■ 48.茶番劇
「と、いうわけで待ち合わせから始めるから、ここで待っててね」
わざわざ一旦店を出ていったイルミの後姿を見送りながら、アニスはどうしてこんなことになったんだろうと思っていた。
ここはパドキアにある普通のこ洒落た喫茶店。彼らが言うには、ここで三人は待ち合わせしてそれから一緒にドレスを買いに出かけたらしい。
正直言って自分の生活にドレスを着る機会などあるとは思えなかったが、二人が口をそろえてそう言うのだから嘘ではないのだろう。
出て行ったイルミがまたすぐに戻ってきてわざとらしく「や、」と挨拶をした。
「あれ?アニスもいるの?」
すらりと長い脚でこちらに近づいてくると、棒読みで疑問を口にしたあと首を傾げる。
「え?いや、さっきも会ってましたよね…というか私の記憶を戻すために来たんじゃ……」
「人の妹を呼び捨てするの、やめてくれないかな?」
「……?」
一瞬何がどうなっているのだと焦ったが、兄の落ち着きからしてこれは過去のやり取りの再現なんだろうと見当がつく。しかしそれにしても芸が細かい。普通そこまでやるだろうか。「だったらどう呼べばいいのさ?」イルミはそう言いながら腰を下ろすと、さぁアニスの番だと言わんばかりにこちらをじっと見た。
「え…あ、いや呼び捨てで結構です」
「違うよ、アニス。そこは『呼び捨てでいいよ!』だったと思う」
「それを言うならキミも入ってくるときに挨拶なんてしなかったと思うけど?」
「うるさいな、そんな細かいとこ覚えてるわけないだろ」
「アニスのほうが覚えてないんだよ」
「ヒソカうるさい。今ヒソカの番じゃない」
ぴしゃり、と言い放ったイルミは店員にアイスコーヒーを注文する。記憶が無いためどうしても第三者的な立場で会話を聞いてるが、やっぱりイルミが理不尽であることに変わりはない。各々の記憶を頼りに台本のない劇に興じるのは、滑稽さを通り越してひたすらシュールだった。
「アニスもさ、いつまでもオレに敬語使わなくていいから」
「は、はぁ…」
「ちゃんとやって。わかった?じゃあ続きから行くよ」
ちゃんとやるも何も…と思ったがここで口答えは許されない雰囲気だ。とりあえず話題を振られるまでは黙っていようとアニスは自分のグラスに手を伸ばす。
「で、仕事って何?」
イルミが当たり前のようにそう言ったので、これは何かの依頼だったのかとようやく合点が言った。
「…ね、イルミ、キミはアニスのことどう思う?」
「は!?」
しかし次の兄の言葉に訳が分からなくなる。質問に質問で返すのは失礼なうえに、話題がすっかり飛んでしまっている。この茶番にもしも台本があるとするなら、兄はページを間違えたのではないかと思うほどだ。しかしイルミが怒りださないところを見るに、これであっているらしい。
この二人は変わり者だと気づいていたが、ここまで会話が噛み合っていないとは知らなかった。
「どうって、好きだよ結婚しよう」
「ストップ、イルミ。キミこそちゃんとやってくれないかい?」
「いいから、早く『可愛いと思うかい?』って聞いて」
「もうここは割愛、ドレス買いに行こう。それが依頼」
立ち上がった兄に、イルミはえー、と声をあげる。「まだオレの好きなタイプ聞かれてないんだけど」話が飛躍しすぎて訳が分からない。
ヒソカはそんなイルミに構うことをせず、伝票を掴むとさっさとレジに向かった。なんだかんだ文句を言いつつ自分で払いに行くところがいかにも兄らしくて、アニスはくすりと笑う。
「あのねアニス、オレのタイプは」「あ、いや別にいいです」
聞いてもいないのに語られたところでどうしようもない。二人きりになるのが気まずくてアニスは逃げるように兄の後を追う。大胆にプロポーズされたせいで初めはちょっとドキドキしてたけれど、とんでもない勘違いだった。
結局、残念ながら喫茶店でのことは何も思い出せなかったアニスだが、ただ一つイルミという男は相当に変な人だとよく分かった。
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