- ナノ -

■ 55.見失った

快楽殺人者がわざわざ自分の手を煩わせてまで面倒を見ただけはあって、ヒソカはめきめきと力をつけていった。
基本的な体術はもちろんのこと、先天的なセンスと頭の回転の良さで念の習得も非常に早い。

水見式の結果変化系だったヒソカは自分で自分なりに工夫を凝らして、ただ強いだけでなく応用の効く念を編み出した。師匠も珍しくそれには満足していて、たぶんこの時期がもっともヒソカにとって充実していただろう。

修行をすればするほど成果が出て、楽しくない訳がない。そのせいでアニスに寂しい思いをさせることが増えても、元は彼女を守る為だったということすらあやふやになっても、ヒソカはただひたすらに力を求め続けた。

「おい、そろそろ俺と一戦やってみないか?
本気で」

今までにだって、組み手と称して師匠と拳を交えたことは何度もある。
だがその日彼はとうとう『本気で』と付け加え、にやりと笑ってみせた。

「いいのかい?ボクこれでも結構強くなったよ。
あなたを殺してしまうかも」

「馬鹿言うんじゃねぇよガキが。確かにお前は強くなったが所詮型稽古みたいなもんだ。本気で殺したいと思ってる俺には適わないさ」

「そうかい?じゃあやってみようよ」

我ながら安い挑発に乗ったものだ。
それでも子供ながらに自分の実力には相当な自信があったし、逆に子供だからこその負けず嫌いな部分もあった。

「まだ死ぬなよ」

「そっちこそね」

もともと戦闘が肌にあっていたヒソカもまた、師匠との本気の戦いにとても魅力を感じていたのだ。




「お兄ちゃん、どうしたの!?」

覚束無い足取りで家の門を潜り、玄関を開けたところでヒソカは盛大に倒れ込んだ。
着ていた服は血をすってずっしりと重くなり、太もも、それから脛を伝って床に血だまりをつくる。

アニスが慌てて駆け寄ってきたのを感じてヒソカは微笑んだが、薄目に見た妹の表情は青ざめていた。

「な、何があったの?大変、どうしよう、血止めなきゃ……」

「大丈夫、少し寝たら良くなるから……」

「で、でもどうして、こんな……手品の練習してたんじゃなかったの、ねぇお兄ちゃん、やだ……」

アニスには何も伝えていなかったから、さぞかし心配をかけただろう。
あの後師匠と戦って、結果ヒソカは全く歯がたたなかった。殺されなかったのが不思議なくらいだが、それは弟子に対する情ではなく、今後に期待してということだろう。
とにかく今は絶でオーラを絶ち、少しでも回復するのが先だった。

「お兄ちゃん、お兄ちゃん!」

「本当に大丈夫だから、ねぇ、アニス。悪いけど包帯を買ってきてくれない……?お金ならここにあるから」

「わ、わかった、包帯ね!すぐ買ってくる!すぐだから」

「うん、頼んだよ……」

駆け出していった妹の足音を聞きながらヒソカはようやく目を閉じる。
けれどもこの時アニスを外に行かせたのは失敗だった。

家を出て、玄関から点々と続く血に気がつかない訳が無い。兄はどうして怪我をしたのか、包帯を買ってきて手当を済ませたアニスは、理由を知るためにそれを辿ることになる。
そしてその血の先で彼女が誰と出会ってしまったかなんて、当のヒソカは全く知るよしもないことだった。




傷の回復は思ったよりも早かった。アニスが毎日毎日懸命に手当てしてくれたというのもある。

3週間後にはすっかり元の調子に戻ってそれどころかすぐにでもリベンジしたくてたまらなくなっていた。
それでも一応は妹に心配をかけたわけだし彼女がいるときは安静にして、アニスが買い物のために家を開けたときはこっそりと筋トレをしたりして過ごしていた。

「お兄ちゃん、治るの早いね。よかったぁ」

「アニスのお陰だよ。心配かけたね、ありがとう」

「ううん、でも……また練習行くの?」

アニスにはあの怪我は手品の失敗によるものだと嘘をついた。最近は奇術じみた大掛かりなものまで挑戦していて、それであんな怪我をしたのだと。
正直、自分でも無茶苦茶な嘘だとは思ったが、アニスがそれ以上追求してくることはなかった。

「うん、もう二度とあんな失敗はしないよ」

「……だと、いいんだけど」

「大丈夫さ。それより、アニスも気をつけるんだよ。いつ『あの人たち』が帰ってくるかわからないんだから」

「わかった」

頷いた妹の頭を撫で、ヒソカは家を出る。

いつ両親が帰ってくるかわからないのなら、家に居て妹を守るべきだった。そんな簡単なことにも気がつかないで、ヒソカはまた師匠に会いに行こうとしていた。

「……気をつけてね」

もっと早く妹が寂しそうなことに、気がつくべきだったのだ。


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