■ 18.寂しさ
「戻るも何も…1ヶ月くらい前にホテルに彼が来て以来、全く音沙汰が無いんですよね。
もう、私のことなんて忘れちゃったかもって。
元々彼は私のことを好きでもなかったみたいですし」
エレナは苦笑まじりにそういったが、その瞳は悲しそうでもある。
ヒソカはそんなことないよ、と言いかけて、誤魔化すようにグラスに口をつけた。
「キミは」
「え?」
「キミの気持ちはどうなんだい?もう夢はいいのかい?」
「夢…いえ、諦めたくないですけど、挑戦できたことには満足してますから」
「ボクはキミに才能があると思うよ」
「ありがとう…」
別にこれはお世辞でも、ましてや彼女を唆したくて言ったわけでもない。
ただ逃げ道としてイルミの元に戻るのなら、その必要はないと思ったのだ。
このままイルミさえ邪魔しなければ、彼女は十分この道で食っていけるだろう。
「でも、プロになれなくても今みたいに私の歌を聞いてもらえるだけでも嬉しいですから」
「そうかい、それは残念だな…。
じゃあ戻ってこいって言われたら、キミはこれからその旦那さんのためだけに歌うのかい?」
「……いえ、きっと彼はそんなこと望みませんし」
「嫌いじゃないんだね」
「…」
「彼のこと。嫌いなら彼が望むとか望まないとか、関係ないだろう」
ヒソカの言葉に、エレナは目を伏せる。あぁ、きっと彼女は寂しかったんだ、と思った。
いきなり結婚が決まって不安なところに旦那はあんな感じで。でも政略結婚なのはわかっているから愛されなくても仕方がないと我慢して。
それならいっそ自分のために、自分の夢のために生きたいと思っても仕方ないんじゃないだろうか。
そしてイルミの手を煩わせて怒らせて、心のどこかで安堵していたんじゃないだろうか。
だがやっぱり子供なんだな、と納得していたヒソカは、目線を上げたエレナの目に宿った光に面食らう。
先ほどまでの悲しげな雰囲気はどこへやら、その目は静かな怒りに燃えていた。
「嫌いじゃない?
いいえ、嫌いですよ」
「…え?」
「性格が合わないんです。彼に会ったらわかると思いますが。
すごく独善的で、高圧的で、何でもかんでも言うことを聞かそうとするし、嫌味っぽいし人を思いやる気持ちにも欠けてるし。
私とは根本的に価値観が違うんですよ」
「あ、そうなの…」
生憎その旦那を知るヒソカからしてみれば、どれも思い当たる節があることで。
でもこの会話はそのイルミも聞いているのだ。これではますます拗れたのではないか?
別にヒソカ的には面白い拗れ方をするのなら構わないのだが、このままではどっちも折れずにだらだらと長引きそうだ。
何よりも帰った時にイルミに八つ当たりされることは間違いない。
「俺様なんだ?」
「そうなんです!あれも駄目これも駄目で、そのくせ構ってくれないし…あ」
「構って欲しかったんだね」
「…」
失言した、と言わんばかりの顔をする彼女が可笑しかった。
「…でも、あの人は私を好きじゃないから。
私を好きじゃない人なんて、好きにはなれません」
なったって、仕方ないもの。
エレナはぽつりと呟いて、それからヒソカの前のグラスに手を伸ばす。
赤いワインが照明の光を受けて怪しく輝いた。
「飲みたい気分です…一口ください」
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