■ 44.霧、晴れる
「お前らしくないな」
「何が」突然のことで一瞬驚いたが、ほとんど間髪入れずにそう返す。先ほどの話の続きであることは、言われなくてもわかっていた。
けれども『らしくない』という言葉の意味がわからなかった。
「気になることは、放っておかない主義だろう」
「そうでもないけど」
「そうでもないのは『気にしてない』ことに対してだけだ。俺が何年お前の親父をやっていると思う」
「……」
「ま、あまり親父らしいことはしてやれてないがな…」
図星だったからこそ返事をしないでいると、親父は顎に手をやり一人ごちた。
確かに、自分はアニスのことを気にかけている。
それは自分のせいで彼女が危険な目にあったから、とかそんな殊勝な理由ではない。
イルミは瞑目するようにしばし瞳を閉じた後、溜息をついた。
「……アニスは暗殺もできないし、毒の耐性もないし、門すら開けられないよ」
「ほう」
「拷問も駄目、体力もない、そのくせ人ん家に押しかけてきたり自分を刺したり、無茶を平気でするような奴だ」
そもそもはうちで迷子になったのが始まりだっけ。ヒソカの依頼で妹だとはっきりしたところで、正直イルミとは全く関係がなかった。それなのに家に帰ると勝手に人の恋人を名乗ったりして、せっかく出してやったのにいつのまにかまたうちに来て毒で寝込んでるし。
そう長くない付き合いのはずなのに、アニスのことを考えると様々な思い出が蘇った。
「だけど……
そんな役立たずだけど、一緒にいて落ち着くんだよ。だからオレから離れようとしたのも許せないし、オレのことを忘れてるのも許せない。
こんな感情今までなかったし、今も要らないよ。でも、どうしようもない……」
気が付くと堰を切ったように話すつもりのなかったことまで喋っていた。普段から親父にこんな話をしたこともなかったし、アニスのこともろくに伝えていなかった。だから親父からしてみると半分もわからない内容のはずだが、誰かに聞いてもらうということには意味があるらしい。
イルミは少しだけ軽くなった胸を押さえ、無意識のうちにそんな行動をしていたことに自嘲めいた笑みを浮かべた。
「本当にどうしようもないのか?」
「だって、もう彼女はオレのことを忘れてる。
除念だってするつもりなさそうだし」
彼女の意思はわからないが、とにかくヒソカがいる以上無理だ。それにいくら母さんが賛成しているとはいえ、ほとんど一般人のような彼女をうちに入れて大丈夫なのかとか、イルミもイルミなりに色々考えてみている。
すると不意に親父に背中をばしん、と叩かれた。
「っ、なに」
「それを俺は『らしくない』と言ったんだ。よほどあの件で自信を無くしてるらしいな」
「え?」
ここへきて、また『らしい』『らしくない』の話か。イルミが目をしばたたかせていると、もう一度強く背中を叩かれる。「痛いよ」加減をしているつもりか知らないが、親父の大きな手ではよろめきそうになった。
「俺の知っているお前は、目的のためなら手段は選ばないタイプだ。それがお前のいいところであり、悪いところでもあると思ってる」
「……それ、褒めてるの貶してるの?」
「彼女が弱いならお前がしっかりすればいい。もう二度と危険な目に合わすな。それが男だろ」
「……」
簡単に言ってくれるよね、なんて心の中で呟いて、でもじゃあそれほど難しいことなのだろうか、と考えた。
彼女はフラれて逃げ出した。だからそんな程度の想いなのか、と自分は思わなかったか。
一方、自分はどうだ?まだフラれてすらいないのに、逃げ出そうとしているのではないか?
彼女が弱いなら守ればいい。親父の言うことは間違っていない。好きなら、欲しいなら、どんな手を使ってでも……。
イルミはため息をつく代わりに、すうっと深呼吸した。
「…わかったよ、親父」
『らしくない』と言われた意味がようやくわかった。滅多にない失態を犯したせいで、本当に最近の自分はどうかしていたと思う。「そうか」血も涙もない殺し屋のくせに、親父は柔らかく口元を緩めた。
「とにかく記憶を戻すのが先だよね。除念じゃなくても、何かのはずみで思い出すかもしれない。弱いなら監禁しよう。うちは安全だもの、誰にも触れさせなければ死ぬことなんてない」
「イルミ、ちょっと待て」
「ありがとう親父、そうだね。監禁となるとヒソカが邪魔だけど、あいつもいつまでたってもシスコンなわけにいかないだろうし。
はは、なんでオレこんな簡単なことに気が付かなかったんだろう。どうかしてたよ」
「……ど、どうかしてるな」
なぜか溜息をついた親父はさておき、ここしばらく鬱々としていたイルミの気分は霧が晴れるようだった。
「じゃあ早く今日の仕事も終わらせよう」
どんなに時間がかかってもアニスがまた前みたいに戻るのならそれでいい、と思った。
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