- ナノ -

■ 結局あなたのいいように

※微裏要素含む



振り返ってみて一体ナマエの何が悪かったかというと、それはイルミに週末の仕事の内容を話してしまったことだろう。

とあるパーティーでの暗殺依頼。
ターゲットは女好きの色男で、ナマエは仕事がやりやすいという合理的な理由でハニートラップを行うつもりだった。
そしてお互い暗殺者同士であるし、ハニートラップなんてありふれた仕事は何の問題もないだろうとイルミに愚痴をこぼしたのだ。ベタベタされたら面倒だなぁ、早く済ませて帰りたいなぁ、と。

しかしそれを聞いたイルミはわかりやすく機嫌を悪くした。

「それって浮気じゃない?」

たぶん、ターゲットの男が若いのも気に入らなかったのだろう。もちろんナマエにはそんなつもりはなかったし、恋人とはいえまさか同業であるイルミがそんなことを気にするとも思わなかった。
本当に、ただの世間話のつもりだったのである。

「オレがいるのに、他の男に触らせるんだ?」

「違うよ仕事だって。好き好んで触られるわけじゃないし、イルミもやるでしょ?」

一般的な感覚に落とし込めば、女優がキスシーンを演じるようなものだ。あれだって本当にしているものもあれば、上手く角度を利用してそうしているように見せかける場合もある。もし逆の立場で不快に思わないかと問われれば全くそうではないけれど、ハニートラップの方が暗殺成功率が高いのなら仕方がない。
イルミが生きて帰ってくる方が大事なのだからと、まさに暗殺者の恋人として百点満点の回答だろう。

しかしイルミはナマエの答えにますます機嫌を悪くしただけだった。

「男と女じゃ話が違うよ。オレは自分の意思で止められるけど、ナマエはそうじゃないよね。無理矢理襲われたらどうするの?」

「私そんな弱くないよ」

「じゃあ、その気にならないって言える?」

「え?」「ナマエの方が、だよ」

欲情しないって言えるの?なんて真顔で聞かれて、恥ずかしがればいいのか困惑すればいいのかわからなかった。仕事中に、しかもこれから殺すターゲット相手に欲情するだなんて、そんな馬鹿なことがあるはずがない。生憎、ナマエには媚薬への耐性もあるし、イルミの質問の意図が理解できなかった。

「……何言ってるの?しないよ」

「じゃあ試してみる?」

「は?ちょっ」不意にソファーに押し倒されて、思わず体勢を崩す。すぐさま太ももの上あたりにイルミが馬乗りになって、彼がこちらを覗き込むと長い髪が肌をくすぐった。

「我慢できるよね?」

「待ってよ、仕事とこれとでは……!」「大丈夫、本当にはしないよ」

耳元で低く囁いた後、イルミはそのまま耳朶を食んだ。そして冷たい指先で、つうと首筋を撫でる。ナマエは思わず体を強張らせたが、意地でも平気なふりをした。

「へぇ、そんなに固まっちゃって。処女の設定で行くつもり?」

そう言ったイルミの唇が、額に、鼻に、頬に落とされる。けれども肝心の唇には一向に重ねられず、唇の横ぎりぎりにちゅ、と何度も口づけられた。長い指は首筋から胸の上を素通りし、脇腹を艶めかしく蠢く。焦らされているのだとわかっていても、いつもと違うイルミを意識せずにはいられなかった。

「や、やめてよ」

「この程度で騒がないでよ。このくらいのボディータッチなんてあるかもしれないでしょ」

「キス、してるじゃないの」

「キスは挨拶って考えの相手かもしれないだろ」

確かにイルミの言う通り、まだそこまで明確な愛撫をされているわけではない。気持ちが良くて声が出るわけでも、早急にねだらなければ治まらないほどの熱を抱えているわけでもない。しかしこの子供の戯れのような前戯にどのような顔をしてよいものかわからず、かえって羞恥心は煽られるばかりだった。

「そうだ、逆にナマエがオレに触れてみる?」

「……へっ?」

「いいよ、好きにしても」

イルミはナマエの手を掴むと、自分の胸板へと手を当てさせた。別にイルミに胸はないのだから触れたってどうともないはずなのに、なぜだか変な気持ちになる。服の上からでもわかる筋肉が彼が男だということを暗に主張しているみたいで、ナマエは焦って手を離そうとした。

「照れてるの?」

「……っ、照れてない」

「じゃあ脱がせてよ」

ほら早く、とイルミはナマエの手を自分のシャツの胸元へと持っていく。既に一つ目のボタンは開け放されていて、そこから覗く鎖骨が女よりも艶めかしかった。「できないの?」「……できる」本当は自分の鼓動が煩いくらいに聞こえていたが、挑発されれば服を脱がせるくらいなんだという気にもなって、ナマエはぷつり、ぷつりと上からボタンを一つずつ外していった。


「……ん、」そしてすべてのボタンを外し終えると、イルミは自分でシャツを脱ぎ捨てる。状態としては上半身裸で、そんな男に跨られている自分が恥ずかしくて堪らなかった。

「……何赤くなってるの?
いつもは自分だけ脱ぐの嫌って言うくせに、オレだけが脱いでも嫌なんだ?」

「……ど、退けて」「やだね」

いつもは笑わないイルミがその時ばかりは笑ったように見えて、ナマエはごくりと生唾を飲む。恥ずかしい格好なのはイルミの方であるのに、どうして当の彼は涼しい顔をして自分ばかりがこんないたたまれない思いをさせられているのか。
とうとうイルミの手のひらがナマエの内ももに触れて、際どいところを這うように撫でた。

「ちょ、それは……!しないって言ったのに!」

「わかったよ。だけどオレからは、ね」

思わず抗議の声をあげると、イルミはぱっと手を離し、今度はナマエの手を掴んでそれを自分のベルトへと導く。

「ほら、じゃあナマエからどうぞ」

なんでこっちが恥ずかしい思いをしてまでイルミを脱がさなきゃならないのか意味がわからない。ナマエが逡巡していると、イルミは意地悪く目を細めた。「やっぱりナマエが脱がされたい?」そんなことを言われてナマエはようやく、どう転んでもイルミの良いようにされるのだと悟った。しかし、それはあまりにも癪である。

悔しいのでベルトをするりと抜き取って、半身を起こしたナマエは今度は自分からイルミの首筋に吸い付いた。こっちだって、伊達にハニートラップを経験してはいない。「手は出さないんだよね?」鎖骨にゆっくりと指先を這わせると、イルミの喉仏がこくりと上下した。

「イルミは自分の意思で止められる、って話だったし」

やられっぱなしでは面白くなくて、ナマエは煽るようにイルミにやられたことをそのままやり返す。すっと通った鼻梁に口づけを落とした後、あえて唇の真横に軽く触れさせれば、いきなり後頭部を抑えられてぬるりと熱い舌が口内に入ってきた。「ん……」こんな過激な挨拶は聞いたことが無い。

「……イルミの嘘つき。止める気ないじゃない」

勝ち負けではなかったはずなのに、先に我慢できなくなったイルミに思わず笑みがこぼれた。しかし一方でこれならナマエよりイルミの方が心配だと思う。ハニートラップをやってその気になって浮気、だなんて流石に許せない。
ようやく解放されたナマエがそう言ってイルミを責めると、彼はちょっとムッとした雰囲気を醸し出した。

「ナマエだって、襲われるほど弱くないって言ったのにこうやって許してる」

「そ、それはイルミだからでしょ」

「オレだってそうだよ」

「……」


結局、先に目を反らしたのはナマエの方だった。今日は珍しく勝ったと思ったのに、こんなの反則だ。「こっち向いて」あれよあれよという間に本格的に押し倒されてナマエは観念するしかなかった。

「ハニートラップをやめるって言うまでずっとこうしてるからね」

どうやら、どう頑張ったってイルミには適わないらしい。けれども彼の腕の中は温かく、抱きしめられたままでいるのもそう悪くない。完全に白旗を上げるのはもう少し後でいいだろう。

ナマエが彼の背中に腕を回すと、イルミにも意図が伝わったみたいでもう文句は言ってこなかった。確かに、ここまでされてそのうえ文句を言われたのでは堪らない。

どうせこれもイルミに良いようにされているということには、少しも変わりがないのだから……。

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