■ ◆夜の内緒話
私はこの男があまり好きではなかった…なんてオブラートに包むのはやめよう。
どうせ口先だけで誤魔化したところで、そんな舌先三寸のお追従はお見通しだろうし、なにより嫌われて怒ったり、ましてや凹んだりするような男ではない。
現にこの男、パリストンは私が彼を嫌っているのを知っていて、そのうえで私を専属の秘書に任命したのだから。
「ナマエさん、僕の明日のスケジュールってどうなってます?」
「知るわけないでしょ、あんたはいつも全部自分で管理してるじゃない」
今だって私が答えられないのをわかってて聞いてくる。
そもそもこいつに秘書は必要ないのだ。協会の正式な仕事はほとんどしないし、逆にしていることと言えば絶対に人に言えないような後ろ暗いことだろうし。
そんな犯罪の片棒を担がされないだけマシではあるのだが、私だってこれでもハンターのはしくれだ。
こんな男の下で何もせずに無為に時間を過ごすのはたとえようもない苦痛だった。
「そうですか、それは困りましたね〜。
ではナマエさんご自身のスケジュールはどうなってます?」
「いつも通りあんたの監視よ。
尻尾さえつかんだらすぐに副会長の地位からも降ろしてやるからね」
「怖いなぁ、僕はそんな怪しいことしてませんよ」
「嘘ばっか」
ぽつり、と呟いて私は窓際に立つパリストンから顔を背ける。
秘書だけど、彼の座り心地のいい椅子は占領した。こいつにこんな椅子勿体ない。
部屋の電気をほとんど消しているから、ハンター協会の高いビルからの夜景はそれなりにムードすらあると思うけれど、きっと彼が見ている物はきらびやかな街の灯りなんかではないだろう。
「ここだけの内緒ですけれど」ぽつり、と呟くように、それでいてどこか楽しげに彼は言った。
「僕ねぇ、ナマエさんが思ってる以上に、協会のこと愛してるんですよ?」
突然、何を言い出すのかと思えば。
「そ。でも嫌われてるよ、あんたは」
「協会とナマエさんって似てますね」「どこが」
ゆっくりとこちらに彼が向き直った気配がした。でも、顔は見ない。
どうせそこにあるのはあの、人を不快にさせる『爽やかな』笑顔に決まっているからだ。
「あれ〜伝わりませんでした?
僕はナマエさんのことも好きなんですよ?」
「…あんたにしては雑な嫌がらせね」
「酷いなァ」
「だって、あんたは」
人の嫌がる顔を喜びに生きているような男だ。
人の幸せよりも不幸を望む男だ。
たとえ好きな相手でも、いや、好きな相手だからこそ絶望に落としたいと考えるような男だ。
だから…
「気づいてくれました?
どうして僕が優秀な貴女をこんな風に飼い殺しているか。今とっても苦痛でしょう?」
黙り込んだ私に、彼はにこにこと笑った。
あ、ついつい彼の方を見てしまったじゃないか。
「…うっさい。別にあんたは嫌いな相手にでも嫌がらせするでしょ」
「うーん、それを言われちゃうと辛いなァ」
やっぱりそうだ、危うく騙されるところだった。
ちょっとだけドキリとしたのが悔しくて、なるべくそれを悟られないようにする。
パリストンはまた「これも内緒の話なんですが」と言った。
「僕、きっともうすぐこの協会を抜けますよ」
「…は?」
「辞めるんです。副会長の職も十二支んも」
すぐにいつもの悪い冗談だと思った。でも一方で、理屈じゃない何かがこれは本当のことなのだと囁く。
真面目に返事をしたら負けだってわかっているのに、なんで?と純粋な疑問が口から零れ落ちた。
「さぁ、なんででしょうねぇ」
「答える気ないなら、初めから言わないで」
「今はまだ答えられませんが、その時はナマエさんも僕と一緒に来てくれます?」
「…」
嫌よ、といつもなら即答していた。
けれども簡単に答えてしまって後悔しないか。この男が何をしようとしているのか知りたくはないのか。
そして、毎日見慣れたこの憎らしい顔が、ある日突然目の前から消えることを受け止められるのか。
「…一緒には行かない」私は椅子から立ち上がると、窓の外の地上を見下ろした。
案の定、そろそろ夜更けになろうというのにまだ多くの店に煌々とあかりが灯っている。
パリストンはそれも予想の範囲内だ、と言いたげに「そうですか」と呟いた。
「けど、どこまでも追いかけてって狩ってやるから」
「僕を?」
「あんたみたいなゲス野郎を野放しにしておけないからね」
そう言うと、クスクスとさも可笑しそうに笑うから、ああやっぱりこいつは嫌いだな、と改めて確信する。「素直じゃないですねぇ」わかったような口を聞かないでよ。
「…でも、あんたが居なくなると、この協会も寂しくなるね」
仕返しとばかりに言ってやった本心。
パリストンは珍しく、一瞬きょとん、とした表情になって、それがとても痛快だった。
「……それはここだけの内緒にした方がよさそうですね。貴方まで疑われますよ」
「怪しいこと、してないんじゃなかったの?」
「もちろん、そうですよ?
嫌だなあ、僕がそんな奴に見えます?あはは」
「…疲れる」
私は呟いて、ぱちり、と部屋の電気を付けに行った。不意に明るくなった室内に一瞬目が眩んだが、これでもう外の夜景は見えないだろう。
「内緒話は終わり。
あんたもたまには残業くらいしたら?」
今になって、寂しくなるだなんて言ったことを後悔する。
夜の静けさと、奴の雰囲気にまんまと乗せられてしまったようだ。
「僕への罪状、考えておいてくださいね」
「まぁ、考えるまでもないでしょ」
私はこれでもこの男の秘書だ。
本当は彼が何をしていたかくらい、詳しくは知らずともわかっていた。
でもそれを他言せずに見逃したことは……
これこそ本当に内緒にしなければならない話だろうな、と私は逃げるように部屋を出た。
End
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