■ 43.罪悪感
「アニス、まだ起きてたの」
「あ、うん…なんだか眠れなくて」
イルミと別れたその足で彼女を住まわせているマンションに戻ると、アニスはまだベッドの中で起きていた。
「落ち着かない?」
「ううん、ここのことは覚えてるから…だけど、やっぱりお兄ちゃんのことも最近までしか思い出せなくて」
「無理しなくていいよ、アニスが無事だっただけで十分だから」
過去の記憶はもともと無かったのだとは言わなかった。ヒソカだって昔の『良い』思い出はできれば思い出してほしかったけれど、そうそう都合よく良い思い出だけが蘇るとは限らない。
それならばイルミのことも、ヒソカとの過去も全部全部忘れてしまっている方が彼女のためになると思った。
「イルミさんのこともできれば思い出したいんだけど…仕事についてくくらいだしお兄ちゃんの知り合いなんだし、そう浅くない仲だったはずなのに申し訳ないなって」
「……」
「ね、お兄ちゃんなら知ってるでしょ?あの人どういう人なの?
暗殺者っていうわりに毎日お見舞い来てくれたし、悪い人には思えなかった」
ベッドに入ったままそう言って話す彼女は、まるで子供が昔話をねだるみたいだった。もちろんアニスの言う通り、ヒソカはイルミがどんな奴なのかもアニスがその彼をどう思っていたのかも知っている。だけどこの話題は今一番ヒソカがしたくないものであった。
「そうだね、イルミにも罪悪感ってものが存在するってこの件で初めて知ったよ」
「なにそれ、そんな怖い人なの?」
「ま、人のことは言えた義理じゃないけど、彼は暗殺者だしね」
「ふうん…」
アニスの相槌だけでは彼女が納得したのかどうかわからない。ただ話しているうちに眠くなってきたのか、それ以上は深く聞いてこなかった。
「アニスが記憶を取り戻したい、っていう気持ちはわかるけど、ボクは除念には反対なんだ。イルミにとっても仕事のミスだし、あまり彼も蒸し返されたくないと思う」
「そっか…」
ゆるゆると頷いた妹に、あぁ自分にも罪悪感はあったんだ、と気づく。もしここでアニスはイルミのことが好きだったんだよ、なんて言ったら、彼女はどんな反応をするのだろう。
「おやすみ、アニス」
「うん、おやすみ…」
妹の頭をそっと撫でると、ヒソカは逃げるように部屋を出た。
※
「イル、あれからアニスさんの様子はどうなの?」
仕事に出かける前になって、母さんが後ろから呼び止めてくる。今日の仕事は珍しく親父と一緒に行くことになっていて、今悠長にそんな話をしている場合ではない。
もちろんあの一件は母さんだけでなく他の家族も知っていたが、生憎イルミはその答えを持ち合わせていなかったし、その話題は喪失感をより一層濃くするだけだった。
「…さぁ、知らない」
「知らないって…!そんなわけにもいかないでしょう!アニスさんはあなたを庇ってくださったのよぉ!?あんな方こそイルのお嫁さんに来てほしいわ!記憶の方は?除念の話はどうなってるの?」
「だから知らないってば」
少し投げやりになって返事をすると「まぁぁぁ、イルまで反抗期だわ!」なんて意味の分からないリアクションをされて。
まぁどのみち除念の件はヒソカが反対しているからきっと叶わないだろうし、そもそも関わるなとすら釘を刺されているのだ。
「ごめん、オレもう仕事行くから」
これ以上話をしたって無駄だと判断し、早々に撤退する。後ろからまだ母親の甲高い声が聞こえていたが、イルミは足を止めなかった。
「……いいのか?」
「話すことなんてないしね」
親父はこの件に関して特に罰を与えて咎めるなんてことはしなかったが、いっそ何かしらの懲罰があったほうがマシだったとさえ思う。
二人で飛行船に乗ってもお互い口数が少ないのと大して話題がないのとで、ずっと沈黙したままだった。
それは別に今日に限ったことではなく、いつもそうだったのに……。
「お前らしくないな」
何を思ったのか、親父はぼそりと呟いた。
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