- ナノ -

■ 余白はもうない

※やや絶望厨向け・原作準拠のキャラ死亡表現あり

 人が集まって、たまり場になりやすい部屋の条件とはなんだろうか。
 一つ、皆が通う、学校だったり会社だったりから近いこと。
 これについては当てはまらない。私個人の隠れ家は、蜘蛛のホームに別に近いわけでもない。だいたい仕事だって不定期だし、現地集合現地解散が基本だ。

 二つ、家主が好かれている。あるいは舐められている。
 これについては自分自身ではなんとも評価しづらい。ただ蜘蛛のメンバーは幼馴染みみたいなものだし、好き嫌いがはっきりした人が多いので、もし嫌われていたとしたらそもそも家にはやってこないだろう。舐められているのはちょっとだけあるかもしれない。お人好しだとよく言われる。それでたまに心配もされる。だから二つ目の条件には、私は当てはまっているのかもしれない。

 三つ、大人数で過ごすためのものが揃っていて、適度な生活感もあり、居心地がいいこと。
 これは相対的にそう、というだけだ。ゴミの街で暮らしていたせいか、あまり生活環境には頓着しないメンバーが多い。食事ができて、寝るところがあれば十分。クロロの隠れ家なんかはほぼ書庫だし、シャルのはスパイの秘密基地という感じで、生活感の欠片もない。主な生活はホテルでというメンバーも多く、一応マンションやアパートに居を構えていても、冷蔵庫すら置いていないケースがザラだ。その点で見ると、確かに私のうちはとても居心地がいいだろう。ごくごく普通に生活できるだけの家具家電は揃っているし、冷蔵庫の中にも常に食材が入っている。調味料も、酒のストックもある。皆があんまり入りびたるものだから、客用布団やトランプ、ゲーム機、使い捨ての歯ブラシ、フリーサイズの部屋着、大体のお泊りセットが気づけば揃ってしまっている。たぶん、答えはこの三つ目なのだ。私の家は皆にとって大変都合がよく、便利。でも、私自身も皆が遊びに来るのは嫌じゃなかった。殺しも盗みもやるA級首の犯罪者たちが集まって、やることがくだらない酒盛りやゲームという、そんな倒錯した平和を愛しているのだ。



――うずらの水煮缶、食っといた ノブナガ 
――↑オレが補充しといたポテチも食っただろ フィン
――↑それ私です。代わりにチョコを置きました シズク
――↑オレが貰った クロロ

 趣味の旅行でしばらく不在にしていた家に帰ってみると、冷蔵庫に貼られたマグネット式のホワイトボードが埋まっていた。家主を差し置いて、結構な盛り上がりよう。この中の誰にも合鍵など渡した覚えはないのだが、めいめい好き勝手私の知らない間に家を訪れているらしい。
 元はと言えば、ゴミ出しの日とか、買い物リストとか、そういうものをメモしていたホワイトボードだったのだ。それがいつの間にか、掲示板や伝言板みたいな扱いにされている。私はペンのキャップについているスポンジで、書かれていた文字を全部消した。ここでのやり取りはもう完結しているみたいだし、そもそも内容もくだらないので残しておかなくていいだろう。真っ白になったホワイトボードに私は新たな文字を書き込む。

――ただいま。帰ったよ。お土産は早い者勝ち。パドキアの白チーズが冷蔵庫に入ってます

 それから書いた通りにお土産をセットするのに冷蔵庫を開けて、冷やしておいたスパークリングワインが消えていることに気がついた。

「……誰だ、まったく」

 すぐさま、ホワイトボードには文字が書き足された。

――ただいま。帰ったよ。お土産は早い者勝ち。パドキアの白チーズが冷蔵庫に入ってます。ワイン飲んだ奴はお土産無し。地獄に落ちろ

 せっかく、帰ってすぐ飲もうと思っていたのに。飲むのは良いけど、ちゃんと補充しておいてほしい。
 たった今帰ってきたばかりだというのに、まさかもう一度外に酒を調達しにいく羽目になるとは思わなかった。




――ただいま。帰ったよ。お土産は早い者勝ち。パドキアの白チーズが冷蔵庫に入ってます。ワイン飲んだ奴はお土産無し。地獄に落ちろ
――↑おかえり 久しぶりに食事でもどうかな? H

 ワインを買うくらいなら、そうは時間はかからない。だが、帰宅してついいつものように目をやったホワイトボードには、もう既に新たな文章が残されている。
 私はそのメッセージの主が誰かを認識すると、追加された一行を指で拭い去るように消した。

「おやおや、酷いなぁ なかったことにするなんて
「いるなら、口で言えばいいじゃない」

 振り返れば、気配もなく奇術師がにやにや笑いで立っていた。ちなみにヒソカにも合鍵を渡した覚えはないが、彼もまた私の家に入り浸っている人間の一人である。どうやってかうまいこと誰とも被らないタイミングでやってくるし、普段はメッセージも残さないので、皆はヒソカが私の家に来ていることも知らないかもしれない。知っていたら、もっと皆の足も遠のくかもしれない。

「他のメンバーも来たいっていうかもしれないだろう?」
「ご冗談」
「じゃあ二人で行こうか
「別にいいよ」

 はっきり言って、ヒソカは蜘蛛のメンバーに好かれていない。一応、前の四番を倒した実績があるのでルール上は仲間ではあるのだけれど、どうにもこうにも胡散臭さが拭えない。また、団長のクロロと戦いたいと公言しているのも心証サイアクだった。うちにも好戦的なメンバーは多いけれど、ヒソカの場合は命を賭けた殺し合い。蜘蛛の足が蜘蛛の頭を狙うなんてどうかしている。ただ、私は他の皆に指摘されるようにお人好しでもあったから、ヒソカが大人しくしているうちは普通に仲良くしようと思っていた。実際、二人が戦ったとしてクロロが負けるとも思っていなかったし、ヒソカが戦うのを諦めて蜘蛛に馴染むか、はたまたクロロに負けて本懐を遂げて死ぬか、結末はそのいずれかだろうと考えている。後者だったら短い付き合いになるのだし、思い出くらいは作ってあげないと可哀想だ。

「パドキアでは濃い料理ばっかだったから、薄味のものがいいな」
「じゃあジャポン料理の店にでもするかい
「あり」
「じゃあ、決まりだね

 一緒に食事に行くようになって初めて知ったが、ヒソカは意外にも美味しい店をたくさん知っている。いや、化粧を落とした素顔を思えばそれほど意外でもないのかもしれないが、普通に金を払って食事をし、買い物をし、嫌味でも煽りでもなんでもない、ただ面白いだけの冗談も口にする。テレビの話題は疎いようだった。芸能人なんて全然知らないし、ニュースも見ないのか、話題が下火になった頃に蜘蛛が起こした仕事の話をしたりする。

――そういや、クカンユのオルセー美術館、襲われたらしいね
――それ、ヒソカが招集サボったやつだよ。もう三週間も前の話だけど
――おや、そうだったのか

 他の仲間に内緒で二人きりで会っていると、なんだか悪いことをしているような気分にもなったが、実際私たちの会話はホワイトボードの伝言板と同じくらい、中身がなくてくだらないものだった。私は蜘蛛の中でも戦闘向きじゃないし、ヒソカの妙な趣味のターゲットにはなりっこない。そういう立場だと、ヒソカはそこまで忌避する相手でもなかった。見た目と言動が奇抜なせいで、大っぴらには人に紹介しにくいが、私は普通にヒソカのことを友人の一人くらいには思っていた。お互いたくさん人を傷つけて、踏みにじって平気な顔して生きてきたけれど、だからこそ私はこんな倒錯した平和な友人関係を愛していた。




――B.W号の一般渡航客用チケット、机に置いといた。あと、偽造の身分証も シャル
――先に向かっていろ。オレとシャル、マチとコルトピは後で合流する クロロ

 祝日とか、記念日とか、誕生日とか、思いつく限り書き込んでも、カレンダーにはなんでもない日のほうが多い。二人からメッセージが残された日も、そんなよくあるなんでもない日だった。

「……そういう大事なことは、電話かメールで言ってよね」

 一瞬、文句を書き込もうかと思ったが、どうせ誰も見ないしそれこそ直接会って言った方が早いだろう。そういえば今回はヒソカは参加するのだろうか。一応、全員招集と聞いているが、もしまたヒソカが適当にすっぽかしたらかなりの期間会えないことになる。不在を見越して、水道や電気は止めていた。冷蔵庫だって空にした。彼が困るといけないから、万一の事を考えてメッセージを残しておいてやろうか。

――皆で暗黒大陸に行ってます。しばらく不在

 文章で書くとなんとも間抜けだった。思わず一人で笑ってしまう。
 クロロは暗黒大陸に行けば無事に戻れない可能性があると説明していたけれど、私はそれでもこのたまり場だけは引き払う気にはならなかった。本当に何があっても大丈夫なように、向こう百年分くらいは家賃引き落としの口座に入れておいた。たぶん、お人好しなだけじゃなくて、私はずいぶん楽観的でもあったのだろう。最悪ヒソカが今回の仕事をすっぽかしても、おかえりのメッセージがここに加わるだけだと思っていた。それでまた私はヒソカのメッセージだけ消して、他のメンバーのやり取りで埋まるホワイトボードを見て頬を緩めるのだ。





「嘘……だよね」

 後で合流する、と確かに書いてあった。だから私は先に船に乗りこんで、クロロ達を待っていた。でもやってきたのは二人だけ。私が呆然としていると、今にも誰かを殺しそうな表情をしたクロロが本当だ、と不気味なほど静かに言った。もともと猫みたいに可愛く目じりの上がったマチの目は、怒りと憎しみでいつも以上に吊り上がっている。

「これから、どこで誰とってもその場で殺すまでる。だって」
「……それがヒソカからの伝言?」
「そうだよ、アタシも次会ったら絶対にアイツを殺す」

 マチは本気みたいだった。いや、仲間が殺されて、これからまだ命を狙われるのだから本気になって当然だ。けれども、私はまだ現実を受け止めきれないでいた。ヒソカがクロロを狙っていたのは知ってる。そして私が思った通り、クロロが勝った。ヒソカはぎりぎり一命を取りとめたみたいだけれど、それでどうしてこんなことになっているのかちっとも理解できなかった。

「……」

 どこで誰と遭っても、ということなら、その中にもちろん私も含まれるのだろう。現に今回は戦闘員じゃなくてもあっさり二人やられた。いつもみたいに強い者との闘いを楽しむのではなく、ただ彼は命を狙いに来る。なにがどうしてそういう方向になったのか、クロロとどんな戦いをしたのかは、流石に聞ける雰囲気ではなかった。ヒソカにも聞きたいことがたくさんある。結局、友人だと思っていたのは私だけだったんだろうか。一緒に過ごした日々は、楽しいものではなかったのだろうか。直接聞きたかったが、その時はたぶん私が死ぬ時だ。電話やメールも今更使う勇気はない。今こそ、あのホワイトボードが恋しかった。少し時間を置いて、ほどよく感情が冷めた頃に、ゆっくりと読むくだらないやり取りが好きだった。

――本当に裏切るの? 一人で蜘蛛を敵に回すなんて正気じゃない

 違う。ヒソカはもともと正気マトモではなかった。だから皆、警戒していたのだ。

――シャルとコルトピを殺したの?

 これも違う。その答えは聞かなくてもわかっている。今更確認なんて不要だ。現実は変わらない。平和は呆気なく壊されてしまったのだ。
 私はかろうじて座り込みこそしなかったが、きっと蒼白な顔をしてその場に立ち尽くしていたのだろう。クロロとマチは、私が仲間の死にショックを受けているのだと思ったに違いない。それは半分だけ正解だった。たぶん、馬鹿でお人好しの私だけが、仲間の死と仲間だと思っていた男の裏切りにショックを受けている。

――今までの日々は全部、ウソだったの?

 頭の中のホワイトボードには、ヒソカ宛のメッセージがたくさん、次々と書き込まれていた。それがあまりに多いものだから、きっと本当に書き込んでいたとしてもヒソカは返事することができなかっただろう。震える字がびっしりと書き込まれたそれには、答えを書き込むだけの余白がもう残されてはいなかった。

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