■ 19.需要
結局その後飲み過ぎたエレナは、宿泊しているホテルまでタクシーで送ってもらうことになった。
ぼんやりとした頭でも、ヒソカさんに悪いことをしたなと思う。初対面なのに彼が聞き上手なせいでついつい愚痴ってしまって、嫌な思いをさせただろう。
彼はまた歌を聞きに来てくれると言ったので、その時になんとかしてお詫びをしよう。
酔っているせいか、エレベーターに乗っている時間がとても長く感じられた。
廊下を歩くのも億劫。
ようやく自分の部屋にたどり着くと鍵を鍵穴に入れて回したが、開錠を知らせるかちゃり、という音はしなかった。
「え…あれ?」
不審に思いつつも、ノブを回すと扉は開いた。
ここのホテルはオートロック。鍵をかけ忘れるなんてことはないから、壊れていない限り開いているのはおかしい。
まさか敵?泥棒?
エレナは一気に酔いが醒めていくのを感じた。
音を殺し、気配を殺し、警戒しつつも中へと足を進めていく。
「遅かったね」「…誰?」
「旦那に向かってその言いぐさはないんじゃない?」
「イルミ?」
「他に誰がいるのさ。あーあ、そんなにお酒飲んで悪い子だね」
エレナが立ち止まると、ゆらり、と暗闇の中からイルミが姿を現す。
噂をすれば、とでも言うのだろうか。何も悪いことはしていないけれど、自然エレナは身を固くする。怒られたから、これはほとんど条件反射みたいなものだ。
「私の国では12から飲酒はOKなの。
で、なによ、今更…」
「待ってるって言いに来た」
「…え?」
「他に新しい妻とか、もらってないって」
驚いた拍子に、手で押さえていた扉が閉まる。部屋の電気くらい、つければいいのに。
どちらも仕事柄闇に目が慣れているが、それでもお互いの表情は見えにくい。
イルミはまた一歩こちらへと足を踏み出した。
「だ、だから何?
私は戻らないけど」
「歌手になる夢は叶ったの?」
「…ほっといてよ」
「お前の歌、需要あるって言ったら?」「は?」
じりじりとこちらに近づくイルミに思わず後ずさるが、もちろん後ろは扉。
すぐに距離は0になって長身のイルミが目の前にいると、それだけで威圧感がすごかった。
「何言ってるかわかんない」
「歌手になるのは今でも反対。
だけど、オレのためだけに歌えばいいよ」
「それって…「戻ってきなよ。あ、エレナが喜ぶ風に言えば、スカウトしに来たってことになるのかな」
うーん、と考えこんだイルミにエレナは固まるしかなかった。一体、何を言い出すの。どうして、なんで。
タイミングが良すぎるのも怖いが、こんなことで丸く収めようとしてるのなら大間違いだ。
私は、夢のことだけで家を出たんじゃない。
根本的なことを解決しない限り、あの家に私の居場所はなかった。
「イルミはさ…」
ずっと聞きたくて、だけど怖くて聞けなかった。
彼の言うことを聞かなかったら嫌われるのもわかってたけど、言うことを聞くからという理由で好かれるのも嫌だった。
でもこの際だ、はっきりさせよう。
たとえ傷つくだけだとしても、ある程度は吹っ切れるかもしれない。
ねぇ、嘘をつかないことがあなたの数少ない取り柄でしょ。
「私のこと、どう思ってるの」
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