- ナノ -

■ 38.貫通

その姿を見た瞬間、アニスは悲鳴を上げそうになった。

「イ、イルミに、イルミに何をしたの!?」

椅子に無理矢理座らされた体は確かにアニスの良く知った彼。けれどもその表情や瞳に生気はなく、元から人形めいた彼が今は本当に作り物のよう。
四肢からは力が抜け、固定されていなければ自力で座るのも難しいだろう。

そんなイルミの顎を掴んで、男はその瞳の中を覗き込むようにしていた。

「心配しねーでも、ちょっと記憶をいただいているだけさ。
ま、大事な記憶が抜けちまうのはその人間にとっては死んだも同然だろうがな」

そういって笑った人物を、縛られたアニスは下からきっ、と睨みつける。
目の前でイルミを襲っているのが確か今日のターゲット。そして今アニスを捕えているのがその護衛…いや共犯者というところだろうか。
どうやってあのイルミをあそこまでにしたかは知らないが、とにかく彼が危ない状態であることはわかる。
意識はないのだろうがイルミの体がときおり拒絶するようにビクビクと痙攣し、それが余計に痛々しかった。

「やめて!!なんなのよ、あなたたち!恨みなの?それともお金?」

イルミの家業が恨みを買うものであることも、常に危険と隣り合わせであることも重々承知してるつもりだった。けれども実際に彼が危なくなると、彼がやって来たことがことなだけに、仕方が無いなんて割り切ることはできない。

「失礼だな、私はコレクターとして彼の記憶に興味があるだけだよ」

アニスの言葉に気分を害したのか、ターゲットの男がちらりとこちらを見た。写真よりもやっぱり実物はさらに酷くて、欲にまみれた人間特有のギラついた瞳に吐き気さえこみ上げる。
視線が外れたイルミの意識が戻らないか、祈るように見つめてみたが結局彼は何の反応も示さなかった。

「じゃあイルミは殺さないの?」

「残念ながら私の念に直接的な殺傷能力はないからねぇ。殺さなくても、壊れてしまうかもしれないが」

「……あなたもそう?」

すぐには殺されないのならなんとか助ける方法があるかもしれない。オーラの量や肉体から見て、ターゲットよりもこっちの共犯の男の方が強そうで、アニスとしてはこいつの出方次第な部分があった。

「俺は雇われさ。捕まえるところまでは協力した。ま、首も繋げたしあとは自分でやってくれ旦那様。
ゾルディックにはあんまり関わりたくねぇんだよ。こいつらの首が高いのは知ってるが、売りゃあ即身バレ。他の家族に狙われるだろ」

彼は仕事が上手くいって機嫌がいいのか、それともこの圧倒的優位に油断しているのか、隠さず正直に教えてくれた。
そしてイルミの長い針を指先でおもちゃのように弄ぶと、とすっと地面に突き立てる。

「く、首って…」

「聞かないほうがいいと思うぜ?じゃあな」

共犯の男はそれだけ言うと、アニスをごろりと床に転がして部屋を出ていった。単純に金目あてだから、貰うものさえ貰えれば後は興味ないのだろう。
縛られてるとはいえターゲットだけならばなんとかなるかもと、アニスは淡い希望を抱いた。

「君はそこで少し待っているといい、今いいところなんだ。
殺戮シーンも見ものだが、家族の団欒を見るのも悪くないからなぁ。この計画が実行できるのをずっとずっと待ってたんだよ」

「何言ってるの…」

「この男の記憶だよ。面白いねぇ、暗殺者にだって家族はいるし、君みたいな恋人もいるんだから。
後で君の記憶も頂いて補完すれば、暗殺者の恋物語が出来上がるんだ。傑作だろう?」

ふふふ、と口元をゆがめて笑ったこの男は、本当に趣味が悪い。念能力は時に個人の需要や願望を反映するとも言うが、こいつのは本当に無駄遣い。
それでも面倒なことに変わりはないからなんとかして止めなければと、再びイルミに触れた男の背にアニスは声をかけた。

「待って、それなら順番が逆よ」

邪魔をするなと言いたげに、ターゲットの表情がしかめられる。アニスは必死で転がって、床に刺さったイルミの針を引っこ抜いた。持ってきた武器はみんな取り上げられてしまったから、今近くにあるのはこれしかない。
針を手にとったアニスを見て、ターゲットは小馬鹿にしたように笑った。

「ははは、縛られた君がそんな針一本でどうしようと言うのかね」

「…暗殺者の恋物語、とっても素敵だと思うよ。私も見たかったもの。
でも完成させたいのなら先に私の記憶を奪わないと」

後ろ手に握られた針を感覚だけで持ち直し、狙いを定める。そうなってやっと私が何をしようとしているのかわかったみたいで、男はさっと顔色を変えた。「お、おい、待て!」

「私は弱いから、早くしないと死ぬよ」

完全なるはったりだったが、今のアニスにできることはこれしかない。
見せつるようにうつぶせになり、少し顔をあげてにやりと笑って見せた。

「馬鹿、やめろ!」

男の制止も虚しく、めいっぱい曲げられる手首。
長い針はよく手入れされているのか、いとも簡単に背中からアニスを貫いた。


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