続けてもせいぜい血糖値が上がるくらいのものでしかない。また、飴自体に化学物質が含まれているのではなく、あくまで念による分泌器官の操作なので、過剰摂取による持続時間中の重ねがけは無効だ。

そういう理由もあって、ナマエはこれはあくまで”嗜好品”だと言い張る。値段自体も飴としては目玉が飛び出るほど効果ではあるものの、麻薬や覚せい剤の類と比べれば可愛らしいものでしかなかった。

「そういや、パクから美容に良い飴がないか聞いてくるように頼まれてたんだった」
「あるにはあるけど、パクに必要かなぁ。もう充分だと思うけど」
「まぁ、女は誰だって若く美しくいたいんじゃないの?」

そんな軽口をたたきながら、シャルは今日こそ受け取ってもらうぞ、と現金の詰まったアタッシュケースを足元に下ろす。それを見たナマエは一瞬呆れた表情になったが、既に用意してあった小瓶と追加の商品を袋に入れた。

「お世話になってるし、お代は要らないっていってるでしょ」
「そういうわけにはいかないだろ。ナマエだってこれが商売なんだし」
「買い物なんてしたら盗賊の名が泣くよ」
「さすがのフェイだって、ナマエからは奪おうとは思わないさ」
「……」

彼女とはそれこそ長い付き合いになる。お互いまだ念も知らず、生きるだけで精いっぱいだった頃からの知り合いだ。
けれどもシャルや他の幼馴染がクロロについてここを出ると決めたとき、ナマエはこの街に残ることを選んだ。彼女の才能は戦闘向きでもなければ、盗賊向きでもなかったからだ。

だが、そうして道は別たれたものの、シャルも他の旅団員もナマエのことは変わらず仲間のように思っていた。だから彼女が商売関係でトラブルに巻き込まれた際には、蜘蛛が用心棒を買って出ることもあったし、実際シャルに至っては旧友だからという理由以外でもナマエのことを守ってやりたいと思っていた。

「相変わらず頑固だなぁ」
「……だって、悪いし。ほんとはこんなにもらうほどの大した仕事じゃないんだよ。飴の原価考えて?」
「飴自体はそうでも、ナマエの念が注がれる点に付加価値があるんだろ」

誰も今更利益の話なんかしていないし、だいたいそれが商売というものだろう。しかしナマエが断るのは毎度のことなので、シャルの一番の目的はお金を受け取らせることではない。アタッシュケースを押し付けあうやりとりの中で、シャルはぱっと彼女の手を握った。

「わかった、どうしても受け取りたくないっていうなら、せめてご馳走させてよ」
「えっ……」
「それくらいならいいだろ?閉店後で良いからさ、良い店見つけたんだ」
「いや、それは……」

ナマエは困ったように眉を下げたが、はっきり良いとも嫌だとも言わない。それをいいことにじゃあ決まりね、とシャルは無理矢理押し切った。

「じゃあ、仕事が終わったら連絡して。待ってるから」
「ちょっ、待って、シャル、」

ナマエの慌てたような声が聞こえたが、この際気にしない。
自分の目的を達成し、意気揚々と店を後にしたシャルが、アタッシュケースどころか商品すらも忘れてきたことに気付くのはそれからしばらくしてのことだった。


▲▽


「どうしよう……」

ナマエは落ち着かない思いで、先ほどから何度も窓から店の外をちらちら伺っていた。一時間ほど前に仕事が終わった旨を伝えたので、もうじきシャルが迎えに来るだろう。ついでに渡し損ねた商品と代金を受け取ってもらわなければならないと考えながら、ナマエはそわそわと店の中を無駄に動き回った。

実際、滅多に着ないよそ行きのワンピースを着ている時点で、ナマエがこの食事を楽しみにしているのは明白すぎるほど明白だった。彼が店を訪ねてくれたのも嬉しかったし、商品の代金の代わりとはいえ二人で出かけることを提案してくれたことにも胸が高鳴った。

けれども同時に、ナマエはこの幸福がすべてまやかしであることも知っている。
後でシャルに渡す袋の中から、ローズクォーツを彷彿とさせる淡い桃色の『マインドキャンディ―』を取り出したナマエは、小さくため息をついた。
商売道具の私的使用なんてもってのほかだ。自分でも馬鹿だとわかってる。集中力が高まるからと偽って渡し続けているこれは、恋愛ホルモンとして有名なフェニルエアチミンの分泌を促すものだった。
好意の対象が術者のナマエへと向いてしまうため市販することはできないが、効果でいうなら立派な惚れ薬である。
ナマエはずっとずっと、それこそ念を覚えるずっと前からシャルのことが好きだったのだ。

最初はほんの出来心だった。醜い自己弁護をさせてもらえば、恋する乙女のおまじないの延長だった。
けれどもナマエはただの乙女ではない。この飴を作ったころは駆け出しだったとはいえ、他人を操る力を持つ念能力者なのだ。初めは心躍った彼の優しさも笑顔も、だんだんとナマエに空しさや罪悪感を与える。これは彼の本心ではないのだ。彼は自分のことなど好きではないのだ。そう考えると、どうしても態度にぎこちなさが出た。

だから虚しさに気付いた時点で、ナマエはこんな薬を渡すのなんてやめてしまえばよかった。本当に集中力の上がる飴を作って、そっちを渡せばよかったのだ。
だが、ナマエは飴を食べなくなったシャルが、自分に見向きもしなくなることも怖かった。本来それこそが正しい世界だったが、シャルの感情が操作されたものでしかないという現実を突きつけられるなんて耐えられなかった。

そもそもナマエは、告白もせずに惚れ薬なんてものを渡してしまうほど心の弱い人間なのだ。だから与えらえた偽物の好意を受け取る図太さもなく、かといって惚れ薬をやめる勇気もなかった。
幸い、効果の持続には継続的な摂取が必要だったので、ナマエはただシャルが飴を食べるのをやめるのを待てばいい。食べても集中力も上がらないし、依存性もない飴をずっと食べ続けるなんて普通ありえない。
ありえないはずなのに、なぜかシャルは定期的にこれを買いに来る。そのせいでナマエはずるずると罪を重ね続けるしかなかった。


「おまたせ、ナマエ」


考え事をしていた間に、結構時間が経っていたようだった。慣れたように裏口から入ってきた彼に声をかけられ、ナマエは手に持っていた小瓶を落としてしまう。

「あっ!」

ごろごろと鈍い音を響かせて瓶が転がる。それだけならまだしも落とした際に蓋が緩んだのか、中の飴玉たちがナマエの罪を暴くかのように床にぶちまけられた。「大丈夫?」大騒ぎするようなことでもないのに、ナマエの心臓はばくばくと忙しなく騒ぎ立てる。腰をかがめて飴を拾おうとした彼に、自分でも驚くくらい大きな声が出た。

「ご、ごめん!作り直すから!」

こんなもの作り直さなくていい。いい加減渡すのをやめなくてはならないと思っていたのだから、これは好機ではないか。ナマエがすべきは飴を作り直すことではなく、シャルに謝ることだ。自分がシャルを長年騙していたことを打ち明けて、その結果彼がナマエを軽蔑し離れていったとしても、それを甘んじて受け入れなければならなかった。

「気にしなくていいよ」

しかし何も知らないシャルはいつものように優しい笑顔を浮かべる。「そもそもナマエとのデートに浮かれて、忘れていったのはオレだしね」見ればシャルも、いつもと違う服でめかしこんでいる。とろけるような微笑を浮かべて、ナマエのためにおしゃれをして、わざわざここまで迎えに来てくれたのだ。

――全部、『マインドキャンディー』のせいで。

そう考えると、こうして向かい合っていることすら辛かった。罪の意識と惨めさにいっぺんに襲われて、ナマエはもう限界だと思った。

「……シャルは、私のこと好きなの?」
「えっ!?」

ここまで言えば彼ならきっとスマートに認めるだろうと思っていたのに、返ってきたのは意外にも動揺した声だ。しかし残念ながらそんなことを気に掛ける余裕はナマエにはなかった。過去に告白すらできなかった消極さはどこへやら、どうなの?と畳みかける。飴のせいで答えがわかっているから、その答えに価値がないとわかっているからこそできた真似だった。

「……うん、好きだよ。昔からナマエのことが好きだった」

やがて戸惑いから復活したシャルは、予想通りの答えを返す。
何の苦しみもなく、私も、と言えたらどんなによかっただろう。ナマエは泣きそうになりながら首を振った。

「……ごめんシャル、私、あなたに惚れ薬を飲ませてた。だから、それはシャルの本心じゃないの」

勢いのままに言ってしまうと、二人の間に恐ろしいまでの沈黙が落ちた。正直、念が効いている最中の彼に暴露して意味があるのかはわからなかったが、それでもこの機会を逃せばナマエはきっと後悔しただろう。
シャルの表情から笑顔が消える瞬間を見たくなくて、俯いてしまうくらいには心が弱いままではあったけれども。

「……へぇ、ナマエは惚れ薬飲ませるくらいオレのことが好きなんだ?」

やがて、足元に映し出された彼から伸びる影が、一歩一歩ナマエのもとに近づいてくる。パーソナルスペースを超え、つむじに息がかかりそうなほど近くまできた彼に驚いたが、ナマエは逃げずに次に来る侮蔑の言葉を待った。

「でもその感情は、オレがナマエを操作してたからだって言ったらどうする?」
「……え?」
「オレも操作系だってこと、忘れてない?」

するりと顎に手がかけられ、呆然としている隙に上を向かされる。目が合ったシャルは真剣な表情で、ナマエの思考はフリーズした。「そ……そんな、」しかしそんな馬鹿なことがあるわけがない。シャルのアンテナはニ本なのに、そのうち一本をナマエを惚れさせるために使うなんて馬鹿馬鹿しいにもほどがある。ナマエはからかわれたのだと思い、身体がかっと熱くなるのを感じた。

「そんなはずない、これは私の感情よ!操作された感情じゃなくって私だけの感情なんだから!」

もしこれが操作されているせいなのだとしたら、こんなにつらいもんか。こんなに苦しいもんか。シャルのことが本気で好きだからこそ、ナマエは罪悪感に苛まれながらも『マインドキャンディ―』を渡すのをやめられなかった。
シャルの言葉は悪い冗談でしかない。ストレートな侮蔑よりも、ずっと質の悪い、ナマエの気持ちさえも踏みにじる言葉だと思った。たとえナマエには怒る権利などないとわかっていても、傷つくことまでは避けられなかった。

「わ、私は、私はずっと好きだったもの!本当に好きだった!これは操作なんかじゃない!」
「オレだってそうだよ。これは操作された感情じゃない。ナマエのことが好きなのはオレだけの感情だ」
「何言って……」

「惚れ薬のこと、知ってたんだ」


ぽつり、と呟いて、シャルは足元に転がる桃色の『マインドキャンディ―』を拾う。拾って目の前で粉々に握りつぶして、彼はいつものように微笑んだ。

「こんなものがなくても、オレは昔からナマエのこと好きだったよ」
「どういうこと?」
「だから、食べてなかったんだ。まぁ食べても意味ないだろうし。集中力に関しても、効果はないようだったからね」

シャルが言うには、一番最初に食べた時に何も効果がなかったのを不審に思ったらしい。その頃からナマエの念は確かなものだったし、実際他の飴なら説明通りの効果を感じることができたから尚更変だった。だがそれでもせっかくナマエから貰ったものだからと残していたところ、うっかり他の団員が食べて効果が判明したと言うのだ。

「可哀想だから食べちゃった人が誰かは伏せるけどさ、それはもう大変だったんだよ。暴走して何するかわかんないから、みんなでナマエのとこに行かせないように必死さ」

当時を思い出したのか、シャルは笑いをこらえるように口元を歪める。さすがに惚れ薬を自分で食べてみたことはなかったので、それほどのものとは作ったナマエ本人ですら知らなかった。

「じゃあなんで、ずっとそんなもの買いに来てたの?」
「あー、それ言わせる?ナマエに会いに行く口実に決まってるだろ。
ていうかそれを言うなら、ナマエこそオレにこんなもの渡しておきながらどうして避けてたのさ?」
「だって、シャルが操作されてると思ったら、悲しくて……」
「操作しようとしたのはナマエだろ」
「それはそうだけど……」

ナマエにはナマエなりの葛藤があったのだ。自分の能力を呪ったことさえある。操作系じゃなかったら、思いついたとしても実行することはできなかったのに、と。

「おかげでオレもなかなかナマエに好きだって言えなかった。アピールしても素っ気ない態度で全然何考えてるかわかんないし、惚れ薬の実験体に使われただけなのかとさえ思ったね」
「違う!」
「ははっ、今はもうわかってるよ。ナマエはオレのことがものすごく好きなんだね」
「……」

改めて確認するように言われたナマエは真っ赤になりながらも頷くしかない。実験体どころか、シャルこそが本命だったのだから。

「馬鹿みたいだよね。オレたち、初めから両想いだったんだよ」

そう言われても、ナマエには返す言葉がなかった。まだ半信半疑というのもあるが、とにかく両思いの響きが耳に慣れない。「ナマエはオレのことが好きだったんだ」珍しくはしゃいだ様子のシャルに、面食らっていたというのもあった。

「……わかったから、もう、」
「なに?」
「わかったからそれ以上言わないで……恥ずかしい」
「じゃあ黙らせてよ」

そう言ったシャルの笑顔はいつも以上に優しかったが、どこか意地悪でもあった。

「……」

沈黙のあと、意を決したナマエがめいっぱいの背伸びをすると、支えるように腰に手が添えられ、彼の顔が近づく。


「ごちそうさま」

交わしたキスの味が檸檬なのか苺なのか、はたまた葡萄なのかはわからない。わかったのはただひたすらに甘くて、幸せな気持ちになれるということだけだった。


マインドキャンディーたべたのだれだ
titled by 徒野

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