■ 11.裏工作
「期待させて申し訳ないけれど、君ではないんだ」
目の前の彼は本当に申し訳なさそうに頭を下げる。
昂っていた気持ちがすぅ、と潮が引くように消えていくのを他人事みたいに感じていた。
「そう、ですか……」
だったら何故、今こうして私を呼び出したんだろう。
落胆を見せまいとしたけれど、こんな時に限って感情を殺すことができない。
気まずい沈黙が流れたが、彼はでもねと口を開いた。
「僕は本当に君の声が素敵だと思うよ。そりゃ、技術的にはまだまだだけど、他の人だってとても褒めていたし。
正直訳がわからないよ、僕はてっきり君に決まるものだと思っていた。だけど、僕よりもっと上の人間が他の候補者に決めてしまってね……」
いつの間にかとれた敬語は、今の彼の言葉が本心であると示していた。
けれどもそのことに一体なんの意味があるのだろう。
彼やあと数名が私を推してくれたとしても、最終的にはやはりまだまだ未熟なのだ。それ以上でもそれ以下でもない。
エレナは泣き笑いのような表情を浮かべて、ありがとうございます、と言った。
「嬉しいです、とても…。また頑張ります」
「うん、僕は今日ので諦めて欲しくなくてそれで声をかけたんだ。
それと、これは怪しい勧誘とかじゃないんだけど本格的なレッスンを受けてみないかい?」
「…でも私、」
「本当にこの結果には納得が行かないんだ。
確かに即戦力にはならないかもしれないけど、君は原石だと思う。技術は磨けても、声質は才能だからね」
「……」
決めきれないエレナに彼はたくさんの資料を押し付けると、一度考えてみてくれと言った。
「君ならきっと夢を叶えられるよ」
「ありがとう…」
初めてのオーディションなんだもの。
最初っから上手くいくわけ無いよ。
エレナは大事そうに資料を抱えると、彼に頭を下げて部屋を後にした。
※
ホテルに着くと、どこをどう調べたのかイルミがロビーに立っていた。
咄嗟に引き返そうとしたエレナだったが、この距離で彼から逃げられるはずもなく。
「大人しくしないと殺すよ」
掴まれた腕の骨が、みしりと嫌な音を立てた。
「ようやく会えたね、エレナ」
「痛いから放して」
「部屋に案内してくれる?
こんなところで話すのもなんだしね」
表情はいつもと同じ無表情だけれど、言葉に刺がある。文法上かろうじて疑問系なそれにもちろん拒否権はない。
イルミのこういうところが苦手だった。
独善的で、高圧的で、彼の意に沿わないものは皆間違いだと言うところ。
それはいっそもっと子供なら恐怖の対象だったろうが、なまじ一人前として仕事もしてきたエレナにとってはプライドを傷つけられる要因でしかない。
平たく言えば、反抗期にこんな言い方をされたら嫌いになっても仕方ないのだ。
「いいよ。だけど家には帰らないから」
「帰ってきたくなるまで待つよ」
「……何か企んでるの?」
ロビーを抜け、エレベーターで借りている部屋へと向かう。
てっきりイルミのことだから無理矢理にでも連れ戻されると思っていたので、エレナはかえって警戒を強めた。
「はぁ…オレのことを何だと思ってるのさ。悪いけど、そんなに暇じゃないんだよね。
どうせ連れ帰ったところで今のままじゃまた逃げ出す、そう思っただけ」
「そうだね」
エレナは一応相槌を打ったが、まだ彼の言葉を信じたわけではなかった。
部屋へと着いて、鍵を開けるその動作すら緊張する。
「だったら、イルミは何しに来たの」
それは至極もっともな質問だった。
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