- ナノ -

■ まるで私達

「他の男と会ってただろ」

自宅に着くと、ゆらり、と玄関先に立っている黒い影。
無表情がもはや何の意味もなさないくらいの殺気をたたえて、そのくせ抑揚のない声で彼はそう言った。

「うん」私は誤魔化す事も言い訳することもせず、素直に頷く。「どいて」どうせ何を言ったって無駄なのだろうし。

けれどもイルミはそこから一歩も動かずに、私の腕を痛いほどの力で握り締めた。
そして、わざわざ腰を屈めてこちらを覗きこむように顔を近づける。

「言ったよね?オレ以外の男は見ないでって」

ぎりぎりと閉まる腕が痛いし、きっとまた痣になるんだろうけれど、イルミにしてはまだ手加減してくれている。私はなるべく痛がってる素振りは見せずに、深くため息をついた。

「……イルミ、人口の半分は男よ」

「知ってるよ。だから心配なんだけど」

「会った、だけよ」

「会うのも、嫌だ」

イルミは私の真似をするようにそう言うと、当たり前みたいに私の家の扉を開けた。出かけるときに鍵はきちんとかけたと思う。
でも今更そんなこといちいちイルミに言ったって仕方がない。半分引きずられるようにして中に入ると、その場でいきなり唇を奪われた。

「……っん、イルミ」

けれどもキスとは名ばかりで、ほとんど窒息させようとしているのではないか。
あまりの苦しさに暴れると、その手を上から押さえつけるようにしてさらに体重がこちらにかけられる。そして事もあろうか、彼はキスをしたまま私の鼻をつまんだ。本当に死ぬ。「ん…!」
そのまま靴箱の上に乗り上げる形になって、飾ってあった造花と花瓶が床に落ちて大きな音をたてた。

「っ!ん………!」

苦しい。もはや命の危機を感じる。逃げようとした舌は口内で絡めとられ、飲み込みきれなかった唾液が口の端を伝う。もう駄目かも。私が本気でそう覚悟した時、ようやくイルミは手と唇を離した。

「っは!けほっ、」思わず激しくむせ返った。酸素を求めるひゅう、という呼吸の音だけが暫くその場に響き、力の抜けた私はずるずると床へ座り込む。
流石にイルミはこの程度呼吸を止めたところでは、ちっとも苦しそうではなかった。

「こ、殺す気……なのっ!?」

「殺そうかな、って思った」

殺しのプロなんだからもっと他にもやり方があるだろうに。
淡々と紡がれたその台詞に嘘はなく、彼は未だ苦しそうにする私を見下ろすようにして立っていた。

「ねぇ…首を締めるのもいいけど、キスで死ぬのも悪くないと思わない?」頭の中も肺の中もオレでいっぱいになって死ぬんだよ。
イルミは素晴らしい思いつきをした子供みたいに、私の反応を伺う。
だが当然無理やり体験させられた私には理解できるはずもなく首をふった。「聞こえはいい…けどね」

「そう。残念だな。
殺しちゃえば、ナマエは完全にオレのものになるのに」

「……じゃあ、なんでやめたのよ」

ようやく呼吸を整えて、口元を手の甲で拭う。イルミの度を超えた束縛には、はっきり言って閉口していた。ただ、それでも嫌いにはなれないし、きっと嫌いにさせてももらえないだろう。
腕を伸ばした私の手を取り、引っ張り起こしてくれた彼には、人間として大事なものが欠如している。もしかしたら彼は無意識的にその穴を埋めようと、誰かに執着することで足掻いているのかもしれなかった。

「だって、これだとナマエだけ死んじゃうだろ。
どうせキスしたまま死ぬなら、一緒じゃないとね」

「……イルミ、長生きしてね」

「なんで?」

「イルミにもしものことがあったら、貴方は這ってでも私を殺しに来るでしょう?」

きっと、彼には私一人を逝かせるつもりもなければ、自分一人で逝くつもりもない。「うん」頷いたイルミは何をどう勘違いしたのか安心して、と言った。

「ナマエを一人にはさせないよ」

一人になりたくないのはイルミだろう、と思ったが私はあえて何も言わなかった。その代わり、黙って廊下の電気をつけ、彼を部屋に招き入れる。

玄関には無残に割られて、それでもまだ造花を庇うように多いかぶさる花瓶の欠片と、朽ちることのない色褪せた造花だけが残った。

それらはまるで私達みたいだと思った。


[ prev / next ]