■ 52.意識の闇間
「…本当に…いいの?」
部屋から出る前、最後にイルミはもう一度だけ尋ねた。
ゾルディックには万が一を想定して、お抱えの除念師がいる。とはいえそれは常時屋敷にいるわけでも、その除念方法を事細かに把握しているわけでもない。
父や祖父辺りはちゃんと知っているのかもしれないが基本的に企業秘密という感じで、除念の際はイルミは部屋を出て行くことになっていた。
「……危険かもしれない。それに、ヒソカは反対してる」
「でも、お兄ちゃんは私次第だって言ったよ。私は除念してもいいと思ってる」
「アニスにメリットはないんだよ」
「思い出してほしいって言ったくせに」
「……」
いくらか毒もマシになったのか、アニスはそう言ってからかうように微笑んで見せる。
除念のための準備は着々と整っていて、望んでいたことなのにイルミは不安で仕方がなかった。
「せめて、完全に回復してからでいいんじゃない?」
「そんな悠長なこと言ってたらお兄ちゃんが無理矢理迎えに来るよ。
…それにね、メリットがないって言うけど、私も自分のことなのに知らないなんて気持ち悪いよ。
無料で除念してもらえるなら、やってもいいかなって思ったの」
心配しないで、なんてアニスは笑う。「ただし、思い出してもイルミのこと好きかどうかは保証しないよ」イルミもそれにつられて少しだけ口角を上げた。
「わかった……好きだよ、アニス」
返事を聞くのは全て終わってからでいい。部屋を出ると入れ違うようにして除念師が入っていく。
イルミは扉が閉まるその瞬間までじっと見つめ、完全に閉まってしまうと向かいの廊下の壁に背を付けた。
ヒソカはやっぱり怒るだろうか。明確に契約したわけではなかったが、引っかかるものは引っかかる。
イルミは腕組みをすると溜息をついて無駄に高い天井を仰いだ。
そしてどうかこのまま無事に『アニスが戻ってきますように』と祈った。
※
「いいですか、まずゆっくりと絶の状態になってください」
アニスは深呼吸をし、ゆっくりと体の周りのオーラを消していく。念を遣えるようになるまでは気にしていなかったが、こうして初対面の相手の前でオーラを纏わないでいるのはあまりに無防備な気がして不安だったりもする。
紹介された除念師は女性だったが、顔のほとんどをベールで被われ、年齢は不詳だった。
「大丈夫です、緊張しないで」
「はい…」
冷静に考えれば、イルミの言う通りこの除念にメリットはなかった。
記憶を失っているのはどうやら確からしいが、日常生活を送るうえで特にこれと言った実害はない。イルミには自分でも自分の記憶の欠落が気になると言ったが、正直イルミの存在が無ければそのまま大して気にも留めずに過ごしていただろう。
けれども今は彼のために思い出したいと思っている。いや、思い出すべきだと言った方が正しいか。
手段はどうあれ自分のために一生懸命になってくれているイルミを見て、アニスは彼に絆されたのだった。
「私も命がかかっているので正直に言います。過去に除念の経験はそれなりにありますが、記憶に関する念を外したことはまだありません」
「はい…」
「リラックスしてください。できるだけ睡眠状態に近い形で……そう、目を閉じて。
申し訳ありませんがあなたにもあまり私のやり方については知られたくないのです」
アニスは言われるままに目を閉じ、こくりと頷く。急に眠るのは難しいと思っていたが毒による体力の消耗、そして何か香のようなものが室内に焚かれると、意識は驚くほどおぼろげな物へと変わっていった。
「そう、そのまま……」
除念師の声が遠くに聞こえたのを最後に、アニスは完全に闇の中に呑まれていった。
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