■ ◆止めてよ
「いい?30分後には行動に移るから」
「うん、わか ≪ひっく≫…た」
「……」
イルミの視線が痛い。
けれどもこればっかりはどうしようもないし、ナマエ自身も先程から苦しくて仕方が無いのだ。
幸いターゲットの屋敷に侵入するまであと30分はあるみたいだし、どうにかそれまでには止まってくれるとは思うのだが、こうして真剣な最終チェックの最中にしゃっくりなんて気まずさしかなかった。
「私は正門から、イル≪ミっ≫は裏門からね」
「うん、いいけど、それやめてくれない?気が散る」
「そうは言われても…私だって好き≪っく≫でやってるわけ、じゃないし」
「止めてやろうか?」
そう言って、イルミがキラリと針をこちらに向けるのは親切心か悪意かどちらなのだろう。
この人は親切心からしたことでも悪い結果しか引き起こさないような気がして、ナマエは慌てて首をぶんぶんと振った。
「いい、遠慮する」
「なんで?仕事に支障が出たら困るだろ?
オレが驚かせてあげるよ」
「やだよ、怖≪いっ≫よ。それこそ仕事に支障が出るよ」
イルミが驚かせるとなったら、絶対定番の大声を出すとかそんな微笑ましいものじゃない。
いや、ある意味イルミが大声を出したら、それはそれでびっくりするけど。
とにかく、とナマエは咳払いをし「そのうち止まるから」と逃げの姿勢をとった。
「そういや、前にキルがしゃっくりは100回連続したら死ぬとか言ってたけど」
「迷信で≪っ≫しょ」
「ナマエ、後残り何回?」
「嫌な聞き方しないでよ」
一々数えてるわけじゃないけど、もう相当な数はいってると思う。
100回超えても別にいいから、本当に仕事の時には止まって欲しいな。
それこそしゃっくりが命取りになって、ターゲットを殺り損ねたり、万が一のことがあったりしたら大変だ。
ナマエはこれも迷信なんだろうな、と思いつつ、ペットボトルのミネラルウォーターに口をつけた。
「で、ターゲットは≪イっ≫ルミが」
「しゃっくりってさ、横隔膜の痙攣なんだよね」
「……うん、そうだけど。
意外≪っ≫と食いつくねイルミ」
「だって気になるから」
真顔でこんなしゃっくりトークをしたのは初めての経験だ。
ナマエとしては出来れば少しでも気をそらしたいのに、イルミがそうさせてくれない。
まぁ、最終チェックと言っても今回はたまたま時間があるから確認しているだけで、いつもはここまでやらないから別にいいといえばいいのだが。
「しゃっくりって何すると起きやすいか知ってる?」
「知らない、むしろ止≪めっ≫方を教えて欲しい」
「早食いや一気飲み、香辛料、あとは大笑いとからしいよ」
「へぇー、イルミ≪にっ≫は縁の無さそうな感じだね。特に最後」
「喧嘩売ってる?」
自分で言ってみたものの、やっぱりしゃっくりをしてるイルミなんて想像できない。
いや、頑張ればできるけどこれは爆笑ものだ。
そんなことを考えて思わずにやけていたら、すかさず針が飛んできたので慌てて避けた。
「危ないなー」
「驚いた?しゃっくり止まった?」
「今のは違≪うっ≫でしょ、しゃっくりにかこつけて攻撃しな≪いっ≫で」
「ちっ」
この男、舌打ちしやがった。
でもイルミがしつこいから、という理由だけでなく、そろそろいい加減に止まって欲しい。
いつの間にか時計を見れば、決行の時間まで15分を切っていた。
「しゃっくりってさ」
「もー、いいよしゃっくりの話は。
どん≪っ≫だけ、しゃっくり気になるのよ」
「気にならせてるのはナマエだろ」
「わざとじゃないし」
もう喋らないでおこう、とナマエは手で口を押さえる。
喋るから余計に言葉が途切れて気になるのだ。
あと15分しかないし、そろそろ本気で止めなきゃまずい。
あんまり水ばっかり飲んでも胃が気持ち悪いことになるし困った。
するとイルミは何を思ったのか、不意にこちらに向かって手を伸ばしてきた。
「え?」
摘まれる鼻。
もちろん、口は自分で押さえているので息ができない。
思いもかけない行動に一瞬思考がフリーズしたが、息苦しさに後ろにさがってイルミから逃れた。
「や、やめっ」
「しゃっくり止まった?」
「それはどっち、驚かせようとしたの?」
「ううん、息を止めるってのも聞いたことあったなと思って。
でも、止まったんじゃない?」
うーん、言われてみればそうなのかも。
しばらく黙ってみたが、あの忌々しい痙攣は起こらない。
─止まったみたいだね。
すっかり油断してそう言おうと口を開いた矢先だった。
「止ま≪っく≫…………」
「………」
イルミの視線が痛い。
だからそんな見つめられたってこればっかりはどうしようもないって。
ナマエは仕事前なのに、もうすっかり疲れ果ててしまった。
「しつこいね」
「イルミもね」
「人がせっかく親切で止めてあげようとしてるのに」
「針≪はっ≫やだ」
そりゃ、確かに最終手段はそれしかないのかもしれないけど、今は遠慮したい。
落ち着け私の横隔膜。
針を刺されることを考えたら、今のうちに大人しくした方が身のためだぞ。
うーん、と新しい方法について考えるイルミは放っておいて、ナマエは仕事に集中しようと屋敷の図面に視線を落とした。
「ねぇ、ナマエ」
「なに」
またどうせしゃっくりトークか、と顔を上げれば、いきなりがっ、と両手で顔を包まれて。
「好きだよ」
唇に柔らかいものが押しつけられたことを認識するやいなや、私の頭の中は真っ白になった。
「んっ!んんー!!」
何の心の準備もないまま、突然の長いキスに私はパニックに陥る。
呼吸が苦しくて彼の胸を叩いてみたが、ちっとも離れない。
みるみるうちに体温が上がっていくのが、自分でもわかった。
「…はぁっ………」
「しゃっくり、止まった?」
「イルミ…ま、まさかそれだけの為にこんな…」
ぜえぜえと肩で息をしながら、ナマエは真っ赤になって口を押さえる。
天然かタラシか、どちらにしてもタチが悪いことに変わりない。
「本気だって言ったら?」
「そ、そんなこと言っても、もう驚かない」
「そ。残念」
大して残念がる風でもなく、イルミは呟いた。
その唇と先程まで……と思ってしまうとなんだかまた恥ずかしさがこみ上げてくる。
今までイルミとは別に、そんな関係じゃなかったのに…
「でもさ、しゃっくりのためだけにここまですると思う?」
「……イルミってわけわかんない!」
ターゲットの屋敷に侵入するまで、残り5分。
しゃっくりは止まったけれど、今度は胸の動悸が止まらない。
End
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