- ナノ -

■ 白百合の水葬

※悲恋要素あり


どうせなら、美しいままで死にたい。
それが不治の病を患う彼女の口癖だった。


いつものように、イルミはほとんど惰性でナマエの病室に顔を出す。彼女の家は同じ暗殺一家で古くから家同士の交流もあるため、いわば幼なじみの関係になるのだろう。しかしイルミの手に見舞いの品はなく、本当に仕事帰りのついでに寄っただけだった。「花の一つも持ってこないのね」ナマエは少し呆れたようにそう言ったが、花を持ってきたところで喜ぶような素直な女でもない。

「そういえば、薔薇ならうちの庭にあったよ」

今度持ってこようか?と尋ねれば、ナマエはわかりやすくしかめっ面になった。

「イルミって性格悪いよね」
「長持ちするように鉢植えにしてあげるよ」

ちなみにイルミはこれを意地悪で言ったわけではなかった。どうせ花の鉢植えをもって来ても来なくても、ナマエは一生をこの病床で過ごす。鉢植えは根付くから、『寝付く』なんて言って見舞いの品には敬遠されるけれど、むしろ寝付いていても生きていられるだけいいと思ったのだ。

しかし彼女はそうは思わないみたいで、こんな病院のベッドに縛り付けられているくらいならいっそ早く死んだ方がマシだとよく愚痴をこぼした。そのくせ依頼をするからイルミに殺してくれとは絶対に言わない。一生懸命生きようともしないし、反対に死ぬための努力もしない。イルミはもしそれが『仕事』ならば、ナマエを殺してやってもいいと思っていた。

「死にたいなら、死ねばいいのに」

残念ながら、イルミの周りで死はありふれている。仕事で毎日のように誰かを殺すし、ナマエのように自分を殺してくれなんていう酔狂な依頼もあることにはあった。殺す前のターゲットはみな生きようと必死だし、反対に死にたい奴もわざわざ大金を払って懸命に死のうとする。

イルミ自身、生死にあまり頓着はなかったが、そのどちらもしないナマエが嫌いで仕方がなかった。いや、それでもこうして見舞いには来るのだから、嫌いというより腹を立てていたという方が正しいのかもしれない。
死ねば、と言われたナマエはそれには返事をせずに「どうせ花を持ってくるなら、」と何事もなかったみたいに言葉を続けた。

「百合の花を持ってきてよ。私が埋もれてしまうくらいに部屋中を満たして、それでそのまま私は死ぬの。聞いたことない?もっとも美しい自殺の仕方だって」
「あれは迷信だよ。それに百合はどのみち見舞い向きの花じゃない」
「たくさん用意して、完全に密封された部屋なら死ねるかもしれないじゃない。ほら、あれって植物が夜に呼吸しかしないから、酸欠で死ぬって話だし」

素敵だわ、と手を叩いて喜んだナマエは本気なのか冗談なのか。イルミは判断ができずに、嬉しそうな彼女をじっと見つめた。「前から美しく死にたいって言ってたでしょ。飛び降りも首つりも後が汚いの。特に水死は駄目だわ、死体が水を吸ってぶよぶよに膨らんでしまうから」

だから今度花を持ってくるなら、百合の花にしてね。

ナマエがイルミに具体的な何かを頼むのは、それが初めてのことだった。だからイルミもいいよ、と頷く。その後もいつもと変わらぬ無表情で少し会話をしたけれど、本当は内心ナマエに苛ついていた。死ぬ気もないくせ死ぬための話ばかりする彼女に、心の中がずっともやもやとしていた。

「いい?約束よ、私は美しく死にたいの」
「依頼じゃなくて?」
「やだ、依頼にしたらお金取るじゃない」

彼女は何が可笑しいのか、今日はいつもよりよく笑った。「わかったよ」イルミは了承して病室を出る。依頼でないのなら、なにも完璧に遂行する義務はなかった。必要なものは大量の百合と完全な密室。それだけ揃えてやれば、彼女も納得するだろう。

結局、未だに収まらぬ胸の苛立ちの正体を、イルミはわからないままに放置した。



「わぁ、本当に揃えてくれたのね!」

後日、再び見舞いに訪れたイルミは『約束』を果たすためにナマエの外出許可を取った。そして夜を待ってからククル―マウンテンにある屋敷に連れて行き、庭に用意されたガラス張りの温室を見せると彼女はぱあっと顔を輝かせる。そういえば、ナマエが外出すること自体久しぶりだった。

「約束したしね」
「さすがイルミ、ありがと」

そのままぎょっとするほど軽い彼女の身体を抱きかかえ、イルミは百合の香りでむせ返るような温室の中へと入っていく。もちろん中にはちゃんと寝台が用意されていて、絵面だけでいうならいかにも女の喜びそうなメルヘンチックな雰囲気だった。「素敵だわ!」案の定彼女は大喜びして、そっと寝かせてやるともう一度ありがとう、と言った。

「じゃあ、本当に完全に密室にするから」
「うん、おやすみなさいイルミ。明日の朝は来ないかもしれないけど」

こんなことで死ぬわけがないのに、とんだ茶番だと思った。

温室を出たイルミは、横たわるナマエの姿をガラス越しに眺める。彼女は死に装束のつもりか真っ白なワンピースを着ていたので、それが温室いっぱいに咲いている白い百合に溶け込んで見えた。

そしてそれからどのくらい経ったのだろう。
呼吸による胸の上下で彼女が眠ったことを確認したイルミは、ゆっくりと携帯を取り出した。この温室は完全な密室になるという点において特別製だったけれど、実はもう一つ他に秘密がある。

「死にたいなら死ねばいいのに」

物騒な言葉を吐きながらも、その言葉に憎しみは少しも含まれていない。いや、今更だがイルミはこの幼なじみのことを間違いなく好いていた。そうでなければ、わざわざ見舞いに行ったりするものか。死にたがる彼女に腹を立てたりするものか。

イルミが携帯で少し操作をすると、温室の地下の方からパイプを流れる水音がした。そしてもちろん、そのパイプの先は温室内へ。それは本来ならば水やりのためだったシステムを少し改良したもので、温室の四隅から流れ出した水は密室の中から逃げ出すこともできずにどんどんと溜まっていく。やがて時間が経てばいっぱいになって巨大な水槽のようになるだろう。

イルミはただ黙って、どんどん上がってゆく水位を眺めていた。望み通りナマエを百合の中で死なせてやろうという気持ちもあったし、反対に彼女の一番嫌がる水死を選んだのは生きようとしない彼女への苛立ちからだった。

結局のところ、イルミ自身、自分がどうしたいのかわからないままだった。
イルミはナマエが好きだったから生きようとしてほしかったけれど、同時に彼女が望むなら死なせてやってもいいと思っていた。そしてできることなら自分の手で殺してやりたいとも思っていた。

溜まっていく水は次第にナマエの眠る寝台にまで到達する。流水音と冷たいそれの感触に目を覚ましたナマエとガラス越しに目が合うのは、それからすぐのことだった。

起きた彼女はまったく状況がわからないみたいで、なにやら叫んでいるようだが声は聞こえない。少しでも水から逃れるように寝台の上に立ち上がり、驚愕の眼差しでこちらを見た彼女の唇がイルミ、と助けを求めるように動いた。

「これはナマエのためなんだよ」

ひんやりとしたガラスに触れ、答えるようにイルミは呟いた。だが彼女にはきっと届いていない。ようやく彼女もこのまま水が溜まればどうなるか理解したみたいで、その表情は明らかに恐怖を表していた。
今や水は彼女の膝のあたりまで溢れ、彼女は必死で叫ぶ。

─助けて!イルミ!

血の気は失せ、その瞳からは次々と涙がこぼれる。泣き顔は決して綺麗だとは言いがたかったけれど、今まで見た彼女の表情の中で一番生き生きとしていると思った。「ナマエ……」だからイルミは水を止めることをせず、ただ彼女を見守る。水から、死から逃れようとする彼女の姿が、とても嬉しかったのだ。

─嫌だ、怖い……死にたくない!

彼女は最期までイルミに向かって助けを求め続けた。寝台からは降り、拙い泳ぎでこちらまで来てガラスを叩く。水がナマエの肩のあたりに到達しても、背伸びをしなければ呼吸すらままならなくなっても、ナマエの瞳は輝きを失うどころか必死にイルミだけを見つめた。

─助けて。

死にたがっていた彼女は今、真剣に生きたがっていた。


「綺麗だよ、ナマエ……本当に綺麗」

イルミはナマエから洩れた最後の気泡が水に溶けていくのを眺めながら小さくそう呟いた。温室の中は既に満水で、灯りがあればきっともっと幻想的だっただろう。
それでも白百合の咲き誇るなか、巨大な水槽の中で彼女の白いワンピースがゆらゆらと揺れている様子は、まるで花びらみたいで美しいと思った。





「もう見舞いには来ないでって、言ったじゃないの」

そんな気丈な口調とは裏腹に、ベッドに横たわるナマエからは様々な機械のコードが伸びていて、きっともうすぐ見舞いも必要なくなるのだろうとイルミは思った。今日も相変わらず何も持っては来ていない。パイプ椅子に腰かけることもなく、ただ彼女が生きているか確認しにきた。そんな感じだった。

「だんだんやつれて醜くなっていくのに、会いたくない」
「まだそんなこと気にするんだ?」
「当たり前でしょ」

あの日、温室の中が水で満たされた後、イルミは揺らめく彼女の姿をしばらく眺めて余韻に浸っていた。だが、不思議なもので時間が経てば経つほどあの胸の内から湧き上がるような喜びは薄れ、だんだんと感情が鈍麻していく。
イルミが感銘を受けたのは『ナマエの生きようとする姿』だった。だから脱力して水に浮かぶだけの彼女には、何の感慨も沸かなかった。それどころか自分でやったくせに悲しいとさえ思って、目の前のガラスを割ったのだ。

「私だって女なんだし、気にして当然でしょ」
「でももう美しく死にたいとは言わないんだね」

イルミがそう言えば、彼女は困ったように苦笑した。いくら身体が弱いと言っても暗殺一家の端くれだったナマエは、結局イルミの介抱もあって命を取り留めたのだ。そしてあの一件以来、死にたいとは絶対に言わなくなったし生きるために努力をするようにもなった。

「だって、死にたいなんて言ったらイルミが殺そうとするってわかったし」
「あれ、綺麗だった。でも今も綺麗だから安心しなよ」
「……そうね、生きようとしてるほうが世界が綺麗に見えるって、イルミのおかげでよくわかったわ」

ナマエは冗談めかしてにっこりと笑ったが、もう本当は笑うだけでも体力を使うのだろう。あれから病は確実にナマエを侵食していて、流石のイルミでもこればかりはどうしようもなかった。

「あぁ、もう少し、生きたかったなぁ……」

呟いたナマエは泣かなかったけれど、イルミは黙って彼女の手を握った。生きたいのなら、生きればいいのに。残念ながら今度はそう言えない。

「ねぇ、ナマエ……」あとどれくらい自分はここでナマエに会えるのだろうと考えて、イルミは彼女の名前を呼んだ。好きだって、言わないほうがいいんだろうか。余計に未練が残るだけだから、想いを告げるのは酷いことなんだろうか。「ナマエが死んだら、やっぱり白百合の水葬がいい?」イルミは少し悩んだ後、結局幼なじみのまま別れることを決めた。

「ううん、葬式はどうでもいいから好きにして。死んでから綺麗でも私は見られないもの」

「そっか……」一瞬、死んだナマエをまた水に沈めれば、びっくりした彼女が目を覚ましてくれるのではないかと思ってしまった。そんな馬鹿げたこと、あるはずがないのに。

「それじゃあつまらないね」

ナマエが死んだら、きっとつまらない。けれども生きられない彼女に生きてよなんて無理は言えない。

「やっぱりイルミって性格悪いよね」

イルミの言葉を勘違いしたナマエはふふ、と弱々しく笑ったが、イルミはあえて訂正をしなかった。「今更だろ」訂正をした方が、かえって性格が悪いと思った。

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