- ナノ -

■ ◆ただ、それだけ

※男主。解釈は皆さんにお任せ



 ヒソカが友達ではないように、ナマエのことも友達ではないと思っている。

「お、イルミじゃん、久しぶり」

 いつの間にか行きつけになったバーの、カウンターど真ん中の席。普通、定位置とするならもっと控え目に端をとるだろうに、ナマエはいつでも我が物顔でそこに座っていた。

「最近見ないなって思ってたんだ。仕事忙しかったのか?」
「忙しいのはいつもだけどね」

 こいつと同じやつ、と適当な注文を告げて、イルミはナマエの隣に腰を下ろした。別に、待ち合わせをしていたわけではないし、これといった用があるわけでもない。ただ、この店に来たからには、どこへ座ろうとナマエに話しかけられるので、イルミはさっさと流れに身を任せただけだ。

「まぁ、仕事がうまくいってるようで何より。実は俺も最近忙しくってさ、全然飲みに来られてなかったんだ。だからイルミに会えたのはタイミングがよかったな」
「ふーん、ナマエが忙しいなんて珍しいこともあるんだね」
「おいおい、人を暇人みたいに言うなよ」

 ナマエは呆れたように肩を竦めたが、実際イルミがここへ来るときにはかなりの確率でナマエがいる。店の立地や客層からして、お互い漠然と裏稼業だということは察しているが、具体的に何をしているのかは知らない。知っているのは、ただ、ナマエが恐ろしく慣れ慣れしい奴だということくらいだ。ナマエは相手に連れがいようが、明らかに関わらないほうがいい類の輩だろうが、見境なく店に来た客に話しかける。それで今までに大きなトラブルを起こしていないのだから奇跡みたいな男だが、イルミも彼に話しかけられたうちの一人だった。

「ていうか、なにこれ。水?」
「シャーリーテンプル」同じグラスを傾けて、ナマエが答える。「色付きなんだから、せめてアイスティーか?って聞いてくれよ」
「なんでノンアルコール飲んでるの、馬鹿じゃないの」

 ほとんど酔わないイルミにしてみれば、それこそどんな度数だろうと関係がない。ただ、予想外の甘い口当たりには文句の一つも言いたくなった。何かも聞かずに、勝手に同じものを注文したことは棚に上げる。

「あんまり酔うと、余計なことを喋るかもしれないだろ」
「そう思うなら、まず誰彼構わず話しかけるのをやめたら?」
「人と喋るのが好きなんだよ」
「どうだか」

 イルミは自分のグラスをナマエのほうへと押しやった。代わりの物を何か注文しようとすると、「ウイスキーフロートで」見越したかのように横から注文される。

「ちゃんと辛めの、きついやつにした。好みかどうかは知らないけど」
「それ……まぁ、いいや。いいよ、それで」

 以前にもナマエはイルミに同じものを頼んだ。が、この男のことだ。どうせいろんな客に勝手にお勧めをしているだろうから、誰に何を出したかなんていちいち覚えちゃいないだろう。
 新しく出てきた酒は、悪くなかった。イルミが酔えないことには変わりないが。

「ほんと、どんな酒飲んでも顔色一つ変えないよな」
「まぁ、これくらいではね」

 人が酒を飲む理由はなんだろうか。酒が好きでない人は”付き合い”だと言うだろうが、好んで飲む人は酔いたくて飲む場合が多いように思う。酔えないイルミにしてみれば、理由は前者のほうに近かった。別にコーヒーが特別好きなわけではないけれど、喫茶店に入ればコーヒーを注文するというような。
 問われるべきはなぜ飲むのか、ではなく、なぜ店に入ったか、だ。

「顔に出ないだけで、酔いはするのか?」
「別に」
「なんだよそれ、面白くないなぁ」
 不服そうに呟いたナマエは玩具を取り上げられた犬みたいだった。
「オレに余計なこと喋らせたいんだ?」
「そりゃあもちろん」

 ナマエが何者なのかは知らない。ひょっとすると”ナマエ”というのも偽名なのかもしれない。ただなんとなく、情報屋かもしれない、と当たりをつけていた。実は向こうはイルミの素性なんかとっくに知っていて、それで何食わぬ顔で話しかけてきている可能性だってある。

「人の事を知りたがるなら、まず自分から話すべきでしょ」

 それでも、イルミがナマエを遠ざけないのは、一緒にいて居心地が悪くないからだった。友達ではないことには変わりないが。

「えぇーどうせ俺が話したところで、イルミは興味ないって顔するだろ。もしかして顔に出ないだけで、俺のこと知りたいとは思ってくれてるのか?」
「別に」
「はいはい。そんなに言うなら話すよ。そうだな、イルミが来てなかったときに会った面白い奴の話でもするか」

 それは結局、ナマエの話ではないと思った。が、指摘するのはやめにして、ウイスキーフロートに口をつける。イルミも別に、本気でナマエに洗いざらい吐かせたいわけではない。ただ、毒にも薬にもならない酒を飲んで、毒にも薬にもならない話を聞いている。無駄なことをしている自覚はあったが、積極的にやめようとは思わなかった。人と喋るのが好きだと自分で言うだけあって、ナマエの話はそれなりに面白かったのだ。

「そいつ、趣味で人殺しやるような奴なんだけどさ、結構ノリがよくて」
「……また随分、ロクでもないのに声をかけたね」
「まぁ、俺なんて眼中にないって感じだったし。自分が狙われない分にはなんとも。でさ、なんで人殺しかどうかわかったかっていうとさ、そいつ普通に返り血浴びたまんま店に入ってきたんだよね。ちょっとやそっとの量じゃないぜ。店の暗めな照明の下でも、はっきり血だってわかるレベル。な、おかしいだろ?」
「どう考えてもそんなのに声をかけるナマエのほうがおかしい」

 いくら普通の客が来ない店だからって、マナーというものくらいはある。ナマエの蛮勇には、流石に店のマスターも肝が冷えたことだろう。ターゲットにはしない同情を、まさか一介のバーテンダーにすることになるとは思わなかった。

「いや、かけずにはいられないって。俺、聞いたんだ。『失礼ですけど、それは人のものですか?』って」
「神経疑う」
「そしたらそいつ、ちょっとびっくりしてたけど、満面の笑みで『そうだよ』って。な、な、マジでおかしくね?」
「おかしいことだらけだよ」
「ま、話してみたら面白かったから、結局友達になったんだけど」
「……」
「いやいや、でもほんとに面白いのはここからなんだよ」

 友達自体、要らないと思っているクチだが、それにしたって選んだほうがいい。どうせ届かない忠告だからとイルミはまたグラスに口をつけた。「イルミ、他人事って顔するなよ。お前の友達なんだろ、ヒソカって」タイミングが悪かったせいもあって、むせそうになった。

「っ、はぁ? ヒソカ?」
「そう。イルミ、すごいのと友達なんだな。神経疑った」
「ヒソカは友達じゃないし、神経どうこうはお前に言われたくない」
「でも知り合いなのは認めるんだな」
「仕事のね」

 言ってから、余計なことを言った、と思った。あれと仕事で繋がりがあるとなれば、まぁ言わずもがなだ。絶対に隠し通したいわけではないが、うまく嵌められたみたいで腹が立つ。「ただそれだけだよ、間違ってもあんなのと友達じゃない」自分の知らないところで、ナマエとヒソカが仲良くなったようなのも面白くなかった。

「ま、イルミが否定したくなる気持ちも、わからないわけではないんだけどさ。普通にしてる分には、ヒソカって楽しい奴だろ」
「普通にしてるところが想像できないんだけど」
「いや、飯とか行くじゃん」
「行かないよ……行ったの?」
「うん」
「オレとは行ってない」
「え?」
「オレのほうが先にナマエと知り合いなのに、おかしくない?」

 お互い深入りせず、気を遣わなくていいのがよかった。何も知らないから仕事の話にもならないし、ましてや頼まれることも頼むこともない。「いや……イルミ誘っても嫌がるだろ、そーゆーの」ナマエは馴れ馴れしいが、その分ちゃんと人の事を見ている男だ。土足でずかすかと踏み入ってくるようでいて、距離感をつかむのがうまい。だから居心地がよかった。

「それは、そうだけど」

 ぴりっとした雰囲気は、イルミが自分で作ってしまったものだ。初対面の時ですら、こんな空気にはならなかったのに。ナマエにいきなり話しかけられて、うざいと思ったのは本当だったが、それでイルミが二度と店に行かなくなるなんてこともなかった。むしろ、店に行ってナマエがいないときは、少し待ってみたりもしていた。
 
「なんだよ、イルミのことも飯に誘っていいのか?」
「……うーん、それもそれで面倒だね」
「面倒なのはお前だ。どうせ、俺のことも友達じゃないって言うくせに」
「はは、わかってるじゃないか」

 ナマエのそういうところが気に入っている。だから、酔えないのに飲みに来ている。「別のやつ、飲みたいな」またもや自分のグラスをナマエに押し付けると、彼はわかりやすく嫌な顔をした。

「俺はこんな強いの飲めないって」
「たまには余計なことも喋ったら?」
「イルミも喋るなら考える」
「……へぇ、何が知りたいの?」
「そうだな。たとえば、さっき機嫌が悪くなった理由とか」

 なるほど。それくらいなら、話してやってもいいだろう。「マスター、こいつにモスコミュールひとつ」相変わらず勝手に人の注文を決めてくるお節介なところはあるが、それならそれでこちらも忠告がしやすいというものだ。

「別に大したことじゃないよ。ナマエに友達なんか要らないって、ただそれだけ」

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