- ナノ -

■ ◆不幸はひとのためならず

※うっすらヤンデレかもしれない(?)


 いつもはメールで済ませる彼女だから、電話がかかってきた時点で既に珍しかった。要件はずばり、納期を遅らせてほしいというもの。もう十何年も彼女に仕事を依頼してきたが、こんなことは初めてだった。だからこそせめてもの誠意を見せるために、わざわざ苦手な電話なんかしてきたのかもしれない。ばつの悪そうな声も、仕事のことで謝っているということ自体も、何もかも珍しかった。

「わかった。いつなら出来上がる?」

 仕事ができない人間はきらいだ。が、普段の彼女はそうではない。さすがのイルミも一度の失敗で契約を切るつもりはなかった。それに本人には言わないが、彼女――ナマエの代わりとなる人材がいるかどうかも定かではない。ナマエは武器や暗器を作る仕事をしていた。それもただの武器ではなく、念の通りやすい性質を持った特別製の武器だ。

「それが、その……」

 イルミが尋ねると、ナマエの声は一段とトーンが下がった。おまけにモゴモゴと歯切れも悪い。嫌な予感がするなと聞いていれば、案の定彼女の口からは信じられない言葉が飛び出した。

「ちょっといつ出来上がるかは、未定で……」
「は?」
「いや、ごめん……頑張るから、なるべく早く渡せるように頑張るから!」
「なるべくっていつ」
「えっと、だからその、それは……」
「困るんだけど」

 言いながら、イルミは胸元の針に触れた。ナマエに作らせた針は導念性が高く、少しの力で効率よく念を込められる。物質を媒介にするタイプの操作系はその物に愛着があればあるほど念の精度が上がるのだが、比較的針を使い捨てにしがちなイルミにとって、ナマエの作る針は非常に使い勝手が良かった。

「仕事で要るんだよね」
「……他の針でもできないことはないでしょ」
「そりゃあね。でも、お前の針のほうが効率がいい」
「そもそも使い捨てにするから量が要るんじゃ……普通、操作系ならもっと自分の武器を大事にするものだよ」
「愛用の武器がないと何もできないんじゃ、いざというとき役に立たないだろ。だいたい、お前が期限までに納品できないせいで困ってるのに、責任転嫁してオレに説教するわけ?」
「……はい、ごもっともです。すみません……」

 電話口のナマエの声は、一層小さくなった。きっと、携帯片手に虚空にも頭を下げていることだろう。会うのは設計から依頼するときや、納品の時くらいだったが、それでもイルミが武器を決めて以来の付き合いだ。ナマエがどんな表情をしているかなんて、声を聞いただけでわかる。

「理由は? お前にオレより優先する仕事なんてあるわけないよね」
「イルミはお得意様ではあるけれど、お客はみんな平等の精神でやってるよ」
「ふーん。じゃ、平等に遅らせてると?」
「いや、遅らせてるっていうか、今はその……受け付けてない。間に合わないんじゃなくて、えっと……」

 ――どうやら、スランプみたいなの。

 ナマエはそう言うと黙った。イルミも黙った。黙っていても、ナマエの呼吸が震えているのがわかった。

「だからごめん……もしなんだったら、契約切ってくれてもいい。違約金も払うし、だから、」
「電話の要件は、納期を遅らせる・・・・、ってことだったと思うけど?」
「でも、よく考えたら保障できないかもしれないし」
「……来て」
「え?」
「いいから来て。明日、うちに。絶対」

 依頼した品ができていないのはわかっている。内容には納得できないものの、電話でこうして事情もわかった。だから今更彼女を呼びつけたって、時間を割いて会ったところでどうしようもない。それなのにイルミは考えないうちにそう言っていた。言い訳を許さないとでも言うように、告げるだけ告げて電話を切った。
 何に対してかはわからないけれど、とにかくひどくむかついていた。

 △▼

 身辺整理のことを考えると、もう少し時間が欲しかった。
 とはいえ実際、人は急に死ぬものなのだし、会いたい人に会っておく猶予も、見られたくないものを隠す余裕も与えられないほうが普通なのかもしれない。
 ナマエはとりあえず今できる限界で丹精込めて作った、それでも出来損ないでしかない針を一そろい鞄に詰めて、しかたなく死地に向かっていた。観光バスで行ける地獄ツアーは、皮肉にもそれなりに盛況らしい。ガイドのお姉さんには乗らないことを伝えて、観光客が全員いなくなるのを待って、ようやく中に取り次いでもらう。何も知らないゼブロさんは、ナマエを見て久しぶりだね、とにこやかに笑った。

「お久しぶりです」
「いつもご苦労様。執事邸に連絡するね。今日もイルミ様の依頼の品を持ってきたんだろう?」
「ええまぁ……そんなところです」

 要求されているレベルの品ではないが、ひとまず手ぶらではない。お詫びの菓子折りでも持って行くべきなのだろうかと思ったが、そもそもイルミがお菓子を好んで食べるイメージがわかずそれはやめにしたのだった。

「そういや、なんだかお洒落さんだね」

 ナマエは自力で門を開けられないため、ゼブロさんに通してもらい、彼の小屋で執事の誰かが迎えに来るまで待機させてもらう。こちらがそわそわしていたせいもあるのだろうが、自分でも見慣れない白のワンピース姿が彼の目を引いたようだった。

「買ったけど勿体ないなとか可愛らしすぎるかな、と思って着れなかったのを、今日は思い切っておろしたんです。普段は結構、作業着の延長みたいな恰好してるんで、落ち着かなくもあるんですが」
「それはいい。よく似合っているよ」
「ありがとうございます」

 たぶん、これが着納めになる。死に装束というものだ。ナマエはわりと今日、そのくらいの覚悟でゾルディック家にやってきた。殺されない可能性ももちろんあるだろうが、それならイルミが無駄な呼び出しをするのも妙だ。楽観視するよりも何事も最悪を考えておいたほうが良い。少なくとも今までナマエは、あんまりいい人生ではなかった。

 物心ついた頃には親に金で売られて、ナマエを買った武器職人の師匠はナマエのことを便利な道具だとしか思っていなかった。もちろん、今の基本的な技術があるのは師匠のおかげではあるけれど、彼はナマエに物づくりの才能があるのを見抜いていたから買ったのだ。来る日も来る日も熱い金属に向き合うだけで、それ以外の楽しいことなんて縁がなかった。いつしかナマエの作る武器が有名になって、あのゾルディック家と契約できたときは師匠がひどく喜んでいたけれど、ナマエにとってはどの仕事もおんなじ。

 ナマエの能力が発揮される先は、別に武器でなくても良かったはずだ。楽器であれば聞くものを魅了する音色を、宝石であれば着けたものを引き立てる装身具を。導念性がいいのは一つの側面でしかなく、ナマエの能力の本質は物の持つ力を最大限まで引き出すことだ。イルミの依頼が念の込めやすさを重視しているからそれに合わせているだけ。だから本当は違うものを作る未来だってあったはず。先月、その師匠が病で亡くなって、ナマエはやっと自由になれたはずだった。自由になれたと、思ったのに。
 自然と視線が下がり、うつむく姿勢になる。膝の上でぎゅっと握りしめた拳は、これから死ぬかもしれない恐怖よりも悔しさに満ちていた。自由になったとたん、自分の意思でつくれるようになったとたん、上手く作れなくなるなんてひどいじゃないか――。

「ナマエ」

 不意に名を呼ばれ、ハッとして顔を上げる。そのまま声の聞こえたほうを振り返れば、玄関口にイルミが立っていた。

「え……」

 まさか彼本人が直接やってくるとは思わなかった。反射的にがたん、と席を立ったゼブロさんも同じ思いだったのだろう。ゾルディック家を訪ねるのはこれまで何度もあったことだが、いつもイルミに会うのは本邸で、そこまでは執事の誰かが案内してくれるのが普通だった。

「何してるの、行くよ」
「え、えっと」
「早く」

 とにかく促されるままに立ち上がり、うっかり忘れそうになっていた鞄を慌てて引っ掴む。家の戸口まできてやっと、ナマエはゼブロさんのほうを振り返って会釈した。ナマエにとってもこれは予想していなかったことで、状況を説明できないしそんな余裕もない。あとは置いて行かれないように、イルミの背中を追いかけるので精いっぱいだった。

「……」
「……」

 広大な敷地には侵入者向けの罠がたくさん仕掛けられているらしい。だからこそ、毎度執事たちが案内役を買って出ていてくれたのだが、同様にイルミの足取りもナマエのペースを意識したものだった。けれども執事たちであれば気にならなかった沈黙が、今はとても重くのしかかる。イルミの目的がわからなかった。彼が自分で出向いてきたことも、現状役立たずのナマエを本邸にまで連れていくことも。

「……あの、」
「……」
「イルミ、その……ごめん」
「何が」

 そうやってはっきり問われると、ナマエは答えに窮してしまう。イルミの背中が怒っているように見えたから、謝るくらいしか思いつかなかった。スランプはナマエのせいではない。ただ依頼されたものを用意できないのも事実だ。
 イルミの足が止まり、彼がこちらを向いただけで、ナマエは少しほっとしてしまった。

「納期を遅らせることについては、昨日散々聞いたよ。もうわかってる」
「……遅れるどころの話じゃないかもしれない」
「それも聞いた。でも、契約破棄については了承してない」
「また作れるようになったら、改めて結んでもいいじゃない」
「そんなこと言ってさ、逃げる気だろ」

 逃げる?
 
 一瞬、言われたことの意味がわからず、ナマエはぱちぱちと瞬きをした。最初から全部捨てて逃げるつもりなら、ナマエはのこのこゾルディック家までやってきたりしない。言いがかりも甚だしい。まさか、仕事が嫌でスランプという嘘をついたと思われているのだろうか。

「イルミも、現物を見れば気が変わるよ」

 つい、ムッとした口調になるのを押えられず、持っていた鞄を開く。スランプを一番どうにかしたいと思っているのはナマエだ。客のイルミも困っているだろうが、師匠だけでなく才能も失って、焦っているのはナマエなのだ。傷つかないようにくるんだ布の包みを乱暴に掴みだせば、隙間からぽろぽろと針が地面に零れ落ちる。それを拾おうと咄嗟にかがんで、他の鞄の中身をぶちまけたりして、怒っているときでさえ恰好のつかない自分に余計に嫌気がさした。地面に膝をつけば、せっかくの白いワンピースにも泥が付く。

「あ……」
「お前が嫌々作ってるのは知ってたよ。他の物を作りたいって思ってたこともね」

 散らばった針をかき集めようとすると、ナマエが拾うよりも先にさっと手が伸ばされた。形だけはいつも通りの、いやいつも以上の針を検分するように掲げて、イルミは言った。

「あーやっぱりだ。ひどい出来」
「……だから、言ったじゃない」
「これは普通の針だね。さてはナマエ、心を込めて・・・・・作っただろ」
「は?」

 何を当たり前のことを言っているのだろう。
 しかしイルミは困惑するナマエの目の前で、その針をぐにゃりと曲げてしまった。少しの歪みもない美しい針体も、滑らかで丸みを帯びた柄の部分も、全部台無し。書き損じの紙みたいに呆気なくぐちゃっと丸めて、ぽいだ。

「なにするのよ!」
「怒った?」
「そりゃ、」
「でも、不出来なのは自分で認めるんだろ?」
「……」

 それとこれとは関係ない。でも、言えなかった。いくらナマエが心を込めて作っても、どんなに見た目が美しく仕上がろうと、この針はイルミの要望を満たしたものではない。イルミにとってはゴミと何ら変わりないし、客のオーダーに答えられないナマエもまた、職人の矜持などなんだの言い出す資格はないのだ。された仕打ちに対して、恨めしそうにイルミを見上げることしかできない。

「これと似たようなものをナマエが作ったのを、見たことあるよ。その昔、キルにブリキのロボットを作ってやっただろ」
「……」
「おまけだと、ちょっとした手慰みだとナマエは言っていた。そのわりに馬鹿に凝った仕様でさ、武器の説明するときよりもずっと嬉しそうに語ってた」

 癪だったから、相槌は打たなかった。でも、そんな昔のどうでもいいことを、イルミが覚えていたことに驚きもある。イルミはナマエが何も言わなくても、一切構わずに話を続けた。

「いつも投げやりな感じで針を寄こすお前の自信作とはどんなものかと思ってね。キルが寝てる間に調べてみて、がっかりしたよ。ごく普通の玩具だった。確かに物としての出来はいいけれど、何も特別じゃない」
「……だって、私は玩具に関しては本職じゃないし、あれは初めて作ったものだし」

 あのとき作ったロボットが玩具として最大限の性能を持っていたか。正直に言うとあまり記憶にない。もちろん細かな機能や形状は拘ったけれど、それよりもとにかく作るのが楽しかった。そもそも他の武器の依頼と違って、最高品質のものを求められたわけでもないのだから、特別製かどうかは気にしていなかった。キルアは喜んでくれたが、それよりもまず自己満足の一品だった。

「たぶん、ナマエは嫌々作らないと特別な物は作れないんだよ」

 まるで簡単な種明かしだと言わんばかりに、イルミは軽い口調で言った。同情するわけでもなく、馬鹿にするわけでもなく、その口ぶりはただ事実を述べるようだった。
 けれどもナマエはそれを認めたくない。だって、もしそうなのだとしたら、ナマエはあまりにも報われないじゃないか。

「そ、そんなのおかしい! 今だって、針を作りたいわけじゃないけど、特別製になってないもの」
「でもあの男が死んで、自由になれたと思わなかった? あいつに叱られないために、あいつの看板のために作るはずの武器が、あいつが死んで純粋にお前のためになった。違うかい? もともと使い捨て前提なんだし、前のお前ならオレが針をどう扱おうとどうでもいいと思っていただろう」

 愕然とした。別に造形として、いきなり下手になったわけではない。普通の武器屋やそれ以外の物だって、ごく普通の職人としてならやっていけるだろう。でも、特別なものを作れるのは、ナマエの唯一と言っていい自負だった。特別な才能があるから、師匠もナマエを買ったのだ。特別な才能があるから、客がナマエを必要としてくれていたのだ。特別だったから味わった不幸もあるが、今更それを失うなんて到底耐えられそうにない。

「そんな……じゃあ……私はもう、二度と前みたいには作れないの?」

 すっかり放心しきった呟きだった。焦りよりも急に心細さがこみあげてきて仕方がない。 


「……」

 イルミはたっぷりの沈黙の後、そこで初めて労わるような声を出した。

「安心しなよ。これからは、オレが嫌々ナマエに作らせてあげる。もともとナマエが他の奴に作ってるのも気に入らなかったしさ」

 さあ行くよ、と手を引かれて、思わずつんのめったのはナマエの足が動かなかったからだ。振り返っても、ゾルディック家の山は深く険しい。仮に一人で門までたどり着けたとしても、ナマエ一人では門を開けられない。ゼブロさんだって、イルミに立てついてまでは助けてくれないだろう。

「嫌なの?」

 いつまでも動こうとしないナマエに、イルミが問う。意地悪な問いだと思った。この一言を言えば、きっともう引き返せないだろう。死ぬ覚悟すらしてきたくせに、いざとなると勇気が要った。
 誰にも見向きもされない平凡か、不幸だけれど特別であることか。

「……嫌」
「そう、それはいいね」

 今度はイルミに引っ張られずとも、ナマエの足は動いた。おそらく彼について行けば、また元通り特別な物が作れるだろうという確信があった。それが本当にナマエの為になることなのかは定かではなかったが、少なくとも目の前にこうして必要としてくれる人がいる。長い付き合いだけれど、イルミがここまで嬉しそうなのを見るのは初めてかもしれなかった。

「他の物が作りたいなら、それも命令してあげるよ。もしくは、趣味でならがらくたでもなんでも作ればいいんじゃない?」
「がらくた、ね……」

 人が丹精込めて作ったものに対して、なんと酷い言い草だろうか。ただなんとなく、今の発言は善意なのだろうという気はした。ろくに反論する気にもなれず、ナマエが複雑な気持ちでのろのろと歩いていると、今更のようにイルミが「そういえば」と口を開く。

「今日は珍しい恰好してるね。いいんじゃない? お似合いだよ」
「……」

 ナマエは自分の恰好を改めて見下ろした。死に装束のつもりで着てきた白いワンピースは確かに気に入っているが、今は泥もついて酷い有様だ。たとえ悪意がないとしても、お似合いだという言葉選びも最悪だと思う。

「……やっぱり、イルミ嫌だ」

 ため息とともに吐き出せば、機嫌のよさそうだった彼はなんで? と心底驚いていた。

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