- ナノ -

■ 悪癖を履きこなせ

※微グロ注意
 

 ナンパをされやすい人というのは存在する。
 まず第一に容姿が魅力的であることで、これについてまぁ異論はないだろう。男だろうが女だろうが誰だって対象外の人に声をかけたりしない。かけてくるとすればそれは宗教やマルチの勧誘で、金さえ持っていれば相手が人間である必要すらないのだ。まさに“いいカモ”、彼らにとっての金蔓に容姿の美しさは求められない。
 次に、ゆっくり歩いていたり、道の端を俯いて歩きがちな人も狙われやすい。これは時間的な余裕や気の強さを測られているのであり、ナンパをする側も傷つきたくないという心理の現れだろう。
 一目惚れの運命の恋ならいざ知らず、明らかに手ひどく断られそうな高根の花にはなかなか声をかける勇気が出ないものだ。
 そしてナンパをされやすい最後の傾向は、服装が大人しいことである。この理由は二つ目のものとよく似ているが、派手な格好や奇抜な装いをしているほうが声をかけられにくい。
 もちろん、派手な人が好みだという者もいるし、勝手にガードが緩そうだと判断してちょっかいをかけてくる奴もいるだろうが、人間だって所詮は動物だ。捕食をするつもりなら、警戒色を避けるというのは基本中の基本かもしれない。

 従って、容姿に自信のあるナマエは、二点目と三点目についてきちんと自衛していた。魅力的なのは誤魔化しようがないが、それで余計なトラブルを生むのはごめんである。
 だからいつも武器になりそうなほど踵の高い真っ赤なヒールを履いて、道の中央を堂々と歩くのだ。自慢のコンパスの長さを活かして颯爽と闊歩すれば、ナンパも勧誘も、道に迷っている人にも容易に声をかけられない。
 しかし今日、そうまでしても見知らぬ男たちに絡まれてしまったのは、ナマエの魅力がうんぬんというより、単純にこの地域の治安が恐ろしく悪いせいに違いなかった。

「はぁ、最悪……」

 ナマエに声をかけてきた男たちは三人で、その勢いはもはやナンパの域を超えていた。強引にナマエの二の腕を掴み、逃げ場を塞ぐようにして囲い込む。そのままこちらの意見を聞くこともなく路地裏の方へと引っ張る手口はやけに慣れたもので、今までにもこうして誘拐のようなことをしてきたのだろう。「こんな時間に、女一人で出歩いているのが悪いんだぜ」弱者が虐げられるのは自然の摂理だと言わんばかりに鼻で笑った男は、今やもう“弱者らしく”その呼吸を止めている。言わずもがな他の二人の男たちも同様で、現在ナマエが不快感を露わにしている理由はお気に入りの赤い靴が血でべっとりと汚れてしまったからだった。

「こんな時間に出歩いてる時点で、普通の女じゃないと気付けなかったほうが悪い」

 念も遣えない男が三人くらい襲い掛かってきたところで、殺しを生業にしているナマエにしてみればどうと言うこともなかった。むしろ人目のない路地裏に連れ込まれたのは、無駄な騒ぎを起こさずに済んで好都合だ。いくら治安が悪かろうが流石に往来で殺しをやるわけにはいかないし、結局、全てにおいて男たちは運が無かったのだろう。仕事終わりのナマエは気が高ぶっていて、どうにも“やりすぎる”癖がある。プライベートなら尚更で、男たちの死体はほとんど原型を留めてすらいなかった。
 ナマエは最後にその肉片をヒールのつま先で蹴り飛ばすと、靴以外が汚れていないことを念入りにチェックする。今晩は月夜で明るかったが、足元だけなら泥と見紛われるだろう。フィクションの世界と違って人間の血は赤黒く、決してヒールの赤に同化するものではない。買い替えなくちゃ、とため息を漏らしたナマエは、そこでふと、誰かが路地の入口にたたずんでいることに気が付いた。

「汚い殺し方だね」

 その人物は男だった。目を惹くのは腰まで届くほどの長髪だが、その背の高さや骨格は明らかに男性のものである。彼は凄惨な現場を見ても悲鳴一つあげることなく、逃げ出す素振りもなかった。むしろすべてをゆっくり観察すると、審査員のような口ぶりでナマエの行いに評価を下した。

「イラついたんだからしょうがないよ。イルミもたまにやらない?」

 それもそのはず、彼は同業者。いや、単に同業者という言葉でナマエと一括りにしてしまうのは気が引けるほど、由緒正しい暗殺一家のご長男様だ。過去に彼とターゲットが被ったことが何度かあり、こうして軽口を叩けるくらいには顔見知りである。しかしそれもこれもナマエが毎回素直に仕事を降りているからの話で、敵対すれば容赦なく殺されるだろう。
 まさかこんなところで彼に出くわすとは思ってもみなかったナマエは、目撃者が堅気でなかった安堵と、自分の悪癖を見られたばつの悪さから、ついつい拗ねたように唇を曲げた。

「やらない。汚れる方がオレは嫌だし。弟にも、無駄に甚振るのはやめろって言ってる」
「ていうか、どっから見てたわけ?」
「そうだな、ナマエが男たちに腕を掴まれるところから」
「いや、見てたんなら助けてよ」

 正直なところ、イルミにナマエを助ける義理がないことくらい重々承知している。しかし現場を目撃して素通りするならともかくも、わざわざナマエが惨殺し終わるまで黙って見ていたなんて趣味が悪い。彼が“無駄に”と表現したように、ナマエのショーは決して短い時間ではなかった。

「助ける? 男達を?」
「私をだよ」
「でも、結果的に襲ってたのはナマエの方でしょ」

 それを言われるとナマエは何も言い返せなかった。か弱い乙女でなくて悪かったわね、と皮肉を返してもこの男には通じないだろうし、もしもナマエが弱かったら、なんていう質問はもっと愚問だ。

「はいはい、お目汚し失礼しました。仕事帰りに不快なもの見せてすみませんでしたね」
「オレはこれから」
「そう。じゃあ尚更こんなとこで道草食ってないで早く行ったほうがいいよ」

 忙しいだろうに、わざわざ足を止めてまで何がしたかったんだか。
 相変わらずイルミの表情からは何も伺い知れず、ナマエは早々に思考を放棄する。だが、彼を避けるようにして狭い路地をすれ違おうとすれば、イルミは突然左手を壁についてナマエの進路を塞いだ。

「……なんのつもり?」
「お手本見せてあげるよ」
「は?」
「言っただろ、オレはこれから仕事だって。ナマエも一緒に来なよ」
「いや、私これから帰るとこで……」

 今日はもう仕事を終えたし、余計な殺しまでして疲れている。そもそも金にもならないのに同業者の仕事についていくなんてごめんだ。人によってはゾルディックの仕事を見学できるのは有難いことなのかもしれないが、生憎ナマエには向上心の欠片もなかった。靴も汚れてしまったし、純粋に早く帰りたい。

「帰るところってことは暇なんでしょ」
「……あのさぁイルミ、見学とか上手いこと言って、タダ働きさせようとしてない?」
「残念だけど、ナマエの力を借りるほど困ってないよ」
「私も人の仕事を見学するほど、技術に悩んでないよ。仕事のときはちゃんと綺麗に殺るし」
「いいから来なよ」
「……」

 実際にイルミのほうが格上なので全く勉強にならないことはないだろうが、押し付けられればありがた迷惑もいいところだ。けれどもちっとも退けてくれる気配のないイルミは、行動通りに意見を下げるつもりがないらしい。さてはこれは変なスイッチ――弟相手にやるような、いわゆる教育スイッチが入ってしまったのだろうか。真っ向から反論しても押し通されるのがわかったので、ナマエはなんとかイルミの側から馬鹿らしくなってやめにしてくれるよう、さして重くはない脳みそを必死で捻った。

「……えーと、もしかして私のことナンパしてる?」

 その結果が、この面白くもなんともない冗談である。もちろん自意識過剰と馬鹿にされることは覚悟の上だが、だからこそイルミもつまらないことに時間を費やしたと気付くだろう。いかにも心外だ、と言わんばかりの「は?」が返ってくるのを、ナマエは今か今かと待っていた。が、

「……」

 イルミは驚いたように瞬きをすると何かを考え込むように顎に手をやった。そして何やら「そうか」と納得したように小さく呟くと、ナマエの足元を指さす。

「それじゃあ仕事の後、その汚れた靴を買い直してバーにでも」
「へ?」
「それなら文句ないだろ」
「……いや、何が?」

 文句を言おうにも、まずイルミの発言が理解できないので言えないだけだ。仕事を見学する話は彼のありがた迷惑な教育者精神に起因するとして、靴を買ってくれるのと飲みにいくのはどう繋がるというのだろう。「ナマエ今、すごく馬鹿丸出しの顔してるよ」誰のせいで、という怒りが湧き上がってきたのを呑み込んで、とりあえずナマエは疑問の解決を優先した。

「イルミが何の話してるか、全然わかんないんだけど……」
「何って、ナマエの誘い方だよ。自分で稼いでるからさ、物で釣っても来ないと思ったんだよね」
「はぁ……いや、はぁ?」
「で、来るの? 来ないの?」

 イルミは二択を提示したが、果たしてそれは意味があったのだろうか。
 ナマエは改めて自分の格好を見下ろした。靴だけとはいえ返り血を浴びている女は、普通は絶対“ナンパされやすい”特徴に当てはまらないはずだ。何かがおかしい。間違っている。
 だが、イルミはとうとう「来るよね」と選択肢すら取り上げると、何もおかしなことはないというように踵を返した。どうやらナマエが着いてくることは、もはや彼の中で決定事項らしい。

「……あの、仕事の後だと、靴屋はまだ開いてないと思うんだけど」
「それなら買い物は明日にしよう」
「いや、明日は明日で忙しいし……」
「ははは、まさか今日、帰れるつもりでいるの?」

 ナマエの冗談も酷いものだったが、この男も相当である。
 ちら、と振り返ったその表情は真顔で、ナマエは彼の代わりに無理に笑った。

「へ、へぇ〜ゾルディックはやっぱりすごいなぁ……一体あと何件仕事が入ってるんだろ。徹夜コースかな?」
「徹夜コースだろうね」
「……ねぇ、待って。ほんとどっちの意味で?」
「わかるでしょ」

 わからないから聞いているのだ。
 一瞬、このまま逃げようかとすら思ったが、ナマエの貧弱な脳みそではどうにも成功するビジョンが見えない。となれば次にするのは思考放棄で、ナマエが早急に治すべき悪癖はむしろこちらの方かもしれなかった。

「私さぁ、さっき『こんな時間に女一人で出歩いているのが悪いんだ』って言われたんだけど、イルミも『まんまと男に着いていく方が悪い』って言うタイプ?」
「さぁ? 子供じゃないんだし、良いとか悪いとかなくない?」
「いやいや、急にまともなこと言うのやめてよね」
「は?」

 聞きたかった“心外の『は?』”は、このタイミングではない。ナマエは小さく苦笑すると、歩くのが速いイルミに合わせてスピードをあげる。
 結局ナンパ避けには役立たなかったけれども、行きも帰りも颯爽と闊歩すれば、夜風が肌に心地よかった。


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