- ナノ -

■ ◆世界に向かって叫べない

 蜘蛛はチームだ。頭や手足の役割こそ明確に決められてはいるけれど、メンバーの大半が同郷の昔馴染みということもあって、仕事ならではの上下関係とか、踏み込んじゃいけない心の壁とか、そういうものとはわりと縁遠い。同じ釜の飯を食った仲、という言葉があるが、それで言うなら蜘蛛は同じ泥水を啜った仲ということになる。当然帰属意識は強いし、結束力も固い。別にそんな義務もルールもないけれど、メンバーの間に隠し事もない。そりゃ、不在のメンバーのとっておいた酒をこっそり飲んでしまったとか、その程度のことはあるけれど、そんなものは一時的ですぐにバレることだ。もとより、盗ったほうも隠す気なんてさらさらないのだし、お詫びに別の酒を用意すればまたそれをきっかけに飲みが始まる。今回みんなで飲もうという流れになったのも、いつも通りのそんな経緯だった。



「それにしても珍しいね、ヒソカが飲みに参加するなんて」

 盗んだばかりのSUVを走らせながら、私は後部座席に座る男に向かって話しかけた。最近の車は性能がいいのかエンジン音がいやに静かで、気まずい沈黙を埋めるには少々物足りない。しかも二人きりなのになぜかこの男は助手席ではなく後部座席に座ったので、後ろから黙って視線を浴びせ続けられるというのはなんとも気味が悪くて落ち着かなかった。

「たまにはイイだろう? ボクだって蜘蛛の一員なんだから
「別に悪いとは言ってないじゃん……」

 酒の調達にまでわざわざついてくるなんて、一体どういう風の吹き回しだろうと思っただけ。私が行くことになったのは、私がノブナガのとっておいたジャポンの酒を勝手に飲んでしまったせいで、じゃあオレはビールで、ワインが飲みたい、つまみも盗ってこいよ、とめいめい好き勝手に注文し始めた結果が、後方が確認できないほど積まれた荷物の山である。流石にこの量を一人で運ぶのは大変だったため、ヒソカが着いてきてくれて助かったのは間違いないのだけれど、やっぱりどうしても彼に対する苦手意識は拭えなかった。ヒソカは蜘蛛のメンバーだけれど、昔からよく知っているわけではないし、ちっとも本心の読めない男だからだ。そして本人に秘密が多いだけならまだしも、どうにもこっちのことも見透かされているような気がして不安になる。

「あ

 信号待ちになると余計に手持ち無沙汰な感じがして、私がついルームミラー越しにちらりと様子を伺ったときだった。
 声と共にぐっ、と背面シートが引っ張られる。ヒソカが身を乗り出したのだ。

「な、なに」

 そして、咄嗟に振り返ろうとした私を遮るように、顔の横ににゅっと長い指が突き出された。

「ほら、あそこ

 動揺しながらも言われるままに指先を視線で辿ると、反対車線を挟んで向こうの通りによく知っている男の姿があった。寝起きだろうが、癖の一つもつかない長い黒髪。上背のある、コレクションモデルのようにすらりとした体躯。男にしてはやたらと白い肌のせいか、薄闇の中に佇む彼は、いつものように奇抜な格好をしていなくてもとても目立っていた。

「……イルミ」

 口の中で言葉を転がすように、思わずその名を呟く。少し遠出して大きめの街に来たとはいえ、こんなところで出くわすとは思わなかった。しかも、イルミは一人ではなかった。彼は女性と何か話していて、女性はこちらに背を向けているものの、後ろ姿だけでも綺麗な人なんだろうなとわかる。珍しいねえ、とヒソカがこぼすのと、私が口を開くのはほぼ同時だった。

「へ、へぇ、イルミってああいう人が好みなんだね」

 一瞬このままスルーしようかとも思ったが、数少ないヒソカとの共通の話題だし、ここまで注目しておいて話題にしないのも妙な感じだ。女性はとても背が高かった。パクノダよりは少し低いかも知れないが、イルミと並ぶととても様になっていた。

「仕事じゃないの

 先に目敏く見つけたくせに、ヒソカは随分と面白味のない返答をした。座席に深く腰掛け直すと、小さく肩を竦める。

「あのイルミだよ
「いや、イルミだって彼女のひとりやふたりつくるでしょうよ」
「ええ?」
「ちょっと失礼すぎない?」
「それ、そんなにキミがムキになること?」

 そうやって言われてしまうと、言葉に詰まってしまう。けれども私がハンドルを指先でトントン叩いて上手い返しを考えているうちに、ヒソカは窓を開けてイルミの気を引いてしまった。具体的に言うと、洒落にならない殺意のこもったトランプを投げて。
 当然、イルミはそんなものさっと避けて躱したようだけれど、お陰で嫌というほどがっつり目が合った。睨まれるべきは投げたヒソカの方だろうに、彼の視線はなぜか運転席の私のほうに向いていた。

「ちょっと面倒事起こさないでよ」
「大丈夫だよ イルミはキミのこと気に入っているようだし
「ハア!? 何を根拠にそんな!」
「別に、なんとなくだよ

 下らないやり取りをしている間に、イルミは車道を我が物で横断してずんずんこちらに向かってくる。そこまで往来の激しい通りでないとはいえ、何故轢かれないのか不思議なくらいだ。

「やばい」

 イルミがやってくるのを見て、私は信号が青になるのも待たずに思い切りアクセルを踏んだ。メンバーの誰かの車を借りているわけでもないし、多少どこかにぶつけたって問題ない。だが、どん、と鈍い音がしたのは前方でも後方でもなく天井からだった。嫌な予感がして視線を向けると、戦車のハッチよろしく助手席の天井にくるりと穴があく。しなやかに身を滑り込ませたイルミは「や」と抑揚のない声で言った。それに嬉しそうに返事をしたのはヒソカだけだった。

「やあイルミ、どうしたんだい?」
「それはこっちの台詞なんだけど。なに? 急に攻撃してきたかと思ったら、今度は逃げようとしてさ」
「やだなあ、あれくらいいつもの冗談じゃないか それに、逃げようとしたのはボクじゃなくて彼女だよ」

 ヒソカは一切悪びれる様子もなく言ってのけたが、冗談というならもっと笑える内容にすべきだと思う。とはいえイルミも慣れているのか、口で言うほど怒っているわけではないようだった。少なくともヒソカに対しては怒っていない。私はイルミの方を見ることができず、今度は努めて前を向くようにした。もちろん運転中なので、当たり前といえば当たり前なのだが。

「で、ヒソカ達は何してるわけ?」
「何って、デートだよ
「買い出しだって!」

 ヒソカの冗談はやっぱり笑えないものばかりだ。正確には買っていないけれど、私は親指で後ろのラゲッジルームを示して必死に抗弁する。「蜘蛛の飲み会だよ、一人で運ぶには量が多いから!」

「ふうん……」

 その呟きだけでは、イルミが納得したのかどうかわかりにくくて仕方がない。彼は長い足を窮屈そうに組み替えると、窓枠に肘をかけて頬杖をついた。

「……相変わらず仲が良いね、蜘蛛は」
「イルミも来るかい?」
「無理、絶対無理! 駄目!」
「……」
「おやおや、そんなに嫌がったらイルミが可哀想だろう?」

 嫌がるとかそういう次元の話ではないと思うけれど、確かにイルミの機嫌が急降下しているのは肌で感じる。しかしながら普通に考えてイルミを誘う方がどうかしていると思うのだ。ヒソカほどあからさまに嫌われてはいないし、ビジネスとしての付き合いはあるものの、仲間でもないゾルディック家の人間が蜘蛛で歓迎されるはずがない。それにこの状況ですら冷や冷やしているのに、私が蜘蛛の飲み会にイルミを連れて行ってしらを切りとおせるわけがないのだ。

「このまま送って行くから、ホテルでも駅でも好きなとこ言って」

 はあーと盛大なため息をついた私は、観念してイルミの方を見る。目で精いっぱい懇願したのが効いたのか、イルミはちょっと黙ると、それから進行方向とはまるで反対の空港の名を告げた。

「いや、遠っ」
「仕方ないだろ、飛行船の停められるとこ限られてるし」
「大変だねぇ、わざわざ彼女・・に会うために飛行船でやってきたのかい?」
「は? 蜘蛛がこんなとこで呑気に飲み会やってるなんてオレが知るわけないだろ」
「え?」
「あー!!! そうだ近道!! 近道使おう!! 最短距離で直線ぶち抜いて行こう!」

 出来ることなら今すぐこの場で、イルミかヒソカを車外に蹴り出したい。最近の車には後部座席を切り離せるスイッチが付いていたりしないものかと探したが、生憎そんな都合のいいものは搭載されていないようだった。

「ボクが言ってるのは、さっきキミが往来で話してた女性のことなんだけど
「ああ、そっち? あれは変装させた執事だよ。連れが必要でね」
「へえ……
「なにその反応」
「いや、二人で賭けてたんだ あれはイルミの彼女か、それとも仕事関係の相手かって

 話を盛るな、賭けまではやってない。ヒソカのそうやってさらっと話を大きくするところが苦手だ。私の運転はますます荒っぽくなっているが、揺れるは荷物ばかりで男達はちっとも意に介した様子ではなかった。

「で、どっちに賭けたの?」
「……」

 イルミは明らかに私に聞いているが、運転中に気をそらすのはいけないことだ。カーナビを確認するフリをして無視をする。直進すると言うのも、なかなか障害物が多くて楽じゃない。

「ボクは仕事だろうって言ったんだけどね、イルミなら、女の一人や二人侍らせてるだろうって彼女が
「待って!? すっごい悪意ある脚色されてるって!!」
「ふうん、オレのことそんなふうに思ってたんだ? お前の中でのオレは、浮気をするような男だと?」
「いやいや全然! 滅相もない! ねえ?」
「オレが逆に疑いたいくらいだなー。お前がどうしてもって言うから黙ってたけど、そもそもあいつらに知られて何の問題が、」
「うわーハンドルが効かないー」

 駄目だ。それは駄目。イルミと私が付き合っているなんて、そんなことバレた日にはどんな顔してメンバーの前に出ればいいかわからない。ヒソカにバレるのは最悪の最悪ギリギリセーフだとしても、他の皆には絶対バレたくない。
 車が事故を起こしたとき、死亡率が最も高いのは助手席だと聞いたことがある。が、まかり間違っても天下の暗殺一家のご長男様が、自動車事故なんかでお亡くなりにはならないだろう。お陰で私は気兼ねなくトップスピードで電柱に突っ込むことができた。強化系の私がついうっかり雑に扱っても、死ななさそうなのがイルミの素敵なところでもある。

「ふう、なんとか黙らせた……」

 ひしゃげた車体の中で、ゆっくりと堅を解く。流石に乗ったまま耐えようとしたのは私くらいのものだったようで、見れば助手席も後部座席ももぬけの空だった。
 私は圧死させる気かと思うほど膨らんだエアバッグを押し退け、のそのそ窓から這い出る。飛び散ったガラスを膝や手のひらで踏んづけないように避けていると、頭上から呆れたような声をかけられた。

「……殺す気かい?」
「まさかあ、これくらいじゃ死なないでしょ。こんなの喧嘩のうちにも入らないよね。ねえ、イルミ」

 付き合っていれば、どんな仲良しカップルだって喧嘩くらいするだろう。それに今回のは喧嘩というより、テーブルの下で足を踏んだり、肘でついたり、そういう牽制の延長線上にあるものだ。

「……」

 イルミは同意こそしなかったものの、代わりに私の手を引っ張って立たせてはくれた。

「キミの彼女、頭おかしいんじゃないの?」
「ヒソカにだけは言われたくないんだけど!」
「おや、彼女って認めるんだ
「あ」
「それで蜘蛛の奴らにバレても、オレじゃなくてヒソカのせいだからね」
「ヒ、ヒソカ!」
「えー、どうしようかな

 きっとヒソカと私の言葉なら、普通に考えて蜘蛛の皆は私のほうを信じてくれるだろう。だけどそれは私が本当のことを言っている場合だ。うまく嘘をつきとおすだけの自信がない。シズクはなんとか誤魔化せるかもしれないが、マチやパクノダは絶対無理だ。絶対いろいろと問い詰められる。

「ちなみにオレはバラされても何も困らないから。むしろ隠されてるほうがムカつくし」
「だよねえ だったらここはむしろ下手くそな隠し事をしている彼女を見ているほうが楽しいかな
「は?」
「だけど、どうしてまたそこまで必死になって隠すんだい? 普段のキミ達ってさ、ちょっと気持ち悪いくらい仲良いじゃないか 仕事の時以外は自由って言っても、なんだかんだお互いのこと、よく知ってるだろう?」
「それはただ付き合いが長いからで……」
「家族でもない、ただ同郷ってだけの仲だろ」
「まぁ、それはそうなんだけど」

 そうなんだけど、それだけで私たちは仲間のために死ねるのだ。そういうものなのだ。流星街で育った人間の関係が、他人の目にはとても奇異に映るということはなんとなくわかっている。確かに故郷の人間との関係を指すとき、友達というには深すぎるし、家族と言うにはしっくりこないし、私の乏しい語彙では適切な言葉が見つからない。それでも無理に例えるのだとしたら、私にとって流星街は世界のすべてだった。幻影旅団としてあの街を出ても、それだってやっぱり流星街をほんのちょっぴり広げただった。

「……この際だからはっきりさせよう」

 遠くの方で鳴っていたサイレンの音が、だんだんとこちらに近づいてくる。死傷者はいないが、それでも大きな事故だ。誰かが通報したに違いない。戸籍のない私は当然ながら免許も持っていないし、そもそもが盗難車だし、イルミやヒソカだってまともとは言えない素性だ。ここに長居して得する人間はこの場に誰もいないけれど、イルミはどうやら私の答えを聞くまで動く気はないらしい。今まではお願いだから内緒にしてと押し切る形で誤魔化してきたけれど、今日という今日は気が済まないようだ。

「もうヒソカにもバレたんだしさ、なんであいつらにオレのことが言えないわけ? 薄い繋がりだから、余計な情報は出さないっていうならわかるよ。だけど、そうじゃないんだろ? それなのに隠されてるのが腑に落ちないんだよね。こっちは親にも会わせてるっていうのにさー」
「言い出せないぐらい、すっごいイルミの評判悪いんじゃない?」
「ゾルディックだから? そんなの、蜘蛛も大概悪いだろ」
「いや、イルミ個人が
「は? オレ、何かした?」
「そ、そういうんじゃないよ!」

 このままヒソカに好きに喋らせていると余計にこじれる。そりゃあ相手が相手だし、何の屈託もなく祝福されるというのは難しいかもしれないけれど、私が今一つ踏み切れない理由はもっと複雑なものなのだ。

「……なんか、その、なんていうか……正直、自分でもまだ戸惑ってるんだよ」

 流星街は私の世界だったから。
 あそこの人たちが、蜘蛛のメンバーだけが私にとっての大事な人たちだったから。幼い頃、流星街ではない場所があるなんて思いもしなかったように、自分が他所の人間を特別大事に思うときがくるなんて想像もしていなかった。だから蜘蛛の皆にイルミとのことを言おうと思うたび、どうしようもなく世界が変わってしまったことを自覚してしまう。自分が変えられてしまったことに、気づいてしまう。

「恥ずかしい……の。いつの間にかイルミのことが大事になってて……それを、それを自分の口から言うんだって思ったら……そんなのすっごい恥ずかしい!」

 自分の変化を認めるのは、とんでもなく勇気が要る。蜘蛛のメンバーに向かって正直に話すのだとしたら、それこそやってることは『世界の中心で愛を叫ぶ』だ。自分でもうまく言葉にできた自信はないけれど、これで少しはイルミも私の複雑な乙女心をわかってくれただろう。
 イルミを見れば彼は黙って腕を組み、私を見つめていた。そうして即断即決の彼にしては珍しく深く考え込んでいたかと思うと、ややあって首を四十五度ほど左に傾けた。

「……いや、紹介ってそういうものじゃない?」

 いよいよサイレンの音が無視できないレベルでうるさい。ついでに、そこで腹を抱えて笑っているヒソカもうるさい。私は大破した車の歪んだバックドアを引きちぎってこじ開けると、かろうじて無事だったビール缶をいくつかを腕に抱えた。やっぱり飲もう。イルミの愚痴を聞いてもらうことはできないけれど、飲みたい気分だと言えば深く理由も追求せずに付き合ってくれるのが蜘蛛のメンバーだ。

「ねぇ、話終わってないんだけど」

 今日は飲まなきゃやっていられない。

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