- ナノ -

■ 26日のXmas

閑散とした街並みは、冬の寒さをより一層強いものにすると思う。つい先日まではクリスマスムード一色だったショーウィンドウもすっかりシンプルになり、誰しもが年末特有の忙しさをその歩調に表していた。
そんな中、今日ナマエはたった一人でジュエリーショップを訪れた。クリスマス前ならそれこそ多くのカップルが店内にいたが、今日はやはり客足もまばらである。店に入るなり迷うことなく足を進めると、ナマエは慌てて駆け寄ってきた店員に向かってこれをください、と一言そう言った。


店を出たナマエは、来た時よりもその歩調を早めていた。それは何も忙しさや寒さに急かされて、ということではない。ずっと欲しかったネックレスを奮発して買って、早く鏡の前でつけてみたい、というわけでもない。
ナマエは怒っていた。いや、正確には悲しんでいたのかもしれない。ネックレスは確かに欲しかったけれど、自分で自分に一日遅れのクリスマスプレゼントを買うなんて馬鹿げている。そもそも昨日のクリスマス当日だって、ナマエは一人で寂しく過ごした。イルミという、れっきとした恋人がいるにも関わらず、だ。


帰宅して、玄関に乱暴にブーツを脱ぎ捨てたナマエは、ネックレスの入った紙袋をベッドの上に放り投げる。包みを開けてもよかったが、どうせ店で見たほどの輝きはないに違いない。それならどうしてわざわざ買ったかというと、イルミにねだったこれを付けて、彼に別れを切り出そうと思ったからだった。要するに、あなたに買ってもらわなくても結構ですという、酷く子供じみたアピールである。

しかし、ナマエがここまでするのは単にクリスマスを一緒に過ごせなかったという理由からではない。それだけならば、別に我慢する。パーティーの多くなる時期は仕事柄どうしても忙しくなるし、実際去年もその前も、その前もナマエは一人で過ごした。イルミと付き合うようになってからは、クリスマスは毎回一日遅れ。それでもナマエは彼と一緒に過ごせるだけでよかったから、文句はなかったのだ。

けれどもきっと、今年はもう過ごせない。過ごせたとしても、今年で終わりだ。

「携帯なんか、見なきゃよかった……」

自分の呟きが虚しく響いて、よりいっそう気が滅入る。事の発端は一昨日の夜、イルミがシャワーを浴びてる間に何気なく彼の携帯を見たことだった。別に浮気を疑ったわけではなく、彼自身見たかったら見ればといつも言っているし、ナマエのも彼は平気で見る。この携帯を見る見ないの話はちょうど去年の今頃出た話題で、ふと思い出したから今年も見てみた、ただそれだけのことだった。

そして中を見れば彼が見られても問題ないというだけあって、仕事のメールは暗号のようなもの。連絡先にも女の名前は一つもない。たったの一つもだ。去年までは確かにあったのに、そのどこにも『ナマエの連絡先がなかった』のだ。だからナマエはもうすぐイルミに捨てられるのだと思った。

「でも、もういいの……」

悲しみと怒りが交互に押し寄せてきて、どうにかなってしまいそう。ナマエはそんな胸のモヤモヤを誤魔化すために戸棚からグラスを取り出して、躊躇うことなく今日の夜の為に買っておいたワインの封を切った。




「ナマエ、ナマエったら、」

「ん……」

揺り起こされて渋々目を開けると、日はとっくに沈んだようで部屋の中が薄暗かった。どうやらグラスを握り締めたままテーブルに突っ伏していたみたいで、不自然な寝方をしていたために首が痛む。「なにしてるの?」酔いのせいでまだ少しぼんやりしていると、イルミがそう言って呆れたようにため息をついた。

「それ、二人で飲もうって言ってたやつだったのに。勝手に開けて、勝手に酔っ払って寝てるし」
「……」
「おまけにベッドの上のあれ。まさか自分で買ったの?」

ナマエが答えないでいると、呆れ気味だったイルミも流石に少し機嫌を悪くしたみたいだった。暖房もろくに付けずに眠ったせいで、今さらになって肌寒さを感じる。「ねぇ、聞いてる?ナマエがクリスマスに欲しいって言ったんじゃないか」全く同じ紙袋を持ったイルミがこれみよがしに目の前で腕を組んだが、ナマエの口から漏れた呟きは非難めいたものだった。

「クリスマスはもう過ぎてるもん……」
「え?何言ってんのさ、遅れるのは毎年のことでしょ」
「……」

本当に言いたいのはそんなことではなかったが、いよいよ別れを切り出すとなるとなかなか言葉が出てこない。ナマエはまだイルミのことが好きだし、そもそも捨てられるくらいなら自分から、とという一種のやけくそでしかないのだ。今こそ酒の勢いを借りたいのに、酔いはすっかり覚めてしまっていてナマエは黙り込むしかなかった。そんなナマエに、イルミの目は不機嫌そうに細められる。

「……あのさ、ナマエはオレと過ごしたいんじゃなくて、ただ『クリスマス』がやりたいだけなの?」
「違う」
「じゃあさっきからなんなの?言いたいことがあるならはっきり言いなよ。これでもこっちはナマエの喜ぶ顔が見たくて急いで来たんだ。それなのに着いたら先にワインは空けてるし、おまけにプレゼントまで買ってるし。どういうことなの?もちろんきちんと説明してくれるんだよね、ナマエ」

滅多にないイルミの饒舌さに、思わず気圧された。どうやらこれ以上黙っていることは許されないようだ。身の危険を肌で感じる。「だって、イルミは……」仕方なく躊躇いがちに呟くも、イルミの急かすような視線に最後は早口になるしかなかった。

「だ、だってイルミは私ともう別れるつもりなんでしょ!」

ナマエが意を決して核心に触れると、イルミはその黒い瞳を丸くさせた。「……は?」だが、今更とぼけたところで遅い。携帯の連絡先から彼女のアドレスや電話番号を消すなんて、そんなの普通じゃない。暗殺者のアドレスに登録されてるリスクがどうこう言うのなら最初から登録しなければいいし、実際去年にはちゃんとあったのだから。

そしてどうせ理由を問われるだろうと、ナマエはイルミが聞く前にそれも全てまくし立てた。「どうせなら、別れてから消せばいいのにホント嫌味!」後半は怒っているのか泣いているのか自分でもよくわからなかったが、イルミは組んでいた腕を解くと、ポケットから彼の携帯を取り出した。

「……この携帯を見たの?」
「そうだよ、それイルミのでしょ」
「そうだけど、ナマエのはこっちから移したんだよ」
「移した?何をどこに?」
「だから……」

イルミはそこで珍しく困ったような顔になると、片手で髪をかきあげた。「このタイミングで言うつもりじゃなかったんだけどな……」少し不服そうな口ぶりだが、どうやら怒っているわけではないようだ。話が読めずにナマエがじっと見つめていると、やがて観念したのかイルミは短くため息をつく。「……ちょうど最近、ナマエの連絡先は家族用の携帯に移したんだ」何事もはっきりと言う彼が、ぽつり、ぽつりと言葉を紡ぐのはとても印象的だった。

「プロポーズするつもりで……景気づけというか、まずは形から入ろうと思って」
「え……」
「だから別れるなんて誤解。っていうかなにその顔。オレだって色々考えてたんだよ、ナマエはこういうの、特にこだわりそうだし」

それなのに、とまたイルミの説教が始まりかけたところで、ナマエは勢い良く彼の胸に飛び込んだ。自分の勘違いがとても馬鹿馬鹿しくて、こっそり考えていてくれていたイルミが愛おしくて、抱きつかずにはいられなかった。「ごめんね、ありがとう」クリスマスは過ぎてしまったけれど、今日は人生で一番幸せな日だ。

「じゃあじゃあ、その紙袋の中身はもしかして指輪?」
「だからクリスマスプレゼントはナマエが指定したからネックレスだろ。プロポーズはその、年明けに落ち着いたら言うつもりだった……けど、」
「けど?」

抱きついたまま、ナマエは顔をあげてイルミの表情を覗き込む。するといつものポーカーフェイスはそこになく、かち合った瞳はすぐにふい、と逸らされた。それでも無理に手を伸ばして顔をこちらに向かせようとすると、今度は反対に近づいてきたイルミに唇を奪われる。くす、と彼が小さく笑ったのが聞こえて、ナマエは思わず息を呑んだ。


「……ネックレスは被っちゃったから、指輪を買いに行くしかないね」

─結婚してくれる?

こてん、と首を傾げてそう聞いた彼に、ナマエは今更ながら真っ赤になった。答えはもちろん決まっている。

「よ、喜んで……!」
「でもそうなると、Xmasは永遠に26日になっちゃうけどいいの?」
「うん、イルミと一緒ならクリスマスが来なくなったっていいよ」

「そ、よかった」

きっと、これ以上のクリスマスプレゼントはないだろう。世間ではすっかり寂しくなってしまう26日だけれど、これからは二人だけの特別な日になるのだ。ナマエはすっかり嬉しくなって、じゃれるようにイルミの胸に顔をうずめる。すると少し早い心音が聞こえてきて、思わずにっこり笑みがこぼれた。

「それ、誘ってるとみなすからね」
「イルミのお嫁さんだもん。お好きにどうぞ」
「……っ、なにそれ」

言葉を詰まらせ、満更でもなさそうなイルミが可愛い。しかし、彼をからっていられるのも束の間、ひょいとナマエを抱き上げたイルミは耳元で甘く囁いた。

「じゃあ好きにさせてもらうね」

ワインの埋め合わせもしてもらわなきゃ、と意地悪を言うものだから、こうなったらもう好きにされるしかない。こんな風に改めて言われると恥ずかしいけれど、今日は恋人として過ごす最後のクリスマスなのだ。普段忙しくてなかなか会えない分も含めて、こういう時くらい目一杯甘えるのも悪くないかなぁ、なんて思った。

End

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