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■ 8.博愛主義

その後、NGLの視察は滞りなく終了し、国境を越えた私たちはようやくハンター協会が有する飛行船に乗り込むことができた。
自動で快適な室温に調整され、コーヒーを飲むためのお湯がすぐに沸くのは、あの国から出てきた私にとっては魔法のようにありがたく、久しぶりに人心地ついた気さえする。辛かった生活とはこれでもうおさらばで、二度と視察になんか行くものかと固く決心した。

「はぁ、やっぱり僕はこっちの方がいいですねぇ。マイナスイオンじゃお湯も沸かない」

「私は初めからこっちがよかったです」

ソファにどっかりと腰を下ろしてカップを傾けたパリストンに、ほとんど条件反射のように嫌味を返すが、あの日もう少しでNGLの裏の部分に触れてしまいかけたことは忘れられるはずもない。いや、本当に怖かったのはNGLというより彼の裏の顔だったかもしれないが、とにかく深入りしないほうが得策だろうということだけはわかった。

「いや、でも本当にあの国は素晴らしいですよ」

「…褒めたり貶したりどっちなんですか」

「僕は博愛主義ですから世界全てを愛してますよ!もちろんトレイアさんあなたもです」

「…っ、スケールがでかすぎます」

危ない。もう少しでコーヒーをこぼすところだった。パリストンの思い通りになるものかと、私はなんとか平静を装う。あれ、気持ちが悪いって言わないんですか?とにやにや笑いで顔を覗きこまれたが、それでも頑張って耐えた。

「それは言わずもがなですから」

「酷いなぁ」

「いつものことじゃないですか」

こうして下らない軽口を叩きあっていると、またまた彼のことがわからなくなってくる。パリストンは置物副会長でトラブルメーカーで、性格のうざったい男。それだけでもういいじゃないか。表面的な彼をからかうだけで楽しんでいればいいじゃないか。しかし、そんなこちらの思いをあざ笑うかのように、突然彼は真面目な顔になって話題を切り出した。

「ねぇ、トレイアさん。正直今回の視察はどうでしたか?あなたから見たNGLはいい国ですか?」

真っ直ぐにこちらを見つめて、 目を逸らすことは許されない。嫌な緊張が身体を強ばらせ、私はなんと答えるべきか逡巡した。正直に言うべきか。彼はどんな答えを求めているのか。

やがて私の口から発せられたのは、酷く正直な意見だった。

「……自然を大事にしている一般の人は良い人達でした。でも、総合的には悪い国だと思います」

「そうです、僕も自然は大切にしなきゃいけないとは思うんです。別に自然派とかそういうことじゃなく、トレイアさんと同じで自分が可愛いからですよ」

こんな時まで嫌味を言ってくるのか。私は思わず引きつった笑みを浮かべ、奥歯を噛む。けれども今回ばかりは嫌味を言うのが目的ではないようだ。「だって垂れ流した水銀はどうなりましたか?魚の体内に取り込まれ、生体濃縮で毒はより強力になって人間に返りましたよね」そのまま、真顔のままで彼は話を止めない。組んでいた足を解いて、こちらに身を乗り出すようにした。

「悪意もそれと同じだと思います。あの国は悪意を世界中にばらまこうとしている。もしもあの国の悪人を食べる生き物がいたら、一体どうなるんでしょうか……?」

「悪人を食べる……?」

「もしもの話ですよ。でも、悪意だって生体濃縮されて返ってくるかもしれませんよね?」

私はそんな馬鹿な……と言いかけて、口をつぐんだ。この男は口から出任せをよく言う男だ。根も葉もない噂で他人を揺さぶり、それを楽しむような性格の悪い奴。
それなのに、どうしてこう真実味があるのだろう。すっかり彼のペースに呑まれているのがわかっていても、もはやどうすることもできなかった。

「……では、副会長は自滅を見越して、あえて彼らを見逃したのですか?」

「いや、そういうわけでも」

「え?」

「さっき言ったでしょう?僕はその悪意も含めてこの世界が好きだから、この世界が面白くなってくれるならなんだっていいんです!」

両手を広げて演説風に語ったパリストンは、そこまで言うとまたにっこりと微笑んでみせた。こちらはその態度の変わりように、開いた口が塞がらない。

「……この話、どこまでが本気なんですか?」

「もちろん最初から最後までですよ」

「からかうのはやめてください。本気ならなんで私にこんな話……気が変わって貴方のことも含め、告発するかもしれませんよ?」

悪意をばらまく、と言う話。きっとあの洞窟の奥にあるものをパリストンは知っている。そしておそらく、これからこの世界に起こることも。
私は挑発的に彼を見返すと、ありったけの勇気を振り絞って不敵に笑ってみせた。それなのに、パリストンは顔色ひとつ変えやしない。

「いや、貴女は告発しないでしょうね」

「また私が怖じけ付くとでも?それとも自分の身可愛さに?」

「それもあるでしょうが、貴女は僕のことを好きだからですよ。貴女は僕を告発しない」

「……」

自信たっぷりにそう言った彼の、その自信は一体どこから来るのだろう。私はふう、と深いため息をつくと、立ち上がって途中まで書いていた報告書を持ってきた。

「つまり、告発すれば貴方の地位を奪える上に、私が副会長を好きじゃないという証明になるんですね」

「ええ」

私がもしこの報告書を出せば、何らかの調査機関があの洞窟の奥に向かうだろう。今までだって悪い噂はあったけれど、それはあくまで噂に過ぎない。実際に調査が行われて明るみに出れば、もう誰も見て見ぬふりは出来なくなるだろう。一介の協会員でしかない私には、そうやって事実が公表されることが良いことなのか悪いことなのかはわからないが、とりあえず私の仕事はそこで終わり。それなら結局、私に出来ることなんて限られているのではないだろうか。

そうやって考えてみると、だんだん自分が悩んでいること自体がとても馬鹿馬鹿しいことのように思えてくる。知らず知らずのうちにため息が溢れた。

「やっぱり……少し自意識過剰ってものですよ副会長。私は貴方と一緒で性格の悪い博愛主義なんです、だから」

私はそこまで言うと、飲みかけだったコーヒーを報告書の上にぶちまける。見る見るうちに茶色い染みが紙を侵食し、もうこの報告書はとても提出できる代物ではなくなった。

「悪意も、性根の腐った貴方もふくめて、この世界が好きなだけですよ。貴方だけが好きなわけではありません」

「ほう、それはそれは」

やっぱり僕達って似たもの同士なんですねぇ。

そんなことを嬉しそうに言われて、私は複雑な気分だった。似たもの同士には決してなれない。自分はこの人と対等に渡り合えるだけの器ではない。わかっていたけれど、もう少しこのまま下らない言い合いしていたいと思った。

「じゃあ似たもの同士でいいですから、この前言ってたステーキ食べに行きましょう。もちろん副会長の奢りで」

「え」

「あんな何もない国の視察に付き合ってあげたんだから、贅沢させてくださいよ。どうせ賄賂とか貰ったんでしょう?」

「ははぁ……参りましたね、本当にあなたって人は」

早速店に電話予約を入れる私に、パリストンは深いため息をつく。結局彼の嫌がる顔は見れなかったけれど、呆れたような表情も悪くはなかった。

「なんか予約いっぱいらしいですけど、副会長ならお金の力でなんとかなりますよねー?」

きっと彼の見ている世界と私の見ている世界は全く違う物だろう。そしてそれは私がどんなに背伸びをしたって決して見ることはできないものだ。

「さぁ、なんとかなるんじゃないですか」

「流石、肩書きだけはある男!」

「トレイアさん、それ褒めてませんからね」

そんなことはもちろん、言われなくたってわかっている。やはり私の目に映る彼は、あくまで口先ばかりで意地の悪い置物副会長なのだ。
だからたとえそれが彼の偽りの姿だったとしても、私は自分に見えている世界が、彼が、心の底から好きだと思った。

End

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