■ 3.頭ではわかってる
殴られた頬が痛い。まさか、グーで殴られるとは思わなかった。
壊れた壁は執事に直すように言いつけて、イルミは自分の部屋へと戻る。
途中、ウルの部屋の前を通ったが、おそらく中にキルアもいるのだろう。
なんだかんだ言ってキルアと仲がいいのは知ってる。
才能もあって、相性も良くて、お互い別に嫌いじゃなくて……なのになんでオレを好きだなんて言うのさ。
さっきは自己満足だって言ったけれど、彼女が本当にオレのために頑張っていたのも知ってる。
でもいつかこうなるって思ってたんだ。
初めて会った彼女はまだ小さかったけれど、その才能と目覚しいまでの成長に予感した。
どんな訓練も拷問も嫌がらず、言われたことはただひたすらにこなして、あぁこの子もオレとは違うんだなと思った。
幼馴染みというよりほとんど妹みたいに訓練もつけてやってたから、彼女が優秀な暗殺者として育てば誇らしかった。
そしてその一方で、どんどん彼女の存在が遠くなっていくように感じていたのだった。
だから、どんなに彼女が好きと言っても、オレは彼女に好きだと言わなかった。言えなかった。
だからって今日みたいにはっきり断るわけでもなくて、いつも適当に誤魔化して、思えばそれが悪かったんだろうか。
そういえば昔、彼女がオレのところにやって来て言ったことがある。
─イルミって私のこと好きだったの!?
たぶん、余計なことを言ったのはミルかキル。
せっかくウルは気づいてなかったのに。
あの時オレは突然のことに動転して、嫌いだよ、と言った。あの時もウルは泣いたっけ。だけど好きだよ、とは絶対に言ってやらなかった。
ねぇ、もういい加減諦めてよ。
部屋の机には依頼の束。
仕事多めに回してって言ったのは自分なのに、今は酷く億劫に思える。
─キルの婚約者にしたら?
そう提案したのも自分だったけど、あの時もまた気が滅入った。
本来なら喜ぶべきなのに。
家は優秀な者が継げばいい。だから、同じように優秀な遺伝子を残すことが最善に決まってる。その点に関してはキルアもウルも文句なかった。
手塩にかけて育てた大事な弟と大事なウルが結婚して、オレは幸せ者だよ。
きっと二人の子供なら素晴らしい才能の持ち主だ。我が家も安泰。これで完璧なのに。
完璧、なのに…
─私、イルミと釣り合いたくて…いっぱい訓練だってしたし、人だって殺したし、どんな辛いことだって…
オレに釣り合うように頑張ったなんて、押し付けもいいとこ。
なんであんなに馬鹿なの。オレが釣り合ってないんだよ。
オレじゃお前と一緒にいてあげられないんだって。
「ちょ、キルア待って!」
不意に廊下を走っていく気配。どちらも足音一つしない。
どうせまたウルが余計なこと言って、キルアを怒らせたんだろう。
ウルはホントに馬鹿だから。
彼女を突き放したのは、頭では最善だとわかってた。
そして二人の婚約を喜べ、と理屈や理性はオレに言った。
※
「キルアまで怒らせちゃった…」
真剣に走ればきっと追いつけたけど、追いついてなんと謝ればいいのかわからない。
遠ざかっていく銀色の髪の毛を見ながら、今更自分の発言を後悔した。
いくらイルミにあんなこと言われていっぱいいっぱいだったとしても、普段から家の道具みたいに扱われるのをキルアが嫌っていたことくらい知っていた。
最低だ。キルアはこんな私でも慰めようとしてくれたのに。
「もう、ここにはいられないかな…」
ウルにはキルアと結婚する気はなかった。
キルアのことは好きだけど、絶対にイルミのことを忘れられるわけがない。
同じゾルディック家で暮らすことになって、傍であの人を見て、それで知らない顔してキルアの奥さんなんて出来るわけがないじゃないか。
第一、いつかイルミだって結婚する。それを私は間近で見て、おめでとうって言えるの?
イルミに選ばれた幸福な人に、お義姉さんって懐けるの?
そんなの、無理。
そんなに私は強くないし、器用でもない。
それならいっそ誰とも結婚しない。これもまた押し付けだって言われるかもしれないけれど、イルミのことをずっと想っていたい。
そんなことをしたって何の意味もないことくらい、頭ではわかっていた。
私がキルアと結婚しなくたって、別にイルミに好かれるわけじゃない。
私がずっとイルミだけを思い続けてたって、イルミはいつか他の人と結婚する。
それでも、私は…
親にはなんて言おう。もう何もかも嫌だ。
いつまでたってもイルミの影がちらつくこの仕事からも足を洗いたい。
そんなことできるはずもないって、頭ではわかっていたけれど。
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