- ナノ -

■ いたいことは嫌いです

もしも自分に好きな人がいて、でもその人がなかなか自分の思い通りにならなかったとしたら、普通の人はどうするのだろう。
振り向いてもらえるまで努力する?
それとも叶わぬ恋だと諦めてしまう?

イルミは言わずもがなの前者だった。彼には諦めるなんて弱い選択肢はなくて、目的のためならどんなことだってする。
私はそういう彼の強いところに密かに憧れていたのだけれど、いざ『それ』が自分の身に降りかかって来ると話は別みたいで。

重すぎる彼の想いに、今すぐにでも押しつぶされてしまいそうだった。

「ただいま、ナマエ」

音もなく扉が開いて部屋に入ってきた彼は、にこりともしないでそう言う。
私はその平坦で何の感情もこもっていないような声に肩を震わせ、それでもおかえりとは言わなかった。

けれどもそんな私のささやかな抵抗を意に介さず、イルミはゆっくりと手招きする。
彼の立っている位置は丁度限界ギリギリのところ。部屋の中央にある無機質な大きな鉄の柱と私の足を繋ぐ枷が、私に自由を与える限界ギリギリのラインだ。

「おいで、そんな端っこにいないでさ。ほら」

普段はいっそ怖いくらいに無表情の彼なのに、こういうときだけ嬉しそうにするのだ。
僅かに口角を上げて、私が自分の足で彼の元に向かうのを満足そうに眺めている。こんなことになる前の私だったらきっと見とれていただろう。
人形みたいに美しい彼。そんなことを考えて今は私がその彼の人形なんだと思い知る。

あぁ、なまじ好きだっただけにそんな顔をされると苦しい。
私の愛と彼の愛は質も量も何もかも違っていたから上手くいかないのだ。

「オレの名前を呼んで」

「…」

「呼んでよ、ナマエ」

「…イルミ」

もっと普通に愛してよ、だなんて言ってみても、やっぱりまた彼と私の普通は違うに決まっている。
名前を呼んだだけでこんなに幸せそうにしてくれるなら、いくらでも呼ぶのに。
この足枷を外して。ここから出して。
私は繋ぎ止めておかなくたって、どこにも行きやしないのに。

彼に監禁された初めの頃は、私もしつこくこの願いを訴えていた。

信じてイルミ。私はあなたのことが好きだよ。だからこんなことしなくったって平気だよ。やめて。やめてよ。お願いイルミ。
…やめて、助けて、痛いことは嫌い!


怒った彼は怖かった。
いつも冷静で感情をあまり表に出さないからこその、狂気。

私はそれ以来二度と抵抗しようなんて気は起こさなかった。そしてそれと同じく彼への気持ちはどんどんとすり減って行った。

「好きだよ、ナマエ」

「…痛くしないで、痛いのは嫌い」

「うん。ナマエがいい子にしてくれてたらそんなことしないよ。
オレだって別にナマエを傷つけたいわけじゃないからね」

彼は優しく私の髪を撫でる。
そう、『いい子』にしてさえいれば彼は本当に優しい。
ただ、ここでもまた私のいい子と彼の指すいい子が違うから…。

「痛いのは嫌い、お願い。いたいのは嫌いなの」

「大丈夫。わかってるよ」

ううん、わかってないよ。
うわ言のように懇願する私を見て、彼の機嫌はさらに良くなっていく。

「いたいのは嫌いなの」言いたいのは嫌い、なの。

どんな感情よりも先に恐怖が先行して、昔みたいにもうあなたを愛せないの。

End


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