- ナノ -

■ 今回ばかりは

「聞いて、私ね、呪われたっぽい」
 
 唐突で一方的。ナマエのからの電話はいつもそうだ。こちらが電話を取って「もしもし」と応答し終わらないうちに、彼女は彼女の話したいことを好き勝手に話し始めている。

「ここ十数年出てなかった熱は出るし、何もしてないのに全身だるいし、自分でもなんか体調悪いなあとは思ってたんだけど、まぁ普通は疲れのせいかなって思うじゃん? だって今、まさかの連勤80日突破してるんだよ? ほいほい依頼受けた私が悪いんだけどさ、暗殺者こそ年間休日きっちり設けるべきだよね。そもそも殺したい相手がいる人多すぎ。人心の荒廃が半端ない。でね、それはそうとして私の体調不良なんだけど、問題は体調不良だけじゃなくてとにかく今の私は不運でさ。依頼を終えて意気揚々と報告したら依頼主が既に死んでたり、そもそもその依頼自体が私への罠だったり、ようやくまともな依頼にありつけても、現地に向かうと季節外れのハリケーンだとか、休火山が噴火するとか天災レベルで必ず邪魔が入るの。こんなのもう、ツイてないで済ませられる話じゃないよね。まぁ、それで私も流石におかしいと思って調べてみたんだけど、どうも”ツイてない”っていうより”憑いてる”ことが問題らしくて……」
「それでオレに何を頼みたいの?」
 
 よくもまぁ、ほとんど息継ぎも無しにこれだけのことを話せるものだ。イルミはようやく回ってきた”口を挟む隙”を利用して、肝心の要件を促した。最初の頃はあまりの一方的さに腹が立ちもしたが、今ではもう感心しかない。元々、母親との会話で捲し立てられることには慣れているし、ナマエの話は長ったらしいだけで一応ちゃんと要件はあるのだ。ただ愚痴を聞いてほしいというだけで彼女が電話をしてきたことは、意外にもただの一度もない。

「そうそう、それでイルミに頼みたいんだけどね、除念師の知り合いいないかなぁって。暗殺の依頼じゃないのは申し訳ないんだけど、もちろん紹介料はちゃんと払うし」
「いないことはないよ。ただ、除念はリスクが大きいからね」
「除念師のほうにも莫大な金を積まなきゃならない、って話よね。でも、金ならあるんだ。連勤80日だから、使う時間がなくて貯まる一方なの」
「悪いけど、オレが気にしてるのはリスクのほう。強い念を除いた後はそれ相応の期間、能力が使えなくなるからね。大事な除念師を貸し出して、もしもその間家族の誰かに除念が必要になったら困るだろ」
「……あー」

 考え込んでいるのだろうが、ナマエが黙り込むとかえって不気味だった。しかし、これに関してはイルミとしても簡単に紹介してやるとは言えない。
 彼女は依頼が引っ切り無しにくるくらい仕事の腕もいいし、性格的にもあっさりしていて付き合いやすいが、これはそういう”知り合いのよしみ”だけで承諾できる話ではないのだ。

「……とはいえ、来るかどうかもわからない万が一に備えて、ずっと除念師を遊ばせておくのももったいない話よね。当然、ゾルディック家ともなれば専属契約とか結んでるだろうし、ずっと働いていない奴に報酬を払っているわけだ」
「そういうことになるね」

 もちろん、そのコストというのは安全に対して払っているものなので、別に無駄とは思っていない。だが、世間話ならともかくも、取引の話は最後までしっかり聞くものだ。ナマエは口数も多いが、その分頭もしっかり回るタイプであり、そこに関しては評価できる。

「一週間。一週間除念師を貸してくれたら、紹介料と別に一年分のコストを持つよ。もちろん、私の除念にかかるクール期間がそれ以上だったら断ってもらっていい」
「五年」
「二年」
「五年」
「いや、なんで一歩も譲らないかな! そこはちょっとは下げるとこでしょ!」
「五年」
「……思ったんだけど、ゾルディック家って大家族だよね。もし誰かが使用している間に必要になったら、って仮定は、当然家族間でも成り立つわけでしょ。そんなリスクを考慮してないわけないよね、専属の除念師が一人なわけないよね?」

 今度はイルミが黙る番だ。が、別に痛いところをつかれた不快さや気まずさゆえではない。どちらかといえば悪戯が成功した時のような、堪えきれない可笑しさを感じている。

「はは、バレた? わかったよ。三年でどう?」
「二年!」
「さっきお金ならあるって言ってなかった?」
「そうは言っても、一年あたりのちゃんとした額を知らないわけだからさ、怖いじゃん」
「いざとなったら働いて返せばいいよ。それか――」
「まぁ、そうよね」

 イルミが続きを言い終える前に、彼女はあっさりと同意した。どうやら交渉は、紹介料プラス三年分の除念師契約コストということで落ち着いたらしい。
 向こうが承諾したのなら、こちらもそれ以上は何も言う必要がなく、イルミは言いかけた言葉をそのまま呑み込んだ。

「このハイパーアンラッキーな状態で除念師を探してる余裕はないし、ゾルディック家と契約するくらいなら能力もお墨付きだし、稼ぐ当てなら嫌というほどあるしなぁ。うん。それでよろしく」
「じゃあ、居場所を送って。準備ができたら除念師連れてそっち行くから」
「おっけー」

 ぷつ、と通話が切れると、驚くくらいに静かに感じる。
 イルミはしばし携帯を見つめていたが、ややあって思い出したかのように除念師へコールした。




「これまた、妙な念をかけられましたなぁ……」 

 ナマエを見るなりそう言った除念師は、呆れたように肩を竦めた。「難しいの?」口ぶりからしてそういう感じでもなさそうだが、久しぶりに会ったナマエは聞いていたよりもずっと体調が悪そうに見える。本人曰くずっと熱が下がらないらしく、いかにも病人然としたパジャマ姿で出迎えられたときにはびっくりしたものだ。仕事の付き合いがメインだから、と言えばそうだが、なんだかんだお互いまともに私服すら見たことがない。ナマエはイルミと違って住む場所も転々としているし、改めて自宅らしい自宅を訪ねるのは初めてのことだった。

「いえ、これの本体は生きているようですし、除念自体はそこまで難しくありませんよ。経験則ですけど、一週間もかからないでしょう。ちなみに相手に心当たりはあります?」
「死人なら山ほどあるけど、生きてる相手なぁ……。いや、ターゲットの身内とかなら、恨みを買って当然か」
「恨み、というか嫉妬ですね、これ。だから”妙な”と言ったんですが」
「嫉妬?」

 除念師の言葉に、ナマエもイルミも揃って首を傾げる。確かに嫉妬も立派な負の感情だが、暗殺者にかけられる念の動機としてはぬるい話だ。

「なにそれ、どういうこと」
「効果の通りですよ。相手はナマエさんに死んでほしいというより、不幸になってほしいんです。特に仕事関連で」
「じゃあ、ナマエに念をかけたのは、同業者の可能性が高いってこと?」
「仕事を選ばず受けまくってるとか、業界の価格破壊してるとか、そういう心当たりは?」
「うわ……めっちゃある」

 なるほど、やたらと彼女に依頼が来るのは、腕だけでなく良心的な価格設定すぎるからなのか。聞けば、自分はゾルディックのようなビックネームではないし……と駆け出しの頃からほとんど値上げをしていないらしい。
 ようやく思い当たる節があって遠い目になったナマエに、そりゃそうでしょ、と呆れざるを得なかった。

「いやでもそれでなんで嫉妬……? 邪魔なのには変わりないんだから、不幸と言わず死を願ってくれてもいいのに」
「人柄と腕は認められてるってことじゃない? ただただ思い切り迷惑なだけで。もしくは術者にそこまでの強い能力がなかっただけかもしれないけど」
「お前の人生仕事ばっかで不幸だぞ、気づけよ、休めよっていうメッセージなのかもしれません」
「待って、ゾルディックの除念師当たり強くない? てかそれ……地味に傷つくな」

 仕事ばかりの人生が不幸だと言われるとイルミも異議を唱えたいところだが、なんにせよ除念が難しくないのはありがたい話だ。除念師のほうも仕事に取り掛かる準備は万端らしい。
 と、そこで、ナマエが何を思ったのかすっと手を上げる。
 
「いや、やっぱり納得できないよ。ちょっと除念師してもらってる間、私の幸福エピソード語っていくね」
「……好きにしなよ」

 かくして、ナマエの除念と幸せな思い出話が始まったのだが……

「えっとね、直近で言うと昨日作ったたまご粥がめちゃくちゃ美味しかったし、先週の土曜日は仕事が急に飛んで数時間だけオフになったおかげで見たかった映画も見れたし、そうそう、三ヶ月前には新しいヘアアイロン買ったんだよね。それがめちゃくちゃ良くてさ。その前となると、あ、そう! ベンズナイフ! 初期型だから、デザイン性は劣るんだけど、いかにも実用品って感じに惚れて骨董屋に頼み込んで譲ってもらってさ」
「結構しょうもないんだけど」
「もっと何かこう、心があったまるようなエピソードはないんですか? 人間関係で幸せだったことないんですか?」
「待って。さっきから除念師えぐいんだけど、イルミどういう教育してんの」

 除念師の性格については、こちらに言われても困るところだ。実際、イルミがこの男に会ったのは数えるほどしかなく、面食らっている度合いで言えばナマエとそう変わりない。シルバが若い頃からゾルディック家と契約している古株であるのは確かだが、それ以外のことはほとんど何も知らないのだ。

「じゃあせっかくですし、イルミ坊ちゃんとのエピソードで何かないんですか。この方がわざわざ暗殺以外の依頼を受けられたくらいだ、まったく何もないってことはないでしょう」
「は? いきなり何を――」
「うーん、イルミとかぁ……イルミ関連で一番幸せな思い出……うーん」

 ナマエが勝手に幸せエピソードを語っている分には好きにすればいいと思っていたが、まさかこちらに飛び火するとは。
 一瞬、止めようかと思ったが、にやつく除念師の顔を見てやめた。別にナマエとは何もないし、変にはぐらかしたほうが誤解されるかもしれない。むしろお互い仕事ばかりで何もなさ過ぎて、ナマエが何を言うのか興味がわいたというのもある。

「そうだなぁ……三年前、いつものように仕事でターゲットの屋敷を訪れたら、びっくりするほど誰の気配もしなくてさ……」

 その日の彼女の仕事は、屋敷にいるマフィアを全員始末することだったそうだ。当然、下調べを行って乗り込んだのだから、屋敷全体が静まり返っているなんておかしい。仮に襲撃の情報が漏れていてボスが逃げたのだとしても、三下に至るまで雁首揃えて本拠地から逃げ出すなんてことはありえない。そんなもの事実上の解散でしかないし、面子を気にする彼らならば迎え撃とうとするのが普通だ。

「でね、おかしいなとは思いつつも調べないわけにはいかないし、屋敷に入ったの。そしたら人がいたんだよ。ポーカーやってたり、食事中だったり、みんな普通に日常生活って感じだった。血の臭いもしないし、誰かが暴れた形跡もない。まるで時がとまったみたいに静かで、穏やか。絵画の世界に迷い込んだみたいだった。えっとつまりね、私が来た時にはもう死んでたんだよ、そいつら」

 ナマエはその時の光景を思い出すかのように、目を閉じる。

「眉間に太い針が一本。”異常”なのはそれくらい。でも男たちは確実に絶命していて、驚くしかなかったよ。しかも、私が茫然とその場に立ち尽くしていたら、不意にその中の一体が動きだして攻撃してきた」
「オレの仕事も”全員を始末すること”だったからね。雰囲気からしてマフィアの関係者ではなさそうだったけど、一応確認しないわけにはいかないから」

 互いの存在は完全に予定外。彼女がすぐ近くに来るまで新手が侵入したとは気づかず、あの時イルミもまた咄嗟に死体に紛れ込んだのだ。

「あれ、ほんとに死ぬほどびっくりしたし、実際死ぬかと思ったよ!」
「殺すつもりはそんなになかったよ」
「そんなにってことはあるじゃんか! やっぱ私、死んでてもおかしくなかったんだ」

 口ではそう言う割に、ナマエの反応は素早かったと思う。イルミが彼女の喉元へ針を突き付けたとき、彼女もまたナイフの切っ先をイルミの首筋に向けていた。もちろん、今こうしてお互い思い出話として処理できるくらいなので、本格的な戦闘には至らなかったわけではあるのだが。

「で、それオレたちが初めて会ったときの話だよね。今の話のどこに幸せ要素があったわけ?」
「えー! とびきりのエピソードなんだけど! じゃあイルミは私との思い出でなにが一番幸せだったっていうの?」
「少なくともそれではないよ」

 幸せ、と言われると思いつかないが、ナマエとは過去に仕事を一緒にした機会も多くある。初対面時に敵対した思い出よりは、共闘した思い出のほうがいくらかマシとはいえるのではないか。「もっと他にあるでしょ」女手の必要な依頼などでは、パーティに同伴したり、その後の流れで飲みに行ったりもした。イルミはそれを”何かある”とまでは言わないが、ここまで”なかったことにされる”のは面白くない。
 けれども、ナマエは少し悩んだだけで、あっさりと首を横に振った。

「だって、そのあとのことなんて、全部イルミに会えたからこそでしょ。だから出会いが一番幸せなエピソードだと思う」
「……」

 真面目な顔で、何を言うのか。
 イルミは返す言葉が見つからず、視線をさまよわせる。思わず動揺してしまったことに、自分自身が一番驚いていた。

「お取込み中すみません、除念終わりました」
「え!? あ、ほんとだ身体軽い!」

 別に、言うべき言葉を持ち合わせていたわけではない。が、この邪魔された感じはなんなのだろうか。
 イルミはため息をつくと、頬にかかった髪を後ろに払いのけた。

「よかったね、無事に終わって」
「うん、ありがとう。これでまたバリバリ働けそう!」
「そうだね、そこの男の報酬もきっちり払ってもらわないといけないし」
「払ってもらう側が言うのもなんですけど、ナマエさんほんとにちゃんとした楽しみ見つけたほうがいいですよ」
「う……」

 はっきりと言われたことで流石にへこんだのか、新しく趣味でも始めるかな……とぼやくナマエ。そうは言ってもどうせ彼女のことだから、また仕事に役立ちそうなものを始めるに決まっている。そして仕事関連ならば、同じ仕事人間のイルミにだってアドバイスはできるし付き合うこともできる。

「その件に関してはいいよ」
「え?」
「オレがこれからもっとマシなことを思い出せるようにしてあげるから」
「ぼ、坊ちゃん……!」
「お前が反応するな」
「いや、大きくなられたなぁ、と思いまして……これはシルバ様にぜひともご報告しなければ」
「しなくていい」

 本当に、うちの除念師は一体どういう教育を受けているのか。執事たちではありえない態度に、なんだか調子が狂ってしまう。「はは、イルミが困ってるの珍しい。これも結構いい思い出になりそう! 面白エピソードだよ」ただ、ナマエがそう言って楽しそうに笑ったから、イルミは除念師のお節介を不問にすることにした。
 今回ばかりは。


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