- ナノ -

■ ◆当たりの秘訣

 グロック17。ハンマーもなく、艶のない黒のポリマーフレームのその銃は、一見すると子供の玩具のようにも見えなくない。しかしその名に表されるように、9mmパラベルム弾が17発装弾されたそれは、ナマエがこの前、街の警察官から頂いたれっきとした本物だった。まだ子供のナマエの手には余る大きさだが、両手で構えれば決して扱えない重さではない。マニュアルセーフティもデコッキングレバーも存在せず、ただマガジンに弾を込め、チャンバーに弾を送り込み、トリガーを弾くだけで撃てる。至ってシンプルな造りの銃で、バァン、という発砲音は想像よりもずっと軽い音だった。

「いっそ哀れに思えるほど、下手だな」

 弾倉を撃ち尽くしたナマエは、10メートル先の自作の的を穴が開かんばかりに睨みつける。木の板で作ったそれは拙いながらも人型で、その上半身の真ん中を中心に同心円が描かれていたが、どんなに睨みつけてもこれ以上穴は開かなかった。
 ナマエが今しがた撃ったばかりの弾痕は、見事にターゲットの急所を外している。脳天を狙ったはずの弾は耳を撃ち抜き、心臓を狙えば肩をかすめている有様だ。ナマエとしては板に当たっただけ大きな進歩なのだが、17発も撃ってこれだけ致命傷を外していれば言い返す言葉もない。いや、17発も撃たれれば、致命傷でなくても人間は死ぬかもしれないが。

「それか、もしかしてお前には別の的が見えているのか?」
「は?」
「弾は全部左にそれている。もしも右利きの相手が銃を持って、左手で抱え込んだ人質のこめかみに銃口を突き付けていたら――」

 クロロが言う通りの光景を想像する。イメージは銀行強盗。黒の目だし帽を被った犯人は女性行員の一人を人質に取り、彼女に銃を突きつけながら金をボストンバッグに詰めろと怒鳴るのだ。

「――眉間、喉、目、こめかみ、頬、心臓。見事に人質の急所に直撃だ。これほど執拗だと、個人的な恨みの線まで浮上してくるレベルだ。ほんとにパクに教えてもらったのか?」
「そうだよ!」
「信じがたいな。逆に人質のほうを狙ったら当たるんじゃないか? もしくは目を瞑って撃った方がまだマシかもな」
「そんなに言うなら、クロロがやって見せてよ」

 ナマエは不貞腐れて、新たに弾を込めたグロック17をクロロに渡す。ナマエの腕のおかげで人型の的は未だ健在だ。クロロが銃を使うところなど見たことなかったが、あれだけ偉そうに言うのだからさぞかし上手いに違いない。「馬鹿だな、ナマエは」3つ年上のこの少年が、そう言うのをナマエは何度も聞いた。しかしいくら大人びて見えようが彼の手も小さいことに変わりなく、両手で握りしめられた銃はやはり玩具のように見える。

 バァン、バァン――。

 結局、クロロはナマエと違って弾倉を空にすることはなかった。撃ったのはきっかり、眉間と心臓の二発だけ。寸分の狂いなく綺麗に残された穴を見て、ナマエは一瞬悔しがるのも忘れ、口をぽかんと開けた。

「……え、すご」
「パクに銃を教えたのは俺だ。まさか、念の形にするほど気に入るとは思っていなかったが」
「わ、私にも教えてよ!」

 押し付けるように銃を返されて、ナマエは慌ててクロロを仰いだ。実は、既にパクには匙を投げられているのだ。優しい彼女はクロロのように馬鹿にすることはなかったが、ナマエなら銃なんて使わなくても強いわよ、と慰められた。教わるとしたらもう、クロロしかいないだろう。それなのに彼は腕を組むと、興味を失くしたように背を向けた。

「強化系のお前の場合、どう考えても銃を使うより直接拳で殴った方が早いだろう。ここまでエイムが酷いと念弾を勧める気にもならないな」
「確かに殴った方が早いけど、私だって、武器のひとつくらい使えるようになりたいんだもん」
「なぜだ?」
「なぜって……そのほうがかっこいいから」

 そのとき、顔だけ振りかえってこちらを見たクロロの表情を、ナマエは一生忘れないだろう。その日以来、くっそ〜馬鹿にしやがって、という怨嗟の言葉と銃声が盛んに流星街に響き渡ることになったが、クロロも他の幼馴染たちもみな放っていた。どうせ言ってもナマエは聞く耳を持たないだろうし、勝手に一人で練習するのは本人の自由だ。もともと治安のよろしくない街では銃声などさして珍しくもないし、そのうち彼女が銃の練習をしていることすら皆忘れかけていた始末。事件が起こったのは、ちょうどそんな頃――ナマエがクロロに馬鹿にされてから、2か月ほど経とうかという頃合いだった。



「おっと! 動くなよ!」

 そう言って扉の死角から躍り出た男は、一番最初に部屋に入ったクロロを左手でホールドし、こめかみに拳銃を突きつける。
 深夜の博物館。警備員は全員殺したあとなので、きっと不運にもかち合ってしまった同業者なのだろう。もちろん、クロロは人の気配に気づいていたし、拳銃を突きつけられても特に焦るようなことはなかった。出会い頭で殺さなかった理由はただ一つ。男が目当ての宝をいくつか服のポケットにしまい込んでいて、男を殺した血でうっかり宝が汚れるのを避けたかったからだ。

「なんだ、ガキがうじゃうじゃと。まったく、世も末だな」

 背の低い男は、相手がまだ十代前半くらいの子供たちだとわかると安心したのか、息を吐いて笑った。クロロ達はちょうどこの頃から、生きるためだけではない盗みを働くようになっていて、今日この博物館についてきたのはクロロ以外にマチとフェイタンだった。ここにウボォーやノブナガがいたら男ももう少し警戒しただろうが、たまたまこの場にいたのは小柄なメンバーばかりだった。男がほっとしてしまったのも無理はない。もっとも、マチもフェイタンもこの時すでに、いつでも男を殺せる体勢だった。殺さないのはそれこそ、クロロがそうしていないから、というだけのことだった。

「ま、大人しくしてりゃ、命まではとらねーよ。ガキども、ここへ来るまでの間に警備員は見たか?」
「見たね」
「ほう。だったら、ちょっとばかし協力してもらおう。俺はここを無事に出たいだけなんだ。このまま一人、借りて行ってもいいだろう?」

 要するに人質だ。本当に逃走を一番に考えるなら、返って邪魔になるだけだろうに。
 クロロが何も言わないので、マチとフェイタンは特に男を止めなかった。クロロにとっても、男にホールドされている状況は都合がいい。男のポケットから目当ての物を回収して、汚れないところに仕舞ってから殺す。騒ぎ出さない子供たちを怯えているのだと勘違いし、男はいよいよ余裕そうな色さえ浮かべ始めた。クロロに銃を突きつけたまま、そろりそろりと展示室を出て、廊下を歩く。クロロは数歩も行かないうちに、もういいかと男の命を狩ろうとした、その時――。

 気づいてしまった。15メートルほど廊下の先にある、壺のような展示物。その台座の陰に隠れるようにして、片膝立ちになったナマエがこちらに銃を向けている。いつのまに着いてきていたのか。まさか、本当にクロロが窮地に陥っていると勘違いして撃つつもりなのか。
 瞬間、クロロの脳裏に、ナマエの練習風景が思い出される。人型の的。ことごとくズレて撃ち抜かれた的の左半身は、ちょうど今クロロがいる位置だ。
 思わずぶわりとオーラが全身を包む。男を殺して抜け出すよりも先に、身を守らなくては、と思った。普通に撃たれるだけなら、堅でガードできる。だが、もしも強化系のナマエが弾丸に念を纏わせていたら――。

 (というか、あの腕で撃とうと思うな!)

 バァン、という発砲音に、クロロは身を固くする。前に聞いたグロック17とは思えない爆裂音と衝撃に、そのまま後ろにひっくり返った。大の字に床に伸びる形になったクロロの顔面に生暖かい鮮血が降り注ぎ、遅れてぱたぱたとこちらに駆けよる足音がする。

「クロロ、見た!? わたし、ちゃんと一発で眉間に当てたよ!」

 ちらりと視線を動かせば、少し後方に頭部が綺麗に吹っ飛ばされた男の身体が転がっている。明らかに通常の銃を超えた威力であり、ここまでくれば眉間に当たらなくても関係ないだろう。爆発の巻き添えを食らったクロロは怪我こそしていなかったものの、酷い有様だ。宝どころか、全身男の体液でぐしゃぐしゃである。

「ちょっと、危ないじゃないか! クロロに当たらなかったからいいものを!」

 駆けつけてきたマチに叱られても、ナマエは得意そうに微笑んでいる。フェイタンもナマエの腕の酷さを知っていたのか、この結果に驚いているらしかった。

「ナマエ、腕あがたね。コツでも掴んだか?」
「え? 前にクロロが教えてくれたんだよ。目を瞑って、人質の方を狙ったんだ。そしたら男に当たった!」
「……」

 クロロは寝ころんだまま、自分のポケットから男の血やら体液で汚れたお宝を取り出して顔の前に持ってくる。台無しだ。もはや立ち上がる気すら起きないほど、ずっしりとした疲労感が全身を襲っている。
 空咳をして、ため息とともに言葉を吐き出した。

「……二度と、ナマエに銃を持たすな」

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