■ 57.真相
ヒソカは震える手でトランプを取り出すと、それに念を纏わせる。
初めは本当にアニスを喜ばせたかっただけだっだ。
手先が器用だったからそう高価でもないトランプを使って、妹を驚かせたかった。なんの娯楽もない生活の中で、魔法みたいな手品は唯一夢を見せてくれるものだった。
だから自分の念を考える時に、この思い入れのあるトランプを選んだのに……。
まさかアニスを殺すために使うときが来るとは思わなかった。浅く早い呼吸をする彼女は救いを求めるようにこちらを見る。ぱくぱくと唇が動いたが、もはや何と言っているのかわからなかった。
「アニス……ごめん…」
トランプが自分の手から放たれる感覚は今まで味わったどの喪失感よりも大きかった。
紙が空を切り裂く鋭い音。そして、ヒソカは思わず顔をそむける。
しっかりと見なければならないと思ったのに、身体も心もそれを頑なに拒否していた。
自分は最低だと思った。
そしてしばらく茫然としていたヒソカの意識を引きもどしたのは、乾いたぱちぱちという音。すべての元凶になった男はヒソカに拍手を送ると、どうだ?なんてとても楽しそうに聞いてきた。
「俺が憎いか?」
「……」
部屋の中は血の匂いで充満していて、嗅覚がだんだんと麻痺していく。それと同じようにヒソカの心もじわじわと壊れていった。
涙を流しているくせに、乾いた笑いが止まらなかった。
「ねぇ、またボクと戦ってくれるよね……?」
「もちろんだ」
目の前の男が憎くて憎くてたまらない。それなのにヒソカはゆっくりとした足取りで家を出た。もう二度とこの家に帰ることはないだろう。
結局、師匠の見込みは正しかったらしい。
ヒソカは他の人間を殺すことで、妹を殺したことを正当化しようとした。『狂った殺人鬼』ならば、妹を殺してもおかしくはないだろう、そう考えるようにしてそう生きた。
そしてまたひとつ、ひとつと命を奪っていくたびに救われるような気がした。
やがて重ねた救いは快感に変わる。救われるのは快楽だ。
妹を守るために力を欲してその妹を失ったように、救われるための殺しがただ快楽を求める殺しに変わっていった。
「もうあなたから教わることはないよ」
ヒソカが師匠を殺したのはアニスが死んでから1年も経ったあと。1年も自分に嘘をつき続けて憎い相手から教わらなければ仇を打てなかったが、その1年が確実に『ヒソカ』を作り上げたのだった。
※
「…じゃあ本当にアニスを殺したの?
だったら、ここにいるアニスは?」
ヒソカが話し終えた後、当然のようにイルミはそう質問してきた。彼が混乱するのも無理はない。実際にその場にいたヒソカですらアニスが死んだものだとばかり思っていたからだ。
これは後から考えた推測だけど、
もう一度続きを話そうと口を開けば「…待って」いつから聞いていたのか、気絶していたはずのアニスが泣いていた。
「アニス、起きたの!?大丈夫?」
イルミが慌てて顔を覗き込むと、彼女は頷いて自分でしっかりと身体を起こす。それでも頬を流れ続ける涙は止まりそうになかった。
「そこからは私が話すよ…」
「でも、」「大丈夫。ごめんね、何度も迷惑かけて」
目覚めたアニスは顔色は悪いものの、今は落ち着いているようだった。それからヒソカの方をしっかり見据えると、ごめんなさい、と謝る。
きっと彼女は両親の死をヒソカのせいにしていたことを詫びているのだろうが、謝られたヒソカは複雑な気持ちだった。
「簡単に言うとね、助かったのはヒソカ─お兄ちゃんのおかげなの…。
あの時私は助からないはずだったけれど、念を纏ったトランプが精孔を開いてくれた」
きっとギリギリでヒソカはトドメを刺しきれなかったのだろう。それでもそのまま行けば出血多量で死ぬところだったのを念のおかけでなんとか一命をとりとめた。
そして意識を取り戻したアニスは、自分が両親を殺したという事実を受け入れられなかった。夢か現か定かではないが、兄の笑い声を聞いた気がした。
「そのあと私は助けを求めて、床を這って玄関に向かった。実はお兄ちゃんが療養中だった期間、私もあの男から精孔を開くための精神統一とか教えてもらってやってたの。
……だから皮肉にもあの男にも助けられたことになるんだけど、とにかくその時は痛みで頭がおかしくなりそうだった」
ぽつり、ぽつりと呟くように語るアニスは苦しげで、イルミはただ手を握ってやることしかできない。彼女はそれに気が付くと、安心させるかのように少し微笑んだ。
「床を這ってるとね、ふと血だまりが視界に入った。
……そしてそこに映った自分の瞳に私は戦慄した。なぜだかその時自分が自分じゃないように見えて、両親を殺したことを責められている気がしたの」
違う、私じゃない。私のせいじゃない。
兄の笑い声が耳から離れなかった。
嘘だ。こんなの私じゃない。
「きっと、お兄ちゃんが出ていったこともショックだったんだと思う。見捨てられたって思った」
アニスにとって家族で一番大切なのは兄だった。いくら両親のことが大事でも、両親は簡単にアニスを一人にする。
兄だけが今までずっと傍にいてくれたのに。
「私の念はね、理由を付けることで相手を操ることができるんだ。
もちろん念のことは誰にも教わらなかったから、初めのうちは気づかなかった。
だけど今ならわかる。きっと私は血だまりに映る自分の瞳を見て自分で自分に念をかけたんだよ」
─なにかもかも嘘だ。私が両親を殺すはずがない。お兄ちゃんが私を見捨てるはずがない。だから嘘だ、何もかも嘘だ。
「ごめんね……お兄ちゃんのせいにしてごめんね」
アニスは頭を下げた。いつもの兄が自分を見捨てるはずなくて、でも両親は死んでいて自分も怪我していて。兄の笑った声だけが頭の中で木霊して、全てに理由をつけるなら『兄がおかしくなった』というのが一番楽だったのだ。
そして強い気持ちと慣れない念の暴走に、無意識的な思い込みが今の今までアニスを真実から遠ざけていた。
「ボクはアニスが生きててくれただけで嬉しいよ。ボクこそ、一人にしてごめんね」
泣き笑いを浮かべたアニスにヒソカも笑みを返す。もう一人にしないよ、と言いたいけれど、きっとそれはもう自分の仕事ではない。
「イルミ、キミに話して少しすっきりしたよ」
全てを思い出したなら、『あの男と同じ今の自分』が彼女の傍にはいてはいけないと思った。いる資格がない。
─これからはアニスのことをよろしくね。
イルミに向かってそう言うと、ヒソカはさよならも言わずに部屋を出た。「待って、行かないで!」扉を閉める瞬間、最後に聞こえた妹の声。けれども彼女の兄はもういないのだ。
彼女が慕っていた優しい兄は、彼女にトランプを投げた時に死んでしまったのだから。
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