- ナノ -

■ いつも片思い

 仕事終わり。深夜の呼び出し。
 訪ねた幼馴染みの暮らす一軒家は既に半壊していて、一階と二階が無理やり吹き抜けになっていた。室内に一歩足を踏み入れれば埃と資材の欠片がぱらぱらと舞い、電灯も壊れたのか、頼りになるのは月明かりしかない。
 ナマエはそんなぐちゃぐちゃの家のソファーに寝ころんでいた。両腕で顔を隠すようにしながら、だらりと足を投げ出していた。

「バラされた」

 気配はいつものように消していたのだが、彼女は顔を隠したまま、こちらを見ないでそう言った。
 ゆるく握られた彼女の拳には、乾いた血がべっとりとこびりついていて、まるで黒い手袋でもはめているみたいだ。

「だからバラしたの?」

 イルミはキッチンのほうに視線をやって、この家の有様に負けないくらいぐちゃぐちゃの死体を見る。ほとんど原型をとどめていないくらいバラバラにされているが、男だ。顔もはっきりしないけれど、ナマエがこの前付き合うと言っていた男。

「情報屋なのは最初から知ってたんだろ?」
「情報屋である前に、恋人だと思ってたんだよ」

 ナマエはようやく顔から腕を退けると、ひどく億劫そうに身を起こした。ちらりと見えた俯き加減の横顔。普段より重そうな瞼をしていたから、泣いていたのかもしれない。
 立ち上がった彼女は足元に散らばる内臓を綺麗に避け、キッチンに立って手を洗い出した。ざあ、とシンクに水が跳ね返る音が響く。

「で、オレはなんで呼ばれたわけ? もう死んでるんじゃ、オレの出番はないと思うんだけど」

 ゾルディック家と親交があったくらいなのだから、当然ナマエも暗殺稼業だ。非力な情報屋の裏切り者くらい、片付けるのに苦労はなかっただろう。タオルで手の水気をぬぐった彼女は、自分の服も血で汚れていることに気づくと、一瞬眉をしかめた。

「殺し屋である前に、友人だと思って呼んだんだよ」
「オレとナマエが友達なわけないだろ」
「はいはい、こちとらいつだって片思いですよ」

 ナマエはイルミがいるのも構わず、腕を交差させ、裾を持ち上げるようにして上の服を脱ぐ。モスグリーンのキャミソールから覗く肩は、ついさっき恋人だった男を殺したばかりと思えないほど、薄っぺらくて頼りなく見えた。「で、ここまで来ておいて、帰るの?」イルミがその言葉の意味を図りかねている間に、彼女は戸棚の中を漁りだす。そして、木箱に入った真っ黒な瓶を掲げて見せた。

「ジャポンの酒しかないけど、飲める?」
「へえ、珍しいもの持ってるね」

 イルミ自身はジャポンの酒に詳しくないが、ゼノが時折取り寄せるので相伴に預かることがあった。透明に済んだその見た目から、ウォッカと同じようなハードリカーかと思っていたが、爽やかな口当たりと草木を思わせる香りは結構癖になる。酔えないイルミだからこそ、酒はそういう楽しみ方しかできなかった。

「そこの死体がくれた」

 ナマエはけろりと親指で後方を指すと、がちゃがちゃとグラスを二つ取り出す。冷蔵庫からはソーダのボトルと、つまみのつもりかチーズ。
 それらを全部リビングのローテーブルの上に並べて、彼女はどっかりとソファーに腰を下ろした。そしていつまでも突っ立っているイルミに向かって、ぽんぽんと座面を叩く。

「ただ、からくて私の口には合わないから、イルミが消費してよ」
「……飲んだら忘れる?」

 イルミはもう一度男の死体を見る。馬鹿な奴だ。金に目がくらんで、恋人の情報を売った男。イルミが頼んだ人間の話では、それはもう清々しいほどあっさりとナマエのことを売ったらしい。
 ソファーに腰を下ろして、グラスを受け取る。口の中に広がるすっきりとした味わいに、すっと胸のすく思いがした。

「え? 飲むのはイルミだよ? 確かに私だったら記憶飛ぶ可能性もあるけど、イルミには効かなくない?」

 彼女はぷしゅり、と炭酸の音をさせて、ソーダのキャップを捻った。
 失恋したほうが酒を飲まないで、慰める側が飲むなんてどうかしている。もっとも、イルミには彼女を慰めてやるつもりなど、これっぽっちもなかったのだが。

「ナマエがいつも片思いなの、理由がわかる気がする」
「ちょっと、それが落ち込んでる相手にかける言葉?」
「人を見る目がないんだよ」
「唯一友人だと思ってた相手には否定されるし?」

 イルミは何も言わなかった。ナマエのことを友達だと思っていないのは事実だからだ。水でも飲むかのようにグラスを空け、さっさと瓶の中身を空にしてしまおうとする。
 そんなイルミに彼女は肩を竦めると、泣き腫らした瞼のまま、眉を下げて笑った。

「でも、友達じゃなくても、こうやって落ち込んだ時に酒に付き合ってくれるならいいよ。友達より、幼馴染みのほうが上じゃない?」
「……そんなのだからいつも片思いなんだよ」

 イルミはため息ごと胃に流し込んだ。半分は、ここで彼女を押し倒してしまえない自分に言っている。
 どうせこんな程度の酒では、酔っていたなんて言い訳は通用しないに違いなかった。

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