■ 1.自由の身
「やった、これで晴れて自由の身!」
エレナはこれ以上ないほどの上機嫌で、白昼堂々パドキアの街から空港へと向かっていた。
行き先はもう決めてある。私はついにこんな薄暗い稼業から足を洗って、とうとう自分の夢を実現させるのだ。
口うるさい親元を離れ、そして陰湿な旦那からも開放され、こんなに嬉しいことはない。
そもそも初めから愛なんてない結婚なのだ。彼の方に歩み寄る意思もなければ、好きだと言われたこともない。
あの性格の捻じ曲がった旦那が役所からの通知を受け取り驚愕するところを想像して、エレナはますます機嫌を良くした。
「後悔しても遅いもんね」
一度意を決して言ってみたら散々馬鹿にされたけれど、私だって軽い気持ちで言ったんじゃないから腹が立った。
そしてその結果がこの強硬手段である。まぁ、彼の方は大して気にも止めないかもしれないが、それはそれで好都合…なはず。
「絶対に有名になってみせるんだから」
歌手になるのが私の小さい時からの夢なのだ。
※
ほとんど伝説扱いのようなゾルディック家とはいえ、パドキアに本籍を置いている以上色々な手続きに役所を利用している。
最もそんな雑務は屋敷の住人の預かり知らぬところであって、優秀な執事たちが全て管理しているのだが。
「なんでしょう、これ」
しかし、ある日役所から一通の封筒が届いたことでゾルディック流の平穏な生活は一瞬で崩壊してしまうこととなる。
「馬鹿、親展って書いてあるだろ」
新米の執事が不思議そうに掲げて見せたそれには、赤い判子でそう記されている。ゴトーはほとんど条件反射のように部下を叱ったが、はてさて役所が一体ゾルディック家に何の用か。
しかも宛名を見ると全く俗世間とは関わり無さそうなこの家の長男に宛てられたもので、内容に関してはさっぱり見当がつかなかった。
「イルミ様にお手紙なんて珍しいですね」
「あぁ、そうだな…。
そのままお渡しするしかないだろう」
基本的にそういった手続き関係のものは、だいたい当主のシルバ様宛である。
強いていうなら半年ほど前に、彼とその婚約者の婚姻届を代わりに提出しに行ったくらいのものだ。
「結婚なさったからですかね?」
「余計なこと考えてねぇで仕事しろ。これは俺からお渡しておく」
「あっ、はい。すみません」
一介の執事風情が主のプライベートを探る必要なんてない。
ゴトーは丁寧にその封筒をしまうと、明日にはイルミ様が長期のお仕事からお戻りになるだろうと思った。
どんな内容かは知らないが、わざわざお電話を差し上げる程でもないに違いない。この封筒はその時にお渡しすればいい。
「では、私はエレナ様のお部屋をお掃除してまいりますね」
「あぁ」
部下の言葉にゴトーは頷く。どちらかといえば封筒よりも、早くエレナ様が帰ってこられることの方が重要だ。
主が出掛けていようと部屋の掃除は毎日行われるのだが、エレナ様は現在旅行に出かけられておりかれこれ一週間ほど帰って来ていない。
「イルミ様に内緒で旅行だなんて、あの人もなかなかお転婆な方だ」
バレなければいいが、と思ったゴトーは後から自分の考えの甘さを思い知ることになるのであった。
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