■ 45.超理論
久しぶりにかかってきたイルミからの電話に、ヒソカは少し出るかどうか迷う。
イルミとバーで話して以来、ヒソカは全ての物から守るようにアニスの傍にいたが、その間イルミは「関わるな」というヒソカの言葉通り連絡を絶っていたのだ。
それが今になって何の用事か。いや、彼のことだからもう普通にあっさりと仕事の依頼かもしれない。
とりあえずヒソカはアニスに聞かれないように外へ出ると、通話ボタンを押した。
「もしもし?」
「ヒソカ、頼みたいことがあるんだけど」
やっぱり、もう彼にとっては過ぎたことのようだ。いつもと変わらぬ抑揚のない声に、安堵するもやや怒りも沸く。本当に、なんでアニスはこんな男を好きになったんだろう。
それでも向こうから触れてこない限りは仕事の話だけにしようと考えて、ヒソカは何だい?と尋ねた。
「あのさ、アニスをオレにくれない?」
「は?」
「は、じゃなくてどうなの?ダメ?」
あまりに唐突過ぎる言葉に真意をはかりかね、ヒソカが答えられないでいるとイルミは参ったなぁ、と言う。
「ヒソカがシスコンなのは知ってるけどさ、アニスは女なんだからいつまでもそういうわけにいかないだろ。いつか絶対結婚してヒソカのもとを離れていくわけだし」
「ちょっと待って、これってプロポーズ?」
「え?なんでオレがヒソカにプロポーズしなきゃなんないのさ。オレはアニスをくれって言ってるんだけど」
「…キミが何を言ってるかわからない」
それなりの付き合いだから、イルミがマイペースかつ超斜め発想理論を展開してくることは知っている。
けれどもどうしていきなり結婚まで話が進んでいるのか。そもそも「関わるな」と言った件はどうなっているのか。
ヒソカは軽い頭痛を覚えながら、携帯を握りなおした。
「ボク、アニスのことは放っておいてって言ったよね」
「うん。でもその理由は『アニスがオレのことを思い出しても辛いだけ』『オレといると危険な目に合う』ってことだったろ。結婚して彼女をうちに監禁したら、条件は二つともクリアだ」
「だから『結婚して監禁』っていう発想が理解しかねるんだけど」
「えー何が問題なの?」
「だから『結婚と監禁』だよ」
明らかに不満げに溜息をつかれ、一瞬自分が間違っているのかと自信がなくなるがそんなわけはない。パドキアは言語圏が違ったっけ?
あまりの話のかみ合わなさに、怒る気力も削がれてしまった。
「アニスはもうキミのことを覚えていないし、すなわちそれはキミのことを好きじゃないってことだ」
「でも、思い出せば好きってことでしょ」
「好きだったとして、なんだっていうんだい。
キミは同情や罪悪感でアニスと結婚するつもりなの?」
「ううん、オレもなんだよ」
オレも、アニスのこと好きみたい。
ヒソカの指は無意識に動いて、通話終了のボタンを押していた。
※
「アニス、引っ越すよ!荷物まとめて!」
「え!?なんで!?」
ものすごい勢いでリビングのドアが開いたと思えば、駆け込んできた兄がなにやらただならぬ雰囲気でそう言う。先ほど電話がかかってきて外に話に行っていたが、そのことと関係あるのだろうか。
なんで、と咄嗟に聞いたものの、兄もいつ命が狙われてもおかしくない生き方ばかり。貴重品だけ手に取ったアニスは兄に誘導されるがまま住み慣れたマンションを後にしていた。
「お兄ちゃんがそんなに焦るなんて、かなりまずい状況なの?」
「ごめんね、驚かせたかい?
いや、かなり思想の危ないやつに追われててね」
「思想?」
思想だけで言うなら快楽殺人者も相当なものだ。
しかし迎え撃つことをせず逃げるあたり、相手は実力もあるのだろう。アニスはただただびっくりして、どこから持ってきたかもわからないような車に乗り込んだ。
「アニス、悪いけど見えないように伏せてて」
「う、うん」
兄は片手で運転しながら頬のペイントをドッキリテクスチャーで覆い隠し、後ろに逆立てた髪をぐしゃぐしゃと乱しておろす。隣で見ている分には服だけがピエロというなんとも違和感ある格好になったが、どうやらこれは簡易の変装らしい。
かなりスピードを出しているし、今更シートベルトを着けていないことに気付いたアニスが手を伸ばすと、その瞬間兄の携帯電話がけたたましく鳴った。
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