■ 4.消失、喪失
「今、なんて…?」
仕事から帰ってきたら、なんだか家の雰囲気が暗かった。
最近はあまり帰っていなかったけれど、ウルの親がうちに来たりでどちらかと言えばお祝いムードだったのに。
結婚はキルアが18になったら、という話だった。そしてそれまではウルもうちで暮らす手はずになっていた。
だけど執事の口から聞かされたことは、信じられないことだった。
「はい、ウル様の方から正式にお断りが…」
「断った?だってじゃあ、キルは…」
「キルア様も納得しておられるようです」
どういうこと。
キルアだってわざわざウルを慰めていたくらいだ。彼女との結婚は満更でもないんだろ。
ウルだって家のことがある。彼女の親も困っているに違いない。こんなの間違ってる。
オレはキルだからぎりぎり譲ったんだ。それなのに、そのキルまで断ってウルは誰と結婚しようっての?
そんなの認められるわけがないだろ。
オレは黙ってキルアの部屋に向かった。もしもオレのことを気遣ってやめたんだとしたら許さない。そんな同情はいらない。
お前がオレの欲しいものを全部持って行ってしまうのは、別に今に始まったことじゃないだろ?
バン、と勢いよく扉を開けると、驚いた様子でキルアがこちらを向いた。
「キル」
「…兄貴」
どうやら何も言わなくてもオレの言いたいことがわかったらしい。
どこか反抗的にさえ見えるその瞳がオレの神経を逆なでた。
「ウルとの婚約、破棄したんだってね」
「…向こうがね」
「でも、お前も同意したんだろう?
ウルの才能はうちの役に立つ。お前は何としてでも引き止めるべきだった」
虚しいだけの正論を振りかざして、大人げなく弟を責める。
そんな自分が情けなかったけれど、この行き場のない感情をどうすればいいのかわからなかった。
「引き止めたいのは兄貴だろ」
「優秀な遺伝子は残すべきだ」
「なんでそんな言い方しかできねぇんだよ!
兄貴はウルのこと好きなんだろ!?」
綺麗なアイスブルーの瞳が、怒りで鮮やかに輝く。
やっぱりキルはわかってたんだ。わかってたから婚約を辞めたんだ。
そんな同情、オレは欲してなんかいないのに。
どいつもこいつも押し付けがましいよ。
「お前じゃ話にならないね。直接ウルの家に行って話をつけてくる。
どうせ向こうだってうちと結婚した方がいいに決まってるんだ。政略結婚に感情なんていらない。お前もウルも、ただ黙って従ってればいいんだよ」
「…勝手にしろよ」
キルアはそれきり目を合わせなかった。
押し付けてんのはどっちだよ。そう聞こえたが無視をした。
※
─ごめん、キルア…。私、この話受けられない。
申し訳なさそうにそう言った彼女の選択は、俺が予想していた通りだった。
そもそも裏表のないのが取り柄であるウルが、兄貴への思いを抱いたまま俺と結婚なんてするはずがない。
だからといって気持ちをすぐに切り替えられるわけじゃないだろう。
ウルは確かに優秀な暗殺者だったけれど、闇人形という感じはしなかった。ただ殺しに対してもまっすぐ一生懸命で、感情を殺したりなんてしない。むしろそういう意味では兄貴より怖いかもしれなかった。
だって彼女は自然体で人を殺せるから。
ウルは本当に変わった奴だった。普通にしていれば暗殺者だなんて思わない。
明るいし、捻くれてもいないし、ひょっとすると殺しを悪だと思っていないのかと思うくらいだ。
きっと世間一般の常識で考えれば狂っているのかもしれなかったが、俺にとってはそんな彼女が眩しかった。
そして、そんな彼女に一途に想われている兄貴が少しだけ憎かった。
「…泣きたいのは俺だっつうの」
単純で馬鹿で一途なウルに憧れてて、でもそんなウルだったら俺と結婚しない。逆に、兄貴をすぐに忘れて俺に乗り換えるような奴なら好きになんてならなかったし、そうなると俺には永遠にチャンスがないじゃないか。
どうしろってんだよ。
兄貴のことを好きなウルが好きなんだ。
初めからこの恋が叶うはずもなかった。
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