■ 12.揺さぶり
「何って、面白いことを聞くね」
当然のようにソファへと腰かけたイルミは嫌味ったらしくその長い脚を組む。
さらりと髪を手で後ろにやった仕草は女であるエレナよりも色っぽかった。
「調子はどうかと思ってね。『元妻』が有名人になるかもしれないんだし」
「暇じゃないとか言ってなかったっけ」
「で、どうだったのさ、実際」
会話がかみ合わない、というより、イルミはエレナの言葉を聞き流した。
彼の口ぶりからすると、どうやらオーディションを受けたことはもうバレているらしい。
「結果はまだだろうけど、手ごたえくらいは聞いておかなきゃね」
そう言ったくせに、彼は少しも期待している様子ではなかった。
「…駄目だったよ」
嘘をついたって虚しいだけだから、エレナはぽつりと呟く。
悲しいとかそんなのじゃなくて悔しかった。最初から甘い世界じゃないことくらいわかっていたけれど、イルミの言った通りになってだからこそ悔しかった。
「ふーん、もうわかったんだ?」
「でも、まだ諦めないもん…」
「好きにすれば」
テーブルの上に置かれたスクールの資料集を一瞥して、イルミは馬鹿にしたように言った。
「お前にはもっと向いてることがあるよ」
「…別に、もう別れたんだから関係ないじゃない」
「戻ってくるよ、お前は。ここがお前の本来の居場所だからね」
「…」
エレナが返事をしないと、必然的に流れる沈黙。
しばし無言で見つめ合った後、イルミは立ち上がった。「じゃ、頑張ってね。夢の実現」何をしに来たのかなんて改めて問う必要もなかった。
「…思ってもないくせに」
ホテルの高さをものともせず窓から出ていった彼は、きっと私に揺さぶりをかけにきたのだろう。
イルミにしては婉曲なやり方だが、その陰湿さに別れてよかったと思う。
「私のこと嫌いなのよ」
きっと、あの人は。
※
オーディションに落選したことは、エレナに予想以上のダメージを与えたらしい。
エントリーシートはきっとある程度詐称しているだろうし、顔写真などをばらまいて「この女を合格させるな」なんて圧力をかけるわけにもいかない。
そこでイルミが選んだのは、逆に合格者を決めてしまうことだった。
適当に選んだ受験番号の者を合格させるよう、主催のレコード会社や音楽事務所を金で買収する。事情を知らない者たちはただの裏口入学みたいなものだろうと思うし、あらかじめ合格者が決まっていればエレナが受かることは万に一つもない。
まさかもう結果が本人に伝えられているとまでは思わなかったが、駄目だったと悔しそうに呟く彼女の表情には一見の価値があった。
「どれくらいで音をあげるかな」
離婚届の方もイルミの針で職員を操作して無かったことになったし、あとはエレナが気持ちを改めて戻ってくるだけでよいのだ。
母さんは旅行が長いと心配しているけれど、まさかここまでのことになっているとは思ってもみないだろうし。
早く諦めて戻ってくればいいのに。
イルミは離婚原因が彼女の『夢』の件であると信じて疑いもしなかった。
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