- ナノ -

■ いつか正義が行われる日がくるまでは

「いくらなんでも、この数は異常よ……」

報告書に挙がっている行方不明者のリストを眺めて、ナマエはひとり愕然とした。

確かにこの世界には流星街という、『社会的に存在しない人間』達が住む場所もあるくらいだし、そうでなくたって治安が悪い国もたくさんある。臓器としてや奴隷としての人身売買は、悔しいことに今でもまだ珍しくない。

だがここに名前を連ねている人物たちは、そんな劣悪な環境下で被害にあうような、非力な一般人ではないのだ。数百万分の一の難関と言われるハンター試験を通過した、類稀なる才能の持ち主たち。たとえ戦闘向きでなかったとしても、普通の人間の身体能力、精神力とは比べ物にならない。

だからこそそんなエリートたちが、どうして。

ナマエはリストを手に、廊下を早足で歩く。行先は決まっていた。副会長室だ。そこにすべての元凶がある。いや、正確には"いる"と言ったほうが正しいだろう。

「失礼します」

ノックもそこそこに部屋に入ったナマエは、爽やかな笑顔を浮かべた男の目の前にリストを叩きつける。「説明をしていただきたいのですが」副会長─パリストンは机の上のリストとナマエの顔を交互に見ると、驚いたような表情をつくって見せた。

「おやおやどうしたんですかナマエさん、そんな怖い顔をして」
「これは昨年度の協専ハンターの行方不明者リストです。とりあえず過去5年分。私の言いたいこと、わかります?」

パリストンが副会長に就任してから、もう3年ほど経つ。その間、行方不明者数は右肩上がりどころか、爆発的に増大しているのだ。
しかしパリストンは焦るどころか、深刻そうに眉根を寄せると両手を顎の前で組んだ。

「ええ、わかりますよ。実に痛ましい……こういったことが少しでも減るように僕も尽力してはいるんですがねぇ」
「尽力?あの、もう一度リストをよく見てもらえますか?貴方が副会長になってから、年平均で約10倍。それだけの数のハンターが行方不明になっているんです。これはどう考えたって異常です!」

パリストンには色々と後ろ暗い噂が多かった。協会の積立金を流用してるとか、協専ハンターを奴隷のように使ってその仲介料を搾取しているとか。そしてそのお金を裏の人間に流して、協会に対するクーデターを企てているとか。
どれも明確な証拠はなく、あくまで推測の域を出ないが、火のないところに煙は立たない。

そもそも曲がったことが嫌いなナマエは彼が副会長に就任する前からずっと、パリストンのことが嫌いで嫌いで仕方がなかった。尊敬する会長の指名だからどうしようもなかったが、許されるのなら今すぐ首根っこを捕まえて協会の外へ放り出したいくらい。そして同時に、諸悪の根源を目の前にしながら、こうして口先だけで糾弾することしかできない無力な自分にも腹が立っていた。

「……なるほど。つまり、ナマエさんは僕を疑っている。そう解釈してよろしいんですか?」
「そうです」
「ははは、正直な人だなぁ」

パリストンは何がおかしいのか、声をあげて笑ってみせた。しかし、そこにいつもの爽やかさは欠片もなく、どこか背筋をぞくりとさせるような、意地の悪い笑い方。
ナマエはふざけないでください!とさらに語気を荒くしながらも、内心ではパリストンの態度の変化に戸惑っていた。

「ふざけてなんていませんよ。あなたは正直で愚直で、自分が正義だとばかり思い込んでいる、可哀想で可愛い人だ」
「っ……!なにを!」
「だって考えてみてもくださいよ。仮にあなたの推測が正しいとするなら、どうして直接僕のところにこのリストを持ってくるんです?会長のところに持っていたほうが確実でしょう?なんてったって僕は悪人なんだから、あなたもろとも証拠を握りつぶしてしまうかもしれません」

そう言って、彼は言葉通りリストを目の前でびりびりに破ってみせた。もちろん、大元のデータはパソコンの中にあるので、そんなものはただのパフォーマンスでしかない。だが、暗にお前もかんたんにこうできるのだ、と言われているような気がして、ナマエは激しく動揺した。

「だ、だって、会長は貴方のこと……」
「気に入っていると言いたいんですか?つまりは、会長はナマエさんよりこの僕の方を信用している。もしくは、僕が悪でも許容しているということです。こんなリストは誰だって調べればわかることだし、会長だって全く知らないわけではない筈ですよ?でも僕は副会長のまま。聡明なナマエさんならわかりますよねぇ?この意味」
「……」

瞳は少しも笑っていないくせに、口元に浮かんだ微笑は蠱惑的ですらある。突きつけられた、いやずっと目を逸らしていた事実にナマエの頭は既に真っ白だったが、パリストンはそこでやめようとはしなかった。大げさにため息をついて、憐れむような眼差しをこちらに向ける。

「可哀想なナマエさん。正しいことをしようとしているのに、全く報われませんねぇ。いや、もしかしたら正しいことじゃないから、報われないのかもしれません」
「……ちがっ、私は……こんなの、間違ってる……!会長は貴方を許してるわけじゃない、ただ楽しんでるだけだから、」
「会長は『悪』を楽しんでるんですか?自分は手を汚さず、僕が悪事を働くのを楽しんでる。それって会長も充分『悪人』ですよね?貴方の尊敬する、正しくて立派な会長が」

「もう、やめてください!」

そうなのだ。目の前のこの男を否定するということは、同時に会長を、ひいては自分の信じるものを否定することになるのだ。だが、パリストンに不信感を抱いているのはこの協会でナマエ一人ということもあるまい。たとえ会長が彼を面白いからと言う理由だけで捨て置いたとしても、ナマエの味方はたくさんいる。大勢でこの件を糾弾すれば、会長だって過ちに気づいてくれるかもしれない。彼は悪だ。そして悪はどんな手段を使ってでも排斥されるべきだ。

「……やっぱり、私は間違ってなんかない」

ぐるぐる回っていた思考がひとつの答えを導き出したとき、ナマエはうわ言のようにそう呟いていた。そしてもう一度、パリストンに向かってそう言ってやろうとした、その時、

「『自分は正しい』『これこそ本物』『これは良い事』実はこう思った瞬間こそが人間が最も攻撃的になる時なのだ……はて、誰の言葉でしたかね。あぁそうだ、確か有名な漫画家さんでした」

世間話をするような軽い調子で紡がれた言葉に、ナマエはがつん、と殴りつけられたような気がした。

攻撃的になっていたのは本当のことだ。大勢で、数の力でこの男を圧倒してしまえばいいと思っていた。けれども力による弾圧はナマエの理想とする『正義』とは少しずれる。いや、『正義』のためなら何をしても許されるのか?では『正義』とは一体なんなのだろう。

一体何を信じればいいのだろう。

ナマエが当然至るべき疑問にぶちあったのを悟ったパリストンは、今までで一番優しい笑みを浮かべた。そっと、震えるナマエの手を包み込み、誘惑するように囁く。

「大丈夫。僕はナマエさんのそういうところ好きですよ。貴女は正しいと思います」
「や、やめて……正しさなんて……」
「絶望することはありません。こんな言葉があります。『正しさは初めから存在しない。正しさとは作るものだ』」
「それは、誰の言葉なんです……?」

ナマエはいつしか、すがるように問いかけていた。頭からは行方不明者のリストのことなどとうに抜けて落ちていて、あの憤りも嘘のように消えている。所詮、ナマエが行方不明者の為にパリストンを糾弾しようとしたことなんて『偽善』にすぎなかった。

向けられるパリストンの笑顔がそのことをよく物語っていたが、ナマエは知るよしもない。ただ、今はこの混乱した心や頭を納得させる言葉が欲しかった。

「誰って、いやはやお恥ずかしい。これは僕の自論です。でも、少しは救われたでしょう?」
「……」
「貴女は正直で愚直で、可哀想で可愛い人だ。いつか本当の正義が行われる日が来るまで、せいぜい頑張ってくださいね」

応援してますよ、なんて肩を叩かれ、ナマエは魔法にかけられたかのように頷いた。そしてそのまま踵を返すと、重い足を引きずるようにしてのろのろと副会長室を後にする。身体は重いのに、中身は空っぽになってしまった。でも、正しくあらねばと思い込んでいた時より、肩の力が抜けたのもまた事実。

「ナマエさんって、ほんと可愛いなぁ……」

一人になったパリストンは、机の上に散らかったリストの残骸をまとめてゴミ箱に捨てる。要らなくなったものや邪魔なものを捨てると、少しの喪失感と快感が胸のうちを満たした。

「彼女がまだ壊れてないといいんですけど」

結局、うっとりとしたようにつかれたため息は、誰の耳に入ることもないまま、副会長室の空気に混じりこんで消えていった。

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