■ 41.資格
「アニス、具合はどう?」
あの一件以来、イルミ、それから母キキョウのたっての希望でアニスはゾルディック家の医療施設で入院することになった。
もちろん初めはヒソカが強く反対したが、まだアニスを動かすのは危険だったし、何しろこの家ほど安全で設備の揃った場所は他にない。
彼女自身が念能力者ということもあり、肺の穴が小さかったことから、一週間後にはもう普通に会話できる状態にまで回復していた。
「はい、いつもありがとうございます」
「……そう、よかった」
けれどもあの時感じた嫌な予感は的中したのだ。一瞬意味が理解できなかった、紙に書かれた言葉。
目を覚ましたアニスはイルミに関する記憶を綺麗さっぱり失っていた。
普通に考えれば、あのターゲットの男の念のせい。目を合わせてアニスがあの男に念をかけたのと同時に、アニスも念にかかったのだろう。そして念の術者が死ねば、最後に念を受けたアニスにその影響が強く出る。だから彼女はイルミと違って記憶を失ったままなのだと思った。
「すみません、すっかりお世話になってしまって……」
「いや、助けられたのはオレの方だから」
「そう、なんですか……」
しかし、記憶を失うにしてもイルミのことだけを忘れてしまっているのはどうしても解せない。他人行儀に─いや、もともと他人なのだが─話す彼女を見て、言葉にできない喪失感がイルミを襲った。
「ねぇ、アニス、どうしても思い出せない?」
「すみません……思い出そうとはしてるんですが……」
本当に申し訳なさそうに縮こまる彼女に、それ以上何も言えなくなる。アニスが入院してから毎日イルミは仕事の合間をぬい、彼女の元を訪れていた。
「もうすぐ退院できると思うけど」そうなったらもう、アニスとはお別れなのだろうか。イルミはそこまで言ったあと、言葉を続けるべきか躊躇う。
「母さんが今回の件は本当に感謝してるって。そして謝りたいって」
「いえ、そんな……こちらこそこんなによくしてもらって」
「アニスはさ、これからどうするの?」
「兄と相談しますが、たぶんまたしばらく兄に世話になりそうです」
「ふーん……」
自分から質問をしたくせに、ヒソカのことを話されるのは面白くなかった。初めはあんなにも嫌っていたくせに、一体いつからそんなに仲良くなったわけ?
でも本当はそんなこと聞かなくてもわかっていた。
ヒソカはむしろうざいくらいに献身的だったし、アニスが落ち込んでいた時もずっと支えていたのだ。
だからヒソカのことは覚えていても、落ち込む原因を作った自分が忘れられて当然なのかもしれない。
「あの、兄が何度かイルミさんに失礼なことを言ってしまってすみませんでした。
あんな兄ですがあまり友達もいないみたいなので、これからもまた仲良くして頂けると嬉しいです」
「……ヒソカのことはどのくらい覚えてるの?」
「…実はそれも曖昧で。主に最近のことしか」
記憶がないというのは結構つらいですね、なんて弱弱しく微笑む彼女に、忘れられる方も辛いんだよと言いたくなる。
きっとアニスはもうオレの知っているアニスじゃない。もう一度前のアニスに戻って欲しいと思った。
もっともそれは彼女のため、ではなく自分のため、であったが……。
「忘れてた方がいいのかもね」
「え?」
暗殺一家なんて物騒なところに関わってもろくなことがない。イルミは彼女に背を向けると病室を後にする。
「……イルミさん?」
─好きだって言ったくせに。
そんなことを彼女に言う資格が自分にないことくらい、わかっていたけれど。
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