■ 54.欲した力
イルミから連絡があって駆け付けたとき、アニスは彼の腕の中に抱かれて気を失っていた。顔面は蒼白で、ときどきうなされるようにうめき声を漏らす。
全てを思い出した彼女は半ば錯乱状態のようになり、仕方なく鎮静剤を打って落ち着かせたらしい。
けれどもなんでキミはいつも勝手なことばかり、と口から出かかった言葉は、深刻そうな表情でアニスを抱きしめ続けるイルミを前に霧散してしまった。
「どうせ、アニスが望んだことなんだろう…?」
こくり、と無言でイルミが頷いて、その肩にかかっていた長い髪がさらさらと流れていく。このところイルミはいつにもまして不安定だった。
いや、もともとイルミという人間は酷く危ういバランスで成り立っていたのかもしれない。
そこへ不意に現れたアニスの存在が彼を人間らしく更に脆くして、まるで子供がぬいぐるみでも抱くようにしっかりアニスを抱えている様はどこか滑稽ですらある。
ヒソカは嫌に冷静な気持ちで二人を観察しながら、自分はゆっくりと空いているソファに腰を下ろした。
「…責めないの?」
大事なおもちゃを取り上げられまいとするように、イルミはアニスをさらに抱き寄せる。
責めたい気持ちは確かにあった。あったけれども責めても仕方がないのだと思った。
記憶を取り戻すのはアニスが望んだことであり、ヒソカだって少しは望んでいたこと。
死んだと思っていた彼女に再会して、過去を忘れていると知った時、ヒソカだって思い出してほしいと思ったのだ。
「…責めても、キミは開き直るだろう?」
「…ヒソカはどこまで知ってたの」
「どこまで、か…全部かな。結果的にアニスは生きていたけれど、両親を殺したのは彼女だし、その彼女を手にかけようとしたのもボク。
…彼女の記憶は改ざんされていたよ。話していくうちにすぐにわかった。
でもそれでアニスが幸せなら、両親を殺したのが『ボク』でいいやと思ってたんだ」
なによりも、まずアニスが生きていたというだけでヒソカは救われた。自分がアニスを殺したとばかり思っていたから、あとの記憶の食い違い程度はどうでもよかった。
もちろんなぜそうなっているかとか、どの部分を忘れているのか、今後思い出しそうなきっかけがあるのかなど……他愛ない会話の中で探りを入れたこともしばしばだったが、幸いにも彼女が『自身にかけたと思われる念』はとても強固なものだった。
「…ねぇ、何があったのか教えてよ」
「……」
「アニスのこと、知りたいんだ。オレには何もできないかもしれないけど、それでもアニスのことを知りたい」
「…わかった」
どうせアニスが目を覚ませば、すべてわかること。
それならば無理をして彼女に語らせるよりも、自分が先に話して事情を伝えておいた方がイルミも声をかけやすいだろう。
ヒソカは目を瞑って過去に思いを馳せると、重い口をひらいた。
※
「いいかいアニス、いい子にしてるんだよ」
「うん」
ただでさえ、お金を稼ぐために開けがちな家。
そのうえヒソカは最近、自分の用事ででも外出をするようになった。
「『あの人たち』が来たら、すぐに隠れるんだよ。明け方には帰るからちゃんと待っててね」
「うん、大丈夫だよ」
アニスの頭を撫で、何度も言い聞かせるように言う。
何かと物騒な世の中であるため彼女を一人で残していくのは忍びなかったが、これは仕方がないことなのだ。
「修業、頑張ってね」
「ありがと」
ヒソカはにっこり笑って手を振り、家を出る。
家を出てすぐの角を曲がり、早足になって最後には駆け出す。
アニスには新しい手品の技を習いに行っているのだと嘘をついていた。
いや実際、この修業のおかげでヒソカはトランプを空中に浮かせることもできるようになったし、あながち嘘ばかりと言うわけでもない。
人目を避けるように路地裏に入ると、いつもの場所にその男はいた。
「来たか」
一見、地味で目立たない格好をしながらも、その体からは隠しきれない血の匂いをする。瞳がぎらついていることから、また今日も誰かを殺してきたところなのだろう。
そうわかっていてもヒソカは、臆することなく男に話しかけた。
「今日は何の修業をするんだい?」
「…お前はそればかりだな」
「念をもっと使えるようになりたいんだ」
呆れたように片頬で笑った男は言葉の割にはまんざらでもなさそうで。
笑うやいなや、遠慮もなしに嬉々とした殺気をヒソカに向けた。
「お前はきっと強くなるよ」
「あんただって成長したボクと早く戦いたいだろう?」
「あんたはやめろ、教えてほしいんなら師匠って呼べ」
「快楽殺人者のくせに」
男はそれを聞くとますます嬉しそうに笑った。笑うと結構、人好きのしそうな顔である。それなのにこの男は自分の悦楽のためだけに他人を殺して、戦いを好むような野蛮な一面を持ち合わせていた。
「それがわかってて教えを乞うお前に言われたくはないさ」
「師匠でもなんでもいいよ、ボクは強くなりたいんだ。
ねぇ教えてよ、念のこともっと」
力が欲しい、と常々思っていたヒソカにとって、ふらりと街に現れたこの男の存在はふって沸いた希望そのものだった。
だからたとえ相手がどんな人間だろうが関係ない。そもそも初めての出会いはこの男が笑いながら人を殺しているところだったし、今更怖がるなんて馬鹿げている。
それよりも今はこの男が使う、不思議な力『念』への興味が何物よりも勝っていたのだった。
[
prev /
next ]