- ナノ -

■ 5.迷子と打算

「え……」

勢いよく部屋を飛び出したのはいいもの、まずは廊下の長さに驚いた。
仮にここが廊下の中央だとしても、左右どちらにも突き当たりが見えないのは流石におかしいんじゃないだろうか。

用が無いなら帰っていい?と偉そうなことを言った手前、今更戻って「すいません出口どこですか?」なんて聞けるはずもなく。

右か左で心理学の知識を思い出したアニスは、右へと歩き出す。


まぁなんとかなるかな。
初めはそう思って歩き始めたのだったが、しかしすぐにこれは罠なのだと思わざるをえなかった。

だって、全然玄関らしきところにたどり着かないし、誰にも会わないんだもの。
やけにあっさりと解放されたと思ったら、やっぱり私をからかっただけなんだ。

いつでも殺せるから、とあえて逃がして戸惑う私を嘲笑っているに違いない。
ニヤニヤしてる男も駄目なら無表情もタチが悪いのだと、改めて思い知らされた。

そもそもよく考えてみればあの男の友人だし。
類は友を呼ぶとは言うけど、まさにその通りなんだ。

でも、それならそうとただ遊ばれてやるには腹立たしい。
アニスはささやかな抵抗でもしてやろうと、絶を行った。
果たして暗殺者の巣窟でこんなものが役に立つのか甚だ疑問ではあるが、少なくとも何もしないよりかはマシだと思った。




とはいえ、歩き回ること数時間。

「もう、やだ…」

この絵画、さっきも見たような気がする。
つまり、もしかしなくても同じところをぐるりと回っているということだ。
拷問されてたのが確か地下だから……と考えてみるが、一体この屋敷が何階建てなのかすらわからない。

「あーもう、殺すなら殺せばいいわ」

アニスはもはやヤケクソになって絶をとき、代わりに自分の存在を知らせるために円を行った。


※※


ヒソカを追い出して思ったより時間に余裕があったので、その後すぐ別の仕事に出かけたイルミ。

返り血ひとつ浴びずに今日のノルマをこなし、直接自分の部屋と帰宅する。
外もすっかり白み始めていて食事もとるのも面倒だし、シャワーでも浴びて一眠りしよう。
そう思って仕事着を脱ごうとしたのだが、何やら屋敷が騒がしい。
甲高い声は敷地の広さをものともせず、ここまでちゃんと伝わっていた。

さて、いくら我が家が夜型とはいえ、こんな時間に母さんは何を騒いでいるのか。
ホントに、操作系だなんて嘘じゃない?
むしろ、声を武器として使う放出系とか言われた方がまだ納得できる。

迷惑になるようなご近所はもちろん、他人に迷惑をかけてはいけないという概念すら持ち合わせてはいなかったが、流石に様子が変なので放っておくわけにもいかなかった。

「はぁ、なんなの」

仕方なく、イルミは脱ぎかけた服を整えると、母親のキンキン声を頼りに現場へと向かう。

またキルアが何かをやらかしたんじゃないといいけど。
最近、期待の弟は反抗期なのか、やたらと問題を起こしがちで本当に困る。
キルアはゾルディック始まって以来の才能だし、是非とも家を継いでもらわなければならない。
それなのにどこかまだ幼いというか、暗殺者としては精神が安定してないというか……。

オレやじいちゃんや親父は流石に怖いみたいだけれど、母さんやミルキは完全に舐めきっているようで注意が必要だろう。
兄貴としてしっかりと言い聞かせなくちゃな。

この時のイルミの頭の中には、今日会ったアニスのことなど、これっぽっちも浮かんでいなかった。




「ねぇ、何の騒ぎ?」

「まあまあ!イル!やっと帰ってきたのねぇ!!ずっと待ってたのよ!!」

声のする方へ向かってみれば、何やら母さんと一人の女が揉めている。
カルトはいつものこととして、騒ぎに駆り出されたのか、ミルキやキルアまでもが困ったような顔をしてこちらを見てきた。

「あ」

「あ………」

目が合って、ようやくその存在を思い出した。
っていうか、まだいたの?
とっくに帰ったものだとばかり思っていたから、イルミは驚いてまじまじと見つめてしまった。

「聞いてちょうだい、イル!
いきなり屋敷内で円を使った者がいるから、捕まえてみればあの女で!!!侵入者かと思って殺そうとしたら、イルの恋人だって言うのよ!?
どうなってるの!?」

「恋人……?」

「そうよ!私は信じなかったんですけどね!!ミルやキルが万が一のことがあったら大変だから捕まえるだけにしておけって!!まったくもう、なんて図々しい!でもイルが帰ってきたのならはっきりするわね!」


母さんは鼻息荒くそうまくしたてると、勝ち誇ったようにアニスを見る。
つられてイルミもアニスの方に視線を向ければ、彼女は一瞬縋るような目をした。

「で、どうなのイルミ!!」

あれはヒソカの妹だ。
ヒソカの様子からして死んで欲しくないみたいだったし、ここでオレが恋人じゃないといえば彼女はどうなるかわからない。
ここは1つ、助けて(ヒソカに)恩を売っておいてもいいだろう。


「………まぁ、そう」

彼女の目が大きく見開かれるのと、母さんが悲鳴を上げるのと、ほぼ同時だった。

「ええっ!!?!そ、そうとはどういう…………イル!?どういうことなのぉ!?」

ガクガクと両肩を掴まれ、揺さぶられる。
揺さぶられながら弟たちを見れば、みな口をあんぐりと開けていて、もしかして厄介なこと言っちゃったかなと内心不安になるくらいだ。

「だから……そう、恋人」

「う、嘘だわっ!!」

「まず、揺さぶるのやめてよ」

ようやく手を離した母さんはワナワナと震えていて。
別にオレもいい歳だし、そんなに怒らなくてもいいんじゃと思った時だった。

「まあまあまあ!!イルにもやっと春が来たのねぇ!!
キル達の言う通り殺さなくて良かったわぁ!お名前なんと仰るの?!」

「え、あ、アニスです」

「先程はごめんなさいねぇ!私も夫が留守の間は家を守らなきゃと思って必死でしたのよ!!」

「い、いえ、別にお構いなく……」

急変する態度に、オレはもちろんアニスもついていけてないみたい。
とにかく目の前の危機は脱したみたいだけど、ややこしいことになったのは確かみたいだった。

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