- ナノ -

■ そして悪い子は死んだ

今日の仕事はとても簡単だった。
相手は念も使えない一般人で、警備システムはあれどボディーガードもなし。別荘に高跳びしてすっかり安心しきっているターゲットを殺すのは、本当に造作もないことだった。

だから今日の仕事を一人でこなすように言われたのも妥当といえば妥当なのかもしれない。家族全員が忙しくしてるのは知ってるし、無駄な人員を割くのは賢いことではない。だがそれでも私は納得がいかなかった。

「うん、終わった。大丈夫……じゃ」

いつも通り、私はミルキに依頼完了の旨だけ伝えて通信を切る。ただいつもと違うのは、そのあとすぐその場で通信機を粉々にしたことだ。足で踏みつけると私にはさっぱりわからない金属片やコードが散らばったが、それでも気が晴れずに再度踏みつける。六芒星の描かれたこの通信機はゾルディック専用のものだったが、今の私にはこの六芒星すら忌まわしかったのだ。


ナマエはゾルディック家の一人娘だった。順番で言うならミルキの下でキルアの上。だが年齢はキルアとひとつしか違わず、家族全員から特別扱いされる弟の存在を容認できるほど大人ではなかった。
キルアに才能があるのはわかる。自分としても別に家を継ぎたいわけではない。けれども一方で未だ念も教えず大事に大事に育てられている弟と、誰の付き添いもなく一人で仕事に向かわされる自分を比べたときに、どうしようもない虚しさと腹立たしさがこみ上げてきて仕方がなかった。

両親も長兄も、口を開けばキルアのことばかり。果ては執事や弟たちまで、キルアのことを気にかけている。唯一ミルキは話を聞いてくれるけれど、そもそも彼は誰かに構ってもらいたいとも思っていないようだった。こっちはこんなにも誰かに見てほしくてたまらないのに。

結局、仕事を終えた私は、この日家には帰らなかった。割り当てられた仕事はきっちりとこなしたし、どうせ私なんかがいなくなったところで誰も困らないだろう。家出のために周到な準備をしていたわけでも行くあてがあるわけでもないが、誰にも何も言わずに消えたかった。そして探しに来てほしかった。




「ナマエ、」

仕事の通信を最後に、連絡を絶ってから2日後のことだった。言っておくが決して、足取りを誤魔化したりして隠れていたわけではない。ようやく呼ばれた自分の名前に、私は喜んだらいいのか泣いたらいいのかわからなかった。

「どうしたのさ、帰ってこないから皆心配してたよ」
「……皆って?」

ちっとも心配していたふうではないけれど、長兄の無表情は元からだ。ターゲットの別荘からそう離れていない場所で野宿していた私は、現れた兄に期待のこもった眼差しを向ける。その質問に兄は不思議そうにちょっと首を傾けたが、皆は皆だよと抑揚のない声で答えた。

「父さんと母さん、それにミルやカルも。母さんなんてオレに探して来いってうるさかったし」
「じゃあ、イル兄は言われたから探しにきたの?父さんや母さんは心配してるのになんで自分で来ないの?」
「……どうしたのナマエ、なにが言いたいわけ?」

同業だからこそわかる程度の血の匂いを纏って、兄はこちらをじっと見つめる。きっと仕事帰りなのだ。私を探しに来たのはついででしかない。
その事実は私を酷く傷つけた。そして家出したのがキルアだったら違っていたのだろうと思うと、ますます悲しくなった。闇人形に感情は要らないと教え込まれていても、薄暗くて汚い感情は消えずに涙となってあふれ出た。

「……帰らない」
「は?」
「私、帰らないから」

それだけ言い捨てて、その場から駆け出した。家出した理由も聞かない兄は、きっと私のこの行動も面倒に思っただろう。イルミは兄妹のなかでも特にキルアに執心していたし、そもそもそれ以外のことになんて興味が無いのだ。それでも母の言いつけだからか追ってきた彼は、逃げる私の腕を掴んで引き止める。

「離してよ、私なんかどうだっていいくせに」
「ナマエ、一体何が不満なのさ」
「全部よ、全部何もかも」
「馬鹿なこと言わないでよ」

性別も違えば歳も離れている兄に、力でかなうはずがない。逃げられなくなった私に向かって、彼はただ短く「帰るよ」と言った。冷たい黒の瞳は何も映しておらず、こっちの気持ちなんてまったく伝わっていないのだと思った。そうだと思い込んでいた。


「面倒な子は嫌いだよ、嫌われたくないならいい子にして」

けれども兄の言葉を聞いた瞬間、彼は全てわかっているのだと知った。それどころかむしろ私の気持ちを逆手にとって、『いい子』でいることを強要している。嫌われるのは私が最も恐れることだった。嫌われて今以上に見向きされなくなるくらいなら、嘘でも『いい子』のふりをするほうがマシだった。

「……」
「どうする?帰る?」

とっくに腕は離されていたけれど、もう逃げる気力も残ってない。返事を聞く前に歩き出した兄の背中を追いかけて、袖で乱暴に涙を拭った。「キルアの方が、面倒なのに」呟いた声は絶対に届いている。それなのに兄は返事をしない。代わりに横に並んだ私の手を取ったかと思うと、小さい子供にするみたいに繋いだ。

「キルは特別なんだよ、ナマエもわかるようになる」
「それは今でもわかってる、でも、」

「オレにできたんだから、ナマエにだってできるよ」

兄はこちらを見なかったけれど、その言葉を聞いてこの家で一番『いい子』なのは彼だったと思い出した。自分は我儘過ぎたんだろうか。でもそれなら、同じ気持ちを経験したなら、もっと構ってくれてもいいのではないか。

「イル兄なんて、嫌い」
「はは、反抗期だね」
「嫌いよ、イル兄なんて」

キルアしか見てない、いい子のイル兄なんて。

いい子になったら放っておかされて、悪い子になったら嫌われる。なんて理不尽でなんて馬鹿げているんだろう。
でも私は知っていた。キルアしか見ていない兄が、本当に振り向いて欲しい相手はキルアじゃない。彼もまだいい子になろうとしてる途中なのだ。

「私はイル兄みたいになりたくないな」
「そう」
「だけど、悪い子になるのはやめる」
「それはよかった」

本当に思っているのか思っていないのかわからない調子で、相槌を打つように返事を返す兄。いい子になっても悪い子になっても無意味なことは分かりきっていたが、私は自分ひとりだけが苦しんでいたのではないことに少しだけ安心した。

「……ねぇ、今日の晩は私の好きなグラタンがいいな」
「そ、頼んでみれば?」

私用船に着くまでの間、兄はずっと私の手を離さないでくれていた。

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